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五輪ボランティア、不満と不安 「コロリンピック」罵声も
共同通信
小辻 寿規立命館大学 共通教育推進機構准教授
ボランティア関係の授業や講習でお話する時には、ボランティアは必ずしも、全ての人から称賛されるとは限らないという話をしています。 人によっては、邪魔と感じたり、害悪と感じるボランティアがあるし、そういう状況になる社会背景も考えないといけないと伝えています。 今回のオリンピックのボランティアみたいに辞めて欲しいと願う人がいる活動は特にそうでしょう。それでもボランティアをしてオリンピックを成功したいという強い想いがあるから、この記事の40代の女性会社員は6月下旬、選手村で研修を受けに行ったのではないでしょうか? 電車内で乗客から「五輪のせいで死人がたくさん出るんだよ」と言われ、女性に向かって「コロリンピック」と叫ぶ人もいた。「恐怖を感じた。なぜそんな言葉を浴びせられなければならないのか」と憤る。 と記事にはありますが、この女性に意見を言った人達もまた憤っているのではないでしょうか。 この女性がオリンピックのボランティアを辞めずに継続されるのでしたら、反対派に憤るのではなく、ユニフォームで自宅から向かう問題点をしっかりと大会実行委員会に伝える方が未来につながると思うんだけどな。 でも、ボランティアだって人だからね。使用者側はその点だけはしっかりと留意して欲しいと思う。
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京の風物詩「大文字」を勝手に点灯、大規模ないたずら? 騒然、憤る大文字保存会 京都府警にも相談
京都新聞
小辻 寿規立命館大学 共通教育推進機構准教授
なんだかなあというニュース。五山送り火に関してはいくつかの保存会に親戚や友人が入っているので、あまり他人事ではないです。 前置きはさて置き、一部の京都人にとっては送り火は宗教行事としても特別なものです。基本的に保存会のメンバーは寺の檀家が世襲でなります。実家が保存会のメンバーであった私の祖母は毎年、大切な宗教行事としてその日を迎えていました。そのことを思い出すと個人的には許せるものではないです。 その一方で政治や観光にも度々利用されてきたわけです。点火時間が観光業界からの要請されて固定されています。気づけば、宗教行事からお盆の終わりを告げる風物詩としてのイメージが強くなった気がします。個人的には2000年の12月31日に京都市の「21世紀幕開け記念事業」の一つとして行われた際にはお盆じゃないのに何でするのかと絶苦しました。檀家のものではなく、京都市民の楽しみに完全になったのです。しかし、あれ以来、宗教行事ではなく、京都の人たちを楽しませる風物詩として考えてしまうことが多くなりました。 そういう立場でみると今回の点灯も風物詩として市民を楽しませようとしてくれていたと感じる市民が多くおられることにも納得できます。 コロナ禍が五山送り火は宗教行事なのか夏の観光資源なのかという曖昧にされてきた問題を改めて突きつけた気がします。どうしていくべきか、保存会と行政でしっかりと話し合ってもらえればと思います。なあなあにすれば、今回の犯人への非難は難しいかと。
10万円の給付金 申請や給付の時期見通せず 京都市、システム開発や作業場確保に時間
京都新聞
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