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凡人ほど"得意"に執着して、人生が先細る
疇地 仁裕疇地心理研究所 所長
この手の記事を書く方は『結果』を取り上げてそのプロセスや条件を帰属させようとする傾向があります。
その時にその帰属先が帰属錯誤に陥っている場合が多いと思います。
或いは、因果関係がないにも関わらず相関関係だけにとらわれて第三のファクターを見逃していることもよくあります。
「嫌なこと」と感じることを積極的にしなければいけないのは、その事が『嫌だと感じている人のみ』であることに気づくと良いですね。
本当に偉業を成し遂げている人は意外と嫌だと感じていなかったり、嫌だと感じるラインが多くの人より高かったり、嫌だと感じるポイントが多くの人とは違う部分にあったりするのでしょう。
『上手くいっている』と言うある意味結果である現象だけを見て、それを行っている人と同じ行動をしなければ成功しないと考えてしまうのでしょうね。
人生は苦労した方がいい? 「楽して生きてはダメ」の一方で「わざと苦労させようとするやつはクズ」という声も - キャリコネニュース
疇地 仁裕疇地心理研究所 所長
苦労を苦労と捉えるのは、それを苦だと感じている人。
つまり、行動している当の本人は苦労だと感じていない可能性があります。
しかし、それを見ている人が「そんな苦労して大変だね〜」と思っているということがあります。
それと本当に本人も嫌で苦労だと感じていることと混同してしまっている傾向にあると思います。
大体自分の思いを遂げている人達って、今までやって来た事を苦労だと感じていない人が多かったりするものです。
楽しくて没頭してしまう、振り返ると偉業を成し遂げていた。
したがって「思いを成し遂げるためには苦労も必要だ」と言う考えは、間違いであると言えそうです。少なくとも『その限りではない』と言えるでしょうね。
苦労が必要だと言う考えを伝えていくから『苦労しなければならない』と考える人達も増えてしまうのではないだろうか。
イージーカム・イージーゴーだから、苦労したものほど大事にするのだ!
と仰っている人もいましたが、イージーカムは悪いことではない。
逆にサンクコストとなって損切りできないと言う現象も起こることに注目すべきかもしれませんね。
日本のミレニアル世代、キャリアの最優先事項は「高い収入」
疇地 仁裕疇地心理研究所 所長
何を以って働く喜びとするのかは人それぞれだとは思いますが、高収入が目的とする人の割合の多さに少しがっかりしてしまいました。
それなら一生生きていくのに困らない程度のお金があったら働かないかと言われたら、それでも働くだろうと答える人が多いのです。
そこには『働く目的』の違いがあるからです。
今、高収入と答えた人はまだ自己実現的なフェーズに至っていないだけだといえるのではないでしょうか。
特にこの調査の対象が若年層にあることからもそう言えると思います。
また、専門的なスキルを身に付けたいというのも、自己評価の低さが漂ってきます。専門的なスキルで武装しなければ自己の効力が発揮できないと感じている裏返しだとも取れなくはないですから。
また、専門家になれば高収入が見込めたり、ITに取って代わられないという考えもあるのではないかと思いますが、専門的スキルというよりも『創造性』を培ったほうが良いような気がします。
まぁ、それもこれもそんな若者の手前を走っている私達が手本を示さないといけないと感じる記事でした。
仕事があるのに残業せず帰る「勘違いワークライフバランス」が増えすぎている(横山信弘)
疇地 仁裕疇地心理研究所 所長
ここ最近残業の話題が世間を飛び交っていますね。
今回この記事を読ませて頂いてとても違和感を感じました。
この記事の内容は論理が破錠しています。
①「とにかく結果を出せ!」と結果を求める。
②「残業をするな!」なぜなら目標を達成する人は残業をしないから。
従って『残業をしないで結果を出せ!』
となっていますが、この中に問題が隠されています。
それは②の部分で「目標を達成する人は残業をしない」とありますが、目標を達成する人が残業をしないのではなく、残業などしなくても仕事をこなせる人だから目標も達成できるのです。
つまり、その人の能力が高いから残業などしなくても仕事はこなせるし、結果も出せるということです。『その人の能力』という第三の係数が隠されているのです。
そのレベルにない人に対して仕事の質や結果、仕事をこなす時間の短縮、あるいはその両方を求めても土台無理なのです。
会社はそこを求めるのであれば、従業員をそのレベルにまでしっかりと育てる必要があると思います。
それを怠って結果や時間短縮を求めてもダメなのです。
従業員の方も、常に自己研鑚が必要になります。様々なスキルを習得し、エンプロイアビリティを高めることが大切です。
表面的に現れている現象(残業過多や過労問題)のみに着目し、物事をミクロに見ても解決に至りません。それはただの対処(対症)療法に過ぎないのです。
のどが痛いと病院に来て「それはいけない」と喉薬を処方する。そうすると翌日にまた熱が出たと来院するのです。
何ウイルスが潜んでいるのかを突き止め、そこにアプローチしなければ、手を変え品を変え様々な症状(現象)となって現れます。
もう少しマクロ目線で、抽象度を上げて物事を捉えると良いのでしょうね。
電通 社員心得「鬼十則」手帳への掲載取りやめ検討
疇地 仁裕疇地心理研究所 所長
この鬼十則、私も以前サラリーマン時代に自分の机に貼って毎日見ながら仕事をしていたものです。
とても私の支えになってくれたことを今でも思い出します。
この鬼十則を手帳から消してしまうという事ですが、鬼十則が問題なのではなく、この先人の教えを正当に解釈し、受け継いでいない現在の重役たちやそれを是としている社の風潮が大問題なのである。
いみじくも現代の宗教の教えなども同じ事が言えると思います。
釈迦やキリストは戦争や殺し合いなど推奨している訳もなく、その教えを間違って解釈し、実践してしまっている。更に、その間違った解釈を後進に強制して来た結果が現在のテロや戦争を引き起こす我々になっているのです。
つまり、先人の教えに立ち返り、正しい解釈の基に正しい実践をし、正しい結果を得るというサイクルに戻す必要があるのです。
仏教の教えに『諸法無我』というのがあります。
これは、諸々の法(教え)に意味や実体があるのではなく、それを実践し経験を得る事に意味が発生するのである。というものです。
まさしくこういう事を言っているのでしょうね。
従って、鬼十則を「これが問題なのだ」と手帳から消してしまう現在の電通の経営陣は、相当問題ありでしょうね。
こんなことを言ったら私も干されるのかしら…。
ユニフォームの効果──ポスト資本主義時代の起業術
疇地 仁裕疇地心理研究所 所長
制服というのはとても共通意識を持つのに優れています。が、反面個性を出しにくくするという面もあります。
タイだったかフィリピンだったかのある日本企業で、現地採用したスタッフの素行が悪く就労意識も低かったので、現地の責任者がスタッフにユニフォームを与えました。
すると、みるみるうちに愛社意識が生まれ、チームワークが生まれ、その企業のスタッフらしい振る舞いに変わっていったといいます。
これは、アメリカの心理学者フィリップ・ジンバルドーが行った心理実験で、スタンフォード大学の地下に監獄を造り、そこに雇った看守役と囚人役を配置し、観察するというものがありました。
この実験は見事に囚人役の暴動で大失敗に終わったのですが、結果としては心理学会に大きな衝撃をもたらしました。
それは、人は役割や服装で人格がいとも簡単にに変わってしまうということです。
また、制服は個性を消すという役割も持っていますので、その職業や役割意識をもたせやすいということでしょう。
110番して駆けつけてきた人に『鈴木さん、こちらです』とは言わないですよね、きっと殆どの人が『お巡りさん、こちらです』と言うはずです。
そこに個人はいらないからです。
同じようにビジネスの世界でも、よく「〇〇さん」と名前ではなく所属会社の屋号で呼ばれることがあると思います。
それも同じことで、先方は(少なくともその段階では)その個人を見ているのではなく、「所属会社の人」として見ているのです。
従って、制服を着用している職業や役割に就いている人は、個性を出そうとするよりも、その集団が担う役割を理解し『らしく』振る舞うことが上手くいく秘訣でしょう。
ビジネスマンとしては早く自らの『個人』を知ってもらうことでしょうね。
そういう意味でも、男性のスーツについては「ビジネスマン」という役割だったのでしょうが、もはやファッションと化しているのも頷けますね。
マナーの領域にあって、その役割意識も薄らいでいるのでしょう。
反対に、ビジネスマンを表現する物としては別のものが代用されてくる(来ている)のかも知れませんね。
オリラジ中田敦彦が語る仕事と子育て 「空気を読まないで、時代を読んで発言する。僕は早く帰ります」
疇地 仁裕疇地心理研究所 所長
育児の問題は永遠のテーマのような気がしますね。
そもそも、夫婦とか男女とか分けて考えるからややこしくなるのだと思います。
例えば、イクメンだと言っている世の男性諸君は、もし自分が父子家庭だったら・・・、と考えたことがあるだろうか。
もし父子家庭なら四の五の言ってられないと思うのです。
逆に、育児に参加してよ!と嘆いている世の奥様方は、もし旦那様がいなかったら・・・、と考えてみた時にどう感じるだろうか。
実は私は息子が生まれた月に勤め先を退職し、無職になりました。
ですのでまるまる育児を体験することが出来たのです。
それはもう大変な仕事でした。ある時泣きやまない息子を抱えて『このまま地面に叩きつけたら静かになるかなぁ・・・』と考えたこともあります。
その様な体験を世のイクメンと言っている男性はしているのだろうか。
わたしは、社員研修に育児体験を入れたら良いと思います。
奥様方はどれだけ自分の時間を削って子供に向き合っているのか、それに加えて家事もこなすとなるともう至難の業です。
毎日毎日戦争の様な日々でしょう。
しかしながら、旦那様は旦那様で『お手伝い』を一生懸命しているのです。
奥様からすれば
「そんなものしているうちに入らないわよ、ちょっとしたぐらいで育児や家事を語らないでほしいわ!」
と言いたいところでしょうが、そこは役割が違うところなので、理解してあげて欲しいと思います。
まぁ、一度夫婦の役割を交換して1ヶ月ほど過ごしてみれば、その夫婦のありかたをどの様にすれば良いかが見えてくるのではないでしょうか。
私は、空気を読むとか読まないとかの話ではなく、もっと根本的なことだと思います。
マインドフルネスと禅、その決定的な違いは何か?
疇地 仁裕疇地心理研究所 所長
マインドフルネスと禅の違いなどないと思います。
禅というのはそれこそ悟りに向かうような状態になることだとすると、マインドフルネスというのはその方法だと考えます。
しかも、生活全体に広がっているというのも両方同じことです。
「人はあまりに無意識的に生きているので、それを常に意識的に生きましょう、その練習をしましょう」というのがマインドフルネスで、そうすることによって負のサイクル(悪循環)を断ち切り、正のサイクル(良循環)に変えていく方法の1つです。
そして、負のサイクル(悪循環)を起こしていた自分の『在り方』に気づき、『何者でもない』ことに気付こうとするのが禅ではないかと考えます。
何者でもないからこそ何者にでもなれる・・・。
これが本質だと思います。
NORMAL
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