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男女格差、日本は125位 過去最低、政治経済両面で深刻
西尾 拓也
GGIはどのような統計処理なのかですが、詳細な論稿記事があります。
◆ジェンダー・ギャップ指数を読み解く
問題の過度な単純化に陥らないよう、多角的な検討を
大和総研 金融調査部 研究員 中 澪
https://www.dir.co.jp/report/research/policy-analysis/human-society/20221201_023445.pdf
◆GGI が測定するものはあくまで男女の格差であり、水準は問題にしない
◆ジェンダー平等を捉える4つの分野として
「経済参加と機会」、「教育達成」、「健康と生存」、「政治的エンパワメント」
◆サブ指数を構成するのは合計14の変数
変数は、データから算出された標準偏差(SD)に基づいたウェイトを用いて加重平均、それぞれのサブ指数が算出
◆ウェイトの算出方法
サブ指数内でSDが小さい変数ほど相対的にウェイトが大きくなる。これにより、サブ指数に与える相対的な影響を平準化
しかし例えば下記の特徴比は、GGIでは過小に反映されます。
例示:
「漫画家の60%以上が女性」 「男性コミックの購入者の4割が女性」 「現代文化の創造に対して高い熱量を持つ女性の比率」
「管理職」の比率が45%か50%か、よりも社会を変革する原資である筈ですが。
モデリングの重み付けの意味を考えると、新たに特徴量を加えさせたとしても、多くの国では取り組みの枠外である「先進的な特徴」であるほど過小に反映され、相対的にはリソースの無駄使い扱いする指標だと言えます。
正しさの議論を量的な議論にスライドさせるためのモデリングとしては、ゼロサムゲーム要素の調整に失敗しています。
更にもうひとつ論点があります。
属性別での「成果を挙げるモチベーション」や「成功まで努力しなければ落伍者だという切迫性、切実性」の傾向の差を加味しません。
モチベーション、意欲の傾向差も、「エンパワメントによる投資格差(女性>>男性)」によってだけ「矯正」するというのでは「特定民族の優遇政策」のようなグロテスクさで公正ではありません。
「モチベーションの源泉」を根底から変革するエクスペリエンスをもたらしてきたのは「現代文化の創造に対して高い熱量を持つ」であり、であれば「現代文化の芸術融合的な足取り」を過小評価しない取り組みがGGIに要請されるのでは、と思います。
【なぜ】嫌韓嫌中、女性蔑視。老いた父が変わってしまった理由
西尾 拓也
党派性に立脚しすぎた言動を聞くハメになることは、心地よいものではないですよね。
「自身が"ライン超え"と感じたときの反応が極端になりがちな人が陥る、典型」と考えると
⇒その文化、文脈に対して「関連する全てが"暗黒の世界に感じられて"まったく許容できなくなってしまった人」
左右を問わず実に多く見かける「パターン」だと。
例えば、外国籍という属性について少しでも比喩した人を即時に「典型の仮想敵」の分類箱に入れてしまう人を知っています。株クラなどは外国人とか目の青い人たちとか、うまく要約せずに指摘したりしますが、まさに目の色を変えてそれを批判糾弾したいとはあまり思えないですね。
正しさを党派性の内側だけで純粋培養的に評価するのでは、分析評価の手法として品質確保になりません。
例として、昨今話題の「Colabo側の主張や党派的政治活動」、WBPC関連新法の「告発者を処罰」を見ると、「まさに党派性にのみ立脚する怪物性」のための権威主義的枠組みになっていますが、これでは支援判断における公正性を期待してはいけないでしょう。
党派性による評価とは、本質を捉えていない予断による社会的評価の試みでしかなく、いずれの党派であろうと「まったくリベラルではない」のです。
このような「凝り、偏り」からの「リフレッシュ」方法があるとしたら、人間の心に必要以上の規格統一を求めるようなイデオロギーは「偽薬」に過ぎないと感じます。
統計知識活用のほうが普遍的でしょう。
「党派」か「相対化」かではなくて、「大枠の時点で異なる問題設定」を持ち出して異なる普遍化をしてみると、新たな「比の出し方」「事前、事後」の新たな捉え方を見つけ出せたりします。新たなissueも見つかります。
このような「リフレッシュ」であれば「凝った体や思考にたいてい有効」ではないでしょうか。「うっかり染まっている何がしかの党派性」を薄めてくれる便利な対処方法としてベイズはイケてるかもしれません。
しかし「高度な知識前提のはずの理解度」へと多くの人をいずれ到達させ得るのがAIツールだと見ています。
⇒踏まえると「悲しむべき物事への悲観は、意外と必要ない」となります。
逆に「思わず嫌悪」したくなる言動を「放置せず潰せ」の掛け声は「偽薬」では?と疑うほうが。「CRT議論のように問題を複雑化させて生じるバリュー狙い」では。
ジェンダー格差是正の一歩目は「偏見の自覚」と「自己開示」
西尾 拓也
アンコンシャスバイアスは、継続的にリサーチする価値がある問題設定だと思います。
HRソリューションが紹介されており興味深いです。
エンゲージメントにおいて「よくある間違った方針」に陥らないための可視化・提案ツールは役立つでしょう。
一方で一部、気になる部分も見られました。
・ジェンダーギャップ指数(GGI)は、「男性を減らした分だけ改善する」モデリングであり、知識とスキルの水準が悪化してもそれを反映しません。
・アファーマティブアクションは、アメリカではアジア系を冷遇するための口実として使われています。
新冷戦があり、優秀な中国系を遠ざける口実に使われるロジックについて罪悪感が薄くなっているようですが、重い矛盾をもたらしています。
例えば、AI開発者や統計分析者といった「高度な数学/数理知識と持続的な好奇心」で活躍しなければいけないポストにアファーマティブアクションという「ガラスの天井」配置の手法で介入するならば、より「マクロな」才覚のアップサイドを台無しにします。
アファーマティブアクションとは、そのような不合理を厭わずに「数合わせのバブル」を期待した「属性比率のごり押し」のためのガラスの天井の肯定です。
第三世界で見られる、民族主義政策である「大学ポストに民族枠を強要」のような「下劣な欲望」だと映ります。
「男性というだけで属性冷遇、希望者多く才能厚くても狭き門に」では留学生も喪失しますが、それでも数学系/数理系において50%以上の女性比率を求めていくのか。
GGIの原理に熱狂する人のように「50%以上が正しい」と決め打つ理由は「数合わせのバブル」を期待しているか「民族主義的な対立心や欲望」かのいずれかではないでしょうか。
極端な考えに基づくのであれば、より「マクロな」才覚のアップサイドを台無しにしないために数学系と数理系の枠を比較にならないほど増やさなければいけないでしょう。
女性比率が目的だとしても、妥当なKPIは目下の女性比率ではなく「高度な数学系/数理系知識で活躍可能な人」の大幅な裾野拡大の施策が先決です。
より「マクロな」才覚のアップサイドを逃さないことが結局はすべてを擁護します。世界の経済成長を享受可能となり、異なる知識領域のニーズも高まります。
「成長シナリオの複雑性」を擁護できないKPIでは多様性を擁護できないのです。
ジェンダーギャップ指数2022、日本は116位。政治・経済分野の格差大きく、今回もG7最下位
西尾 拓也
「先進性の総量」を評価しておらず「ゼロサムゲーム的、対立的指標」であることが問題です。
以下のツイートと【note】が参考になります。
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データをいろいろ見てみる
@shioshio38
> 大手メディアのtweetで、「ジェンダー不平等指数」,「ジェンダーギャップ指数」,「ジェンダー開発指数」
がどれくらい言及されるか調べた。
> ジェンダー不平等指数 0件
> ジェンダー開発指数 0 件
> ジェンダーギャップ指数 74件
https://twitter.com/shioshio38/status/1539872057118593024
-
【note】ジェンダーギャップ指数を男女共同参画に関する国際的な指数から除外すべき5つの理由
https://note.com/radert/n/nb2e94bea7282
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レイダート
@Radert
続いて、健康部門の比較です。2022年版では日本は69位。
健康寿命で『68ヶ国が日本より上である』と評価される指標がジェンダーギャップ指数なのです。
1位レソト=女46.4歳:男42.3歳
69位 日本 =女75.5歳:男72.6歳
日本がレソトのどこを真似てGGIを上げれば良いか妙案があれば教えてください。
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レイダート
@Radert
【そもそも解説】ジェンダーギャップ指数は「0が完全不平等、1が完全平等を表している」は誤りです。
アイスランドの2022,2021のスコアシートから、どんなに女性が優位であっても1,000の満点が与えられ(赤)、微差でも男性が優位だとスコアが下がり、順位が一気に下がるのがご確認頂けるでしょう(緑)。
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イルハ
@sankutasu_senki
アイスランドを例に分析された記事もありますね。
男性が肉体労働に集中し、女性が経営・研究・政治に偏ったら男女平等・・・
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GGIが示す「先進性への近道」は「でたらめ」です。
↓↓
「女性がホワイトカラーの仕事をするためには、優れた頭脳の男性にブルーカラーの仕事をさせれば良い」
「白人」と「有色人種」に置き換えてみてください。
GGIは20世紀型の機会不平等主義であり才覚否定の思想です。
「先進性の総量」や「天才のための環境整備」の最適解政策から遠ざかっても良いとする「正統性・説明性が疑われるモデリング」は悪質であり指弾すべきです。
安倍晋三元首相死亡 奈良県で演説中に銃で撃たれる
西尾 拓也
メディアやSNSで見られる「バッシング表現」の苛烈さについて多くの人が違和感を持ち始め、このようなテロリズムとの因果関係まで疑いはじめている状況だと感じます。
確かに、「印象操作と党派性誘導」を目的にしたメディア報道は長い期間に渡って目に付いたのですが、アメリカで行われる政治家バッシングの苛烈さに比べるとむしろマイルドです。
いま多くの人の理性に警告を告げている「感情的な表明への違和感」とは直感的なものではないでしょうか。
衝撃的な事件を受けて「普遍的だが見落としがちな交絡」を考慮した「事象解釈」に基づく政治が難しくなってしまうとすれば危機的です。
情報統制主義者やそのような国家にとってもっとも歓迎される状況をもたらす可能性があります。
「感情先行の表明は封殺して構わない」と言わんばかりの意見が出てきていることに危惧を覚えます。
混乱に付け込み、「表現の統制」を主張し同じ方向を向かせるだけでうまく行くと思わせたがる人が「行動開始」していくことが予想されます。
混乱した状況であるからこそ、表現の自由がもたらす「洗練の価値」にしがみつかないといけないのではないでしょうか。
言語化することによって「それがいかにも誤った考え」であるほどに、より正確な指摘に基づいてよりよく修正可能になります。
メディアとSNSの偉大な効用と研鑽の側面を忘れてはいけません。
表現の自由がなければかえって「手遅れ」になっていた偉大なナラティブを多く挙げることができます。
ゆえに発信、表明、反論はできるかぎり開かれるべきであり、そのようにしてでなければ「お決まり」を洗練するプロセスは権威主義者の手に落ち、自由主義であることの価値は失われてしまうでしょう。
【クイズ】トランプに潜むジェンダーの課題とは?
西尾 拓也
トランプの「12、13」において「表象設定がとてもジェンダーな感じ」への違和感、忌避感が若干読み取れていたとしたら、それは興味深いですね。
注意しなくてはいけないのは、発信者のように「キング、クイーンという表象は差別的だ」というほどにハードな前提を置いてしまうと、それは逆に「表現方法の過度な限定」へと転化します。
例えばゲーム作りや物語の創造において
「表現方法の過度な限定」とは「特徴の組み合わせの自由度」を損うことです。
表象設定を縛った分だけ、「ちゃんとホットで、かつリベラルな特徴」創出の余地をも「妨げてしまう」効用のほうが大きくなってしまう可能性が検討されます。
ゲームでは「リベラルでない仮定をした上での物語」&「仮想的体験ならではのギミック」⇒「超リベラルな特徴創出」に直結するよう作製可能でした。このようなパターンを検討可能とし擁護することも社会科学の使命です。
「強者」の男女比が50:50でなければいけない、と前提してしまうと、それは「新たにリベラルな特徴創出」につながる試みをどう見ても阻害してしまいます。
表現方法の過度な限定という政治を通すと「知識体系の壊死」が起こります。
表現規制への待望論や熱狂は少なくとも「反知識」であり自由世界の岐路です。
個人主義、市場主義による提案改善サイクルが読み取れる命題に対して「規制への熱狂」に固執することは、「組み合わせ問題の自由度からオーガニックに生じることができる、リベラルな特徴創出」の余地への排斥です。
特定の表象設定について「正しくない、排除するべき」と断定するための命題と検討の量は、カジュアルなものにはなりません。
大衆をちゃんとホットにできる「組み合わせ問題」の検討は産業と知識の力を飛躍させます。その構想はできる限り幅広くなければいけません。
本質的にはジェンダーに全く限定しない命題です。
このような命題も含めて、プラットフォーム企業、ゲーム企業が学術や分析企業と連携を深めてきていることは注目に値します。
一部メディアの時代遅れの恣意性を若者層は感じ取っていて違和感と不満がある、というデータがあります。
「お決まりの左派的党派性」「表現規制を求めるまでがお決まりの落としどころ」と「反知識」の文脈依存しつつ「自己啓発」メディアであることは矛盾に直面すると思われます。
「欠点アリの被害者」に寄り添わないと#MeTooは死ぬ
西尾 拓也
キャンセルという「社会的な破滅」を突き付ける攻撃性は、筆者のように論理や誠実さを無視しての「属性全体の包摂のため」という建付けでは、キャンセル構成論理として正当化不可能どころか著しく不当な言明です。
キャンセルカルチャーの不誠実さを思い知らされ、多くの人が「あなたは私、私は許せない」ではなかったと「特徴の解釈」を変えたことへの反論としてはあまりにひどい論立てです。
専制主義ではないのですから「解釈の恣意性」がどこから来たのかが結局は問われます。
「キャンセルカルチャー」が抱え込んだより深刻な問題、論理性の欠如は日本でも直面します。
「委縮効果」を狙った「表現物、表現者へのヘイト」の蔓延です。
「月曜日のたわわ」議論では、不当な創作表現とする「範囲」をはるかに大きくするための政治的「既成事実」を作ることで「気に入らない表現」を抹殺できると考えたキャンセル側の非論理性が広く批判されました。
「ツイフェミ」という言葉を聞いたことがあると思いますが、もはや論理と向き合っていない危険な政治的欲求について、党派性から首肯するしぐさには限界がきています。
政治的に「キャンセル」することは「既成事実の醸成を含めた恣意性」の行使であり、ミスリードへの加担であるならば言動の責任が伴います。
「創作表現へのヘイト」は包摂への攻撃というだけでなく、自由主義の根幹を脅かします。
新たな特徴解釈による表現は、別の命題に転用される連鎖が起こり、広く「命題と構想」の新陳代謝が早まります。
アニメ表現の深化と進出はUS製コンテンツに影響し、善悪二元論的なプロットからの脱却に繋がったことは知られています。
「非現実が生み出す特徴」創出の連鎖は、キャンセルでも変えられない既成概念やナラティブの悲観的オリエンタリズム的本質を根本的に書き換えるのです。
解釈の多様性に基づいた創作表現の多様性とナラティブの革新は、SNSによる「特徴についての膨大な議論」を通してさらに重要な自由主義の根幹になっていきます。
表現規制の要請を踏み台にしての、ゴシップ的話題性創出のためのキャンセル運動とは全く異なる次元でサステナビリティに関与するモーメントです。
深く考察をせずにキャンセルカルチャーを信頼してきた側も、この観点で深く議論する覚悟が今後は求められていきます。
【激震】アメリカ分断の前線と化した「ディズニー」のピンチ
西尾 拓也
・「表象、特徴」の「意外な共変量」を想定せず読み取らない、無視
・雑に括って害悪と見なす
・規制してしまう
「党派性リベラル」の非科学性問題ですね。
「政治的に正しい典型の特徴量」だけを絶対視し、その正統性とコンフリクトし得る「特徴」を危険分子と捉え直すことを「普遍性を参照した結果」と見なすためには「恣意的な統計」を実は必要とします。
論理的破綻の一例として、社会学の「憎悪の特徴量」では、「表象」に含まれ得る特徴が持つ「多義性」を読み取らないし無視します。別の正統性や「報酬」を前提に計算しなおすとデタラメとなります。党派性を優先し、恣意的な命題設定、恣意的な特徴量採用に基づいているだけです。
xRで美意識が拡張し「政治的に正しい教義」が膨大に追加されるなら、正統性はコンフリクトしても(限定的にしか)失われない、と再定義すべきです。
ポリコレ = 「概念を入れ子の関係性にした機械」と考えると、特定できる概念 ≠ 一致する概念、です。ノットイコールです。
「ある方の個性を縛り付けている特徴(特徴量)」を見つけたい
⇒
それを特定できる概念「ステレオタイプ(特徴の、ある集合)」 ≠
一致する概念(ステレオタイプが持ちうる別の正統性や功利を検討した結果、ポジティブな共変量も推定できるので害悪とイコールでない)
ステレオタイプ害悪説 = 恣意的な統計手法です。
個性の拡張を図るプロセスでは、ポリコレが切り捨てようとしている非典型的な正統性こそが意外性を「残した側」であり、リベラルと経済の接着剤となるでしょう。
「ある方の個性を縛り付けている特徴」を本格的に換骨奪胎可能な代替的特徴を、データからどのように見つけるか。
「ある種の暫定(特徴、特徴量の集合)」を参照可能とし、情報量(多義性)を更にうまく読み取れる高度化によって「エクスペリエンスに優れる別物」を推定可能な統計理論が進展する。正統性のコンフリクトは前提で、それが致命的ではない理由について推定でき、建付けるサジェストがいずれ普及する。
UXを犠牲にしWiki方式、人海戦術で成し遂げるならば現在の理論でも一応可能です。
「政治の公理」が個性の開放を促すかについては、典型の社会学的理論ではつまづきます。
必要なのは、より創造的な代替的特徴を推定可能にする「情報量(多義性)が高度に残されたデータ」です。
【格差】男女が対立。世界一激しい“#MeToo”が起きた事情
西尾 拓也
良い記事でした。
チョ・ナムジュさんの主張の建付けは精緻で、「論敵が粗雑なアジテートをするなら、その度に指弾していこう」というスタンスに見えます。
インタビューでは「女性の台頭を機会不公平だと受け止めてきた」側が「藁人形論法」に走っていることについて指摘しています。
より大きな問題も生じています。「機会創出」を目指す人たちが主体となり、表現規制という「超ド級の藁人形論法」に手を出してしまったことは、ナラティブの決定的な「信頼喪失」につながりました。
大きな運動になると必ず「党派性で善悪を判断してもらえば良い」と考える人が現れます。それに対して甘いと、藁人形論法がはびこります。
一例が「たわわ議論」です。「党派性の熱狂にフィットしてさえいれば、本題をすり替えても良い」という人たちが多く見られました。
「表現規制を熱望した」側のほうに、です。
党派性ばかりを見ていて、本題をすり替えて提案する運動は正統性を失います。運動から正統性を奪う行為だと言えます。
藁人形論法の結果として、「たわわ議論」では「表現規制を望まない者は罰されるべきだ」などと、新たな間違った選民思想が要求されたことは、「機会創出」を目指す側から「ちゃんとした認識の人」を遠ざける結果になります。
韓国における「政治戦」から読み取るべきは、党派性だけで考えさせようとする人に甘くなり、藁人形論法をもって政治的に攻防せざるを得ない状況に変えてしまうと、どうなるのか。
間違った論理を気にしないオピニオンだらけになり、泥沼にはまってしまったら、そこからの立て直しは難しくなる。この観点ではないでしょうか。
【予言】メタバースで結婚?5年後、リアルなデートは消滅する
西尾 拓也
内容の濃い動画でした。
例えば、「ゲームプレイヤー」概念は「交流の敷居」を大幅に下げるナラティブだと言えます。
ここから目的意識を少し変えて「出会いに最適化した」エクスペリエンスはブームを巻き起こすかもしれません。
「ゲームプレイヤー」では敷居が低すぎ、にも拘わらず活動のテーマが複雑すぎたとすれば、引き算主体でも生み出せることはありそうです。
それとアバター社会が浸透した結果、どうなるかですね。美意識はより複雑になり、従来的な「一貫性」の意味合いが変化するでしょうか。
SNSアカウントが1人1個では足りなくなるほどに美意識が複雑化し、これまでとは異なる一貫性の説明のほうがしっくりくるようになる。
美意識に訴求してきたクリエイターたちがこれに気づくのは必然だったかもしれません。
そうすると、カジュアルな出会いの裾野は拡大するでしょう。
「間口広めの、カジュアルデート」で定番化するサービスなども出てきそうですね。
国連女性機関が『月曜日のたわわ』全面広告に抗議。「外の世界からの目を意識して」と日本事務所長
西尾 拓也
表現規制は、強力かつ不可逆的な弊害をもたらします。表現規制を推進する際には、弊害のおそれを仮説立てられる人材登用を条件に加えるべきだと思います。
ハフポス記事で説明された、日経新聞が加盟済みの「アンステレオタイプアライアンス」は以下です。
[ 1 ]Presence 多様な人々が含まれているか
[ 2 ]Perspective 男性と女性の視点を平等に取り上げているか
[ 3 ]Personality 人格や主体性がある存在として描かれているか
ハフポス記事で引用されてきた主張は[ 3 ]についてです。
-
「今回の広告は、男性にとっての『女子高生にこうしてほしい』という見方しか反映しておらず、女子高生には『性的な魅力で男性を応援する』という人格しか与えられていません」
-
広告の元になった漫画を読んでみると、広告で描かれている主人公の女性キャラクターの場合は[ 3 ]は当てはまりません。治部准教授、石川雅恵所長の指摘は事実と異なります。
[ 1 ]と[ 2 ]については、項目の定義が見直されるべきです。
「こういう表象を加えていないから、偏見を助長する」といった考え方は、そもそも厳格な適用をすると、社会に存在する表象や主張をなにひとつ首肯できなくなる胡乱な論理にすぎず、規制原理としての濫用を防ぐための仕組みが整備されなければいけません。
[ A ]映画的コンテンツでは、テーマを的確に伝えるための構成を優先します。登場人物やその属性について、極端に均等、画一主義な精神を保つための「道具」として扱うことでは深まらない特徴、特徴量があることは、Twitterからピンとくるでしょう。
人間の認知力の範囲内で埋もれがちなテーマをフォーカスする手法を認めなければ、テーマは共有されず、改善方法も発見されません。関連する議論を広く誘発するための前提です。
政府、メディア、圧力団体はこの観点をメディア機能と認め、更なるメディアの民主化や議論の拡大に不可欠だとしてむしろ今後は尊重せよと要求しなければいけません。
[ A ]を法制化し、表現規制を推進する際には、メディア、国際圧力団体の活動前提に加えることの必須化を提唱いたします。
表現規制がもたらす弊害に詳しい法やデータの専門家の採用を前提としなければ、人々やAIが掘り下げるはずだった知見の余地を脅かす結果になります。
「将来なりたい職業」が、男女で子どもの頃から違う理由 フィンランドでは調査自体がほぼない?
西尾 拓也
それは、画一的なだけの表象なのか?
ある解釈によって「画一的」と認識された、の間違いではないのか。表現規制論は「画一的な解釈を法的に強いる」ことであり、これは人権侵害です。
表象解釈や概念解釈に「多面性、多義性」を認めることが先決です。
「画一的な解釈を法的に強いる」ではなく、「画一的な解釈を促す」程度であったなら、それを改善するためのサンプルを得る試みだとも言えます。
⇒論点を2つに絞ります。
[ 1 ]表象露出による印象操作的影響の指標としてのジェンダーバイアス
[ 2 ]『消費者の主体性』をより多義的に見出し活用するシステム(デザイン)の影響
情報爆発に伴って、より良い変化をもたらすのは[ 2 ]です。
[ 1 ]の影響を小さくしているのは表現規制の成果ではなく、ゲームの拡大やTwitterでしょう。
プレイヤーの中の人、クリエイター、ツイートした人。女性であるか、を気にするエクスペリエンスの無意味化です。
⇒
表象解釈、概念解釈の画一性にメスを入れるメカニズムがあり、解釈の多義性が個性に直結しています。性差は、相対的に「小さなこと」に変わり無視されています。
表象への「画一的な解釈を強いる」政策は、この多義性を破壊します。
[ 2 ]ゲーム/メタバース産業への期待。エクスペリエンス実装理論からして、「リアルワールド的な関係性の構築方法が主、その他が従となるフォーマット」ではありません。
ゲームシステムがプレイヤーの特徴を見出し、次の施策に反映する一例
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非生得的属性を優先しつつ多義的に解釈可能な命題⇒ 関係する選択肢A1⇒ 関係する選択肢B2⇒ 個性の定義⇒ データセット⇒ エクスペリエンス分析 ⇒施策やパーソナライズに反映
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メタバースで大いに応用されます。個性を読み取るための表象解釈、概念解釈の多義性の確保は、商業的価値とイコールでありR&D領域です。
統計モデリングと相性が良く、AIありきの時代には大変重要なビジネステーマに変わります。
パーソナライゼーションに逆行する学校教育やオンラインサロンのようなフォーマットをもとに、表現規制の最適解を規定する方針は間違っています。
ゲーム/メタバースは市場原理の正しさがそのまま個性フォーカスへの実装改善サイクルです。
表現規制が最小限であることで、社会は価値ある事後確率を手にするのです。
「月曜日のたわわ」全面広告を日経新聞が掲載。専門家が指摘する3つの問題点とは?
西尾 拓也
「治部准教授は誤認ベースの論理展開」なのですが、何を誤認したかを説明していた人は少ないです。
以下のツイートが参考になります。
---
神崎ゆき
@yukinoko811
これ知らない人が多いのですが、性的客体化・性的対象化・性的モノ化された表現というのは「性的要素以外の個性が排除された表現」なので、例えば「個性ある漫画のキャラクター広告」に『性的客体化された表現だ』と言うのは完全に間違い。ただ単に「その人が性的要素しか見ていないだけ」です。注意。
---
長谷敏司
@hose_s
例の新聞広告の件、性的刺激だけを意図したものではない複雑な表現なのに、そこばかり抜き出されている。料理人が出汁をとって工程を計算して作ったものを、「塩分が好みより強いから塩水」とするようなもの。その塩水から塩以上のものを受けとるお客さんが、きちんといる。
---
"性的刺激だけを意図したものではない複雑な表現"
"その塩水から塩以上のものを受けとるお客さんが、きちんといる。"
"性的客体化・性的対象化・性的モノ化された表現というのは「性的要素以外の個性が排除された表現」なので"
"「個性ある漫画のキャラクター広告」に『性的客体化された表現だ』と言うのは完全に間違い。ただ単に「その人が性的要素しか見ていないだけ」"
⇒
・治部准教授は「この作品からは、人格や主体性を読み取れない」
「女性という属性を対等に扱わないための印象操作しかない」
と主張しますが、教授は「様々な表現意図で表された人格や主体性をあえて無視」しています。
・広告の作品が「個性を徹底的に排した恣意的なカリカチュア」ではないことを治部准教授はあえて読み取っておらず、誤認をもとにした論理展開です。
「黒人を差別するために、個性を排除したカリカチュアを作って社会のステレオタイプへの傾倒を強化」というような認識です。
・打ち出された個性よりも属性への徹底した敬意を優先させる思想は反個人主義です。
・MANGA、ANIME発の偉大なナラティブの多くは個性を主に、属性的背景を従にしても良い個人主義指向の産物です。打ち出された「個性」が様々な属性的背景を「食う」試みこそが、21世紀的な洗練されたナラティブをもたらしました。
「属性」ありきの革新史観では、ナラティブの革新者が何を代替したかを示すSNSデータと矛盾するはずです。
NORMAL
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