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入山章栄と落合陽一が語る 都市のあり方と持続可能性の結びつき
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広瀬 友香
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【猪瀬直樹】東日本大震災の教訓。「偶然を必然」にするために
NewsPicks編集部
広瀬 友香
あの日、アメリカにいました。 現地のテレビで、それもあらゆるチャンネルで津波の映像が流れていて、何だこれと思った瞬間、「Japan Earthquake 」のテロップが。 さらに早口のアナウンサーがまくし立てる中から「ツナミ」「センダイ」「ケセンヌマ」を耳が拾って、何かを思うより早く涙が出たのを覚えています。 友人や知人が幾人も住む二つの町に巨大地震と、津波。 その瞬間、仙台と気仙沼だけではないかも知れないと思って、他の沿岸部に実家がある友人にメールしたら「東京は大丈夫。でもどうしよう、実家は絶対に津波が来てる。電話が通じないの。お母さん死んじゃったらどうしよう」と痛切な返事が来て、心底絶望しました。血の気が引きました。 あの時ほど自分が無力で、蚊帳の外にしか居場所がないことを痛感したことはなかったと思う。 彼女のお母さんはその後無事が確認されていて、今もお元気です。 近所の人達数人に声を掛けて、「津波が来るよー!!すぐ逃げてー!!」と大声を上げながら一緒に最寄りの山へ走ったそうです。 そして東北の、雪が舞う山の中で、寝ずに夜明けを待ったそうです。 それでも同じ地域の方々が多く亡くなり、「あの時、まだ津波は来てなかったんだ。もっと声をかけに行けば良かったかな」「何もかも、ごっそり持っていかれた。海は怖い。だけど、海がないと生きてこれなかった。」とこぼしているという話を聞くたびに胸が痛い。 幾度となく津波に襲われてきた地域でも、多くの犠牲者が出てしまう。 助けたい気持ちにかられても、それがかなわない。 そんな時、猪瀬さんの判断でヘリが飛び、結果として数百人が救われたということを知ったのは今ですが、なんだかあの時の私まで救われた心地がします。ルールがどうの、前例がないだの言って何もしていなかったら、犠牲者が増えていたかも知れない。 猪瀬さん、ありがとうございます。真に国を思い、人を思う尊い方であると思います。
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