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五輪聖火リレー福島からスタート 大会理念「復興」象徴
Takehara Eisuke立教新座中学校・高等学校 教諭
賛否があり、意見がすっかり分かれてしまった東京五輪。
開催することが正しいのか、中止にすることが正しいのか。
努力してきた選手もいる。
その選手の舞台を整えてきたスタッフ、建設、委員会などがいる。
一方でコロナ禍で苦境に立たされている人がいる。
命を救おうと休まず動き続きてくれる人がいる。
誰もが自分の人生を歩んでいて、互いに尊重する心や姿勢は忘れてはならない。
五輪側は開催できる感謝と尊敬の念を
私は選手にも耐え忍んでいる方々にも感謝と尊敬の念を。
五輪開催が正しかったと言えるように、
五輪中止が正しかったと言えるように、
それでも、
皆がハッピーになるのは新規感染者が0になること。
五輪開催の議論よりすべきことは、皆が行動すること。
『報ステ』がCM動画を削除して謝罪。「ジェンダー平等を掲げるのは時代遅れ」の表現に批判集中(声明全文)
Takehara Eisuke立教新座中学校・高等学校 教諭
報道番組のCMとして何を伝えたかったのでしょうか。
「『ニュースとか全く見てません』という雰囲気を出すのに時事問題は抑えている」というような女性をイメージして制作して、そういった層を取り込もうという意図でしょうか。
多くの大人が関わって制作する中で同一の価値観を持った人間や制作にあたって皆が始めから関わっていると見落としてしまうこともある。
確認する人間の多様性や多角的な見方を持った人物など、方策や対策は取れることと思います。
ただ、制作の裏側に何があるのか一視聴者にはわからなく、もしかしたら視聴者の女性の割合が低いからニュース番組を見ていない層に見てほしいという理由があるのかもしれない。制作陣の中にいる女性たちは制作の意図を知った上で特にジェンダー問題に触れるとは感じなかったかもしれない。
私はキー局の長く歴史のある報道番組が女性差別を意図としたCMを作ることはないだろうと思っています。
「正しい」は本当に難しい言葉で、発信者が意図していないものを受信側が受け取ってしまうこともあり、噛み合わないことがあります。
発信者は「そんなつもりではないんだ」と言ったとしても
受信側は「もうお前とは付き合わないから」
こういう経験をした方もいらっしゃると思います。
ましてや15秒や30秒で伝えなければならないCMの中でメッセージを削った結果、意図しない捉え方をされたということもあります。本当に難しい。
また、こんなにも批判が集まったときに、CMで女性を起用しづらくなったとか表現の単調化などに繋がるのではと感じるところもあります。
批判で終えるより、「この伝え方は女性を馬鹿にしていると捉えてしまう方も多いかと思いますので、セリフを◯◯にしたほうが良いと思います」とか伝えながら、発信の仕方を皆が考え、教え合い、学んでいきながら日本という国がもっとライジングできる雰囲気を作っていくのが良いと思っています。
このような批判は回避を生み、触らぬ神に祟りなしとして皆が考えるべきジェンダー問題や女性差別問題を見て見ぬふりをしてしまうことが最も避けるべき状態だと思います。
若者が不安の「望まない孤独」、過去最多の自殺…コロナ禍で政府が対策案
Takehara Eisuke立教新座中学校・高等学校 教諭
中学生・高校生のときにたくさんのことを見聞きし、社会への関心を高めたり、自分の可能性を測ったり試みたりする時期。
いわゆる「中学生(高校生)らしい遊び」に制限がかかり、部活もなかったり、一人考えてしまう時間が、おそらく私が中高生のときよりも多く持ててしまっていることが大きな要因なのかもしれない。
資本主義が生まれて鬱という症状が生まれたと言われるように、考える時間が多ければ多いほどそういったことに陥ってしまう可能性は高くなるのだと思う。つまり、「一人で考える時間が少ない=孤独の時間が少ない」ということ。
身体的距離が近い時間が長く持てるときが一日でも早く戻ってくることが望まれる。その一方で、今できることは、孤独感を持っている子どもたちに周りが気付き、声をかけ、大人でも同学年でも同年代でも手を取り合って分かち合うことが必要なのだろう。昔から言われていることだが、今はそれが求められている時なのだと思う。
「3/7に東京も解除」で調整 政府“今週金曜に決定”の方向
Takehara Eisuke立教新座中学校・高等学校 教諭
第三波は2回目の緊急事態宣言で、下げ止まりと言われながらも一定の効果は出したと言える。
1回目と2回目の緊急事態宣言で何が見えたかというと、
・マスクを外す飲食を共にする機会を制限することで感染の可能性を減らすことができたと思われること
・2ヶ月間の緊急事態宣言でも新規感染者数は約300人のラインで止まったこと
・1回目では人流は制限でき、2桁まで減らすことはできたこと。一方で2回目では変異株の影響もあったことから300人の数で推移したのか。
・テレワーク推進と言いながらも1回目に比べたら2回目は進まなかったこと
つまり、コロナ禍における「新しい生活様式①」は、
飲食には制限をかけながらも
人流はそのまま(大きな減りはない)で、
マスクや手洗い、消毒を徹底する
ということでは0には程遠いということが考えられる。
新規感染者数0人にする「新しい生活様式②」はこれに、
・(年に数回の?)ワクチンを打つ
これを加えなければならないのか。しかしインフルエンザの予防接種ですら50%程度の現状から新型コロナウイルスのワクチン接種率はどの辺りになるだろうか。
強制力を持たない日本の方法ではここが限界なのか。
私たちはワクチンの助けなしでは、同じ島国の台湾のように新規感染者0人にはすることができないのか。
デジタル教科書導入24年度目標 文科省の有識者会議
Takehara Eisuke立教新座中学校・高等学校 教諭
教科書がデジタルになることは1つ教育の進歩ではある。
しかし、こと「本」に置き換えたとき、紙と電子書籍、どちらのほうが見やすく使いやすいかを考えてみる。
ポータビリティなら電子書籍かもしれない。UIの面ではまだ課題はある。
学習するにはどうだろうか。
・毎日学校で6時間画面を見るかもしれないと考えると、健康面に悪影響はないのか。
・盗難、破損から保証はどこまでなのか。
・1画面では教科書もノートも資料集もテストもというわけにはいかない。教師がデバイスで何を見せ、どのように利用し、学力向上を目指すのかを個々が設定しないといけない。
・そのデバイスは何年使用することを前提としているのか。スペックはどこまでを求めるのか。
・アプリを使用するなら何を使うのか。
・タッチペンは使うのか。
・そもそも「ランドセルが軽くなる」という理由なら1人2冊ずつ教科書を配るのは?家庭用と学校用。持ち運びはプリントとノートのみ。
紙には紙の良さがあり、学習では絶対に必要なもの。デジタル機器導入が目的ではなく、一人一人の教師が手段として最適なものを選択する必要があり、「俺は紙でやる」ということも容認していく幅の持たせ方は必要である。
「インドア農業」コロナ禍で脚光、投資・参入が加速
Takehara Eisuke立教新座中学校・高等学校 教諭
無料の太陽光を人工光に変え農作物を育てることが、未来の子どものスタンダードになるかもしれないと思っている。
管理システムは従来の農業より費用面は気になるが、安定した環境で安定した供給を担える方法だと思う。
現在は葉物野菜のみということだが、その一方で、例えば「ふかうら雪人参」のように厳しい環境下だからこそ、その甘みを作り出す品種には出会えない。
かぼちゃなども過酷な環境下だからこそ素晴らしい味わいの品種が育ち、価値がある。
すべての農作物が室内で育つわけではないが、これがスタンダードになったとしても、素晴らしい品種があることを知り、その季節ならではの味わい深い野菜や果物の栽培も継承され消費者に届けられることを祈ります。

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