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スクープ! 朝日新聞が遂に500万部割れ 実売は「350万部以下」か
Kurauchi Yoshiro中小企業診断士
「スクープ!」に値する驚きもなく、また大した取材や裏どりもしていない印象を受ける記事。デジタルも含めた無料・有料のフリーミアムで俯瞰したら「部数が減った」分の「影響力が落ちた」でしょうか。また「紙の購読部数が減った」を経営面で言うなら「財務がこう悪化した」まで書くでしょう。紙の新聞広告に影響はあるにしても、日本の新聞社は定期購読収入が主ですから第二収入の減であり、定期購読が減れば印刷も減る=原価・変動費減とすれば、大きそうな固定費を賄う財務体質にすることで経営は続けられるのでしょう。それを不動産で賄うのが朝日新聞だとして、代替する収益源を作りたいのは社会構造の変化に変革を迫られる自動車や金融といった業界も同じ。中身がないか、語彙力のない言葉で中身と釣り合わない装飾をする情報は、書き手の社会観が、こうした変革前に置き去りにされているから?表層から根源にたどり着こうという意思が「取材」という行為なら、VUCAの社会に「取材」ほど大切なものはないなと感じます。報道に限ったことでなく、ビジネスもまた「取材」的要素が不可欠だから。相手に伝わる「言語化」もしかり。
広告がジャーナリズムを壊すのか?メディアが持っている3つの社会的価値とは〜夏野剛×津田大介×瀬尾傑×関口和一×蜷川聡子
Kurauchi Yoshiro中小企業診断士
「広告が」で壊れるジャーナリズムも細部にはあるんだろうけど、それ以上に壊すのは、職場ジャーナリスト自身じゃないでしょうか。批判精神の持ち方とか、スポーツ系の感情報道とか、昭和のまま世間ズレしていると、報道職場の中にいるマスメディアの記者には気付けないか、認めると自分が存在できないのではないかと思えてきます。平安時代の貴族の歌詠みみたく、世間から区切られた世界で古文のような和歌を綴って仲間内と「いとをかし」と褒め合うだけじゃ、民衆の日常会話からすれば乖離している。ネット上に現れて、民衆のページビューに喜んでいるのも、結果的には区切られた世界からでしかないから民衆に見透かされて。
ジャーナリストが、例えばコーチングを学べばどうでしょう?ただ分断を生む批判論調やティーチング的な社説や文体から変わり、それでやっと津田さんの言われる「フォーラム」に近づくのでは。そして、世の中はas a serviceの時代。「読ませる」とか「見させる」でなく「使ってもらう」発想の方が、身近かつ必要な存在になれるかもしれません。
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