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【佐渡島庸平】なぜ今、仏教が必要なのか?
NewsPicks編集部
TOZAWA AMANESAKE DIPLOMA資格保持 営業
鎌倉仏教、特に日蓮宗の発生を理解する上では、当時の時代背景への理解が必須となる。 前提条件として、当時は仏教の教えが廃れていく「末法」という時代にあると信じられていたことを念頭に置かねばならない。鎌倉以前、政権の中枢にあってこの世の春を謳歌していた貴族たちは、死後の世界でも救いを求め、その活路を仏教に見出そうとしていた。その代表例が、理想的な死後の世界を表現したとされる平等院の鳳凰堂である。極楽浄土を体現させることで、末法の世での救済に近づくと考えられていた。 しかし、政権が武家の手に渡ると、これまでの貴族文化の象徴でもあった奈良中心の仏教は「旧仏教」とされ、浄土系諸宗や禅宗系といったいわゆる新興宗教としての「新仏教」が広がりを見せるようになる。相次ぐ戦乱や飢饉は末法の到来を実感させるものとして足るものであり、信心次第で救われるというある種シンプルな教えが武家や庶民にも奥深く浸透する。 そんな中で生まれたのが、日蓮宗であった。日蓮の問題意識も末法の世での救済からスタートしている。漁師の家に生まれた日蓮が初等教育として仏教に出会った時は、既に新仏教が広がりつつある時代にあった。そんな中で日蓮は、旧仏教にしても新仏教にしても、目の前の戦乱や飢饉から人々を救うには至っていないと考える。むしろ、これら諸派を間違った教えであると捉え、それを人々が信じてしまっているから救いの世が訪れないのだと唱えた。その対抗策として、日蓮自らが信じた法華経のみを絶対唯一の救いの道であるとし、それ以外の邪宗とぶつかったのである。 時代背景を理解すると、激しく揺れ動く社会からの要請に応えるものとして仏教が変化していったことが分かる。日蓮宗もその例に漏れず、後発の宗派としての、他宗派への対抗策としてのポジションも見えてくる。 このように成立・発展していった当時の仏教が、漫画によってどのように描かれるのか。注目していきたい。
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