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日本人がもつ「儲け」への背徳感が、研究も事業も停滞させている
Diamond Online
永・緑 ・樹
「価値を作り出すところと、お金をもらうところとを、離せば離すほどいいんです」という松尾氏の意見は、正論に聴こえる。しかしその領域を大半が理想論を占める国もあるのではないかと考える。 これは社会的責任を不断に専門職にある人々が如何に日常認識しているかにかかって来る。それは努めて自らの研究の意義とその先の可能性を客観視しているかにも大きく関わる。そしてその事は周囲が個人の研究者に圧力をする様な空気を持たないという社会的約束事に於いて成立しておかなければならない。つまり平たく言えば教養ある大人の社会である事が前提である。 その上でどの様に研究費を捻出・確保して行くかのシステムが必要となる。また全ての研究を肯定していては、財源は持たなくなるのも現実なのだから、研究者自身もその工面に知恵を働かす幅を持つことは大事である。(勿論資本提供で、研究者の本道を曲げられぬよう社会的コンセンサスを一般が共有し、その契約観念も醸成化して行かなければならない。)その為に大学が凡ゆる方面に窓口を開き、助成を受ける仕組みと管理を厳格化して整える必要性がいる。出来ればその分野の営業職を専門に置くべきである。但し何処かの大学の理事長が全権を都合に運用する様な組織であっては成らない。 余談だが、個人的には成金資本家が、もう少し社会というものの視野を広げ、様々な研究者と交流することを見識に据えては如何かと思う。それでやっとこ、その国の文化程度も世界と肩を並べる位になるのだ。 お金の運用は財源確保のテクニックに過ぎない。その事と担うべき専門分野を通した儲けはまた別なのである。その意味に於いては、「価値を産む場所と、お金を産む場所」を離しておくことはとても重要だと思う。価値生産はシステムて割り切れないがお金を産むことは粗システムが勝る。
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残念だけど、誰もあなたが作る広告に興味はない 迷子のクリエイターたちに送る6つのアドバイス
JBpress(日本ビジネスプレス) JBpress 最新記事
永・緑 ・樹
口では尤もな事を言いながら、実は芯の部分で広告をひとつの表現媒体として自分の作品の発表の場に勘違いしていた広告代理店のクリエイターなる者は多い。テレビ全盛の時代は、画面に映るだけで、有名な俳優を起用するだけで、テレビの効用があり、其処に景気が消費を促しただけの事で売上げは伸びた。 本当に広告の効果はその製品自体に魅力があって、其処に顧客が魅了されたに過ぎない。偶々その製品に力があり広告が面白かったことが広告マンを勘違いさせて来たのである。大体広告で物が売れたとか一度でも計量分析がされた試しがない。話題になったから売れた?というが、人の心理は何に触発され行動するのか、モニター調査でアンケートやインタビューの回答で示された結果と心の中が同一とは限らない。 広告と多分野のモノづくりの現場をひとつに論じる馬鹿らしさには頭が痛くなる。全てのモノづくりがウケを狙って造る物でもない。提供したい物、訴えたい物があればそれを追求すればそれで良し。製作者の物作りはヒトとの間にしか存在価値を産まない。それが喩え自分の為に製作した物であってもである。 その基本を忘れた物に存在する意味などない。喩え工業製品でもそれは同じ。そして広告はその製品・作品の本来的な事だけを伝えれば良いこと。そこに「てにをは」の表現テクニックが加味されるだけではないのか。其処を有頂天にクリエイター等と片腹痛い。何でもかんでも目立つウケる等どうでも良いのである。そういう時代はもう過ぎるだろう。明確にその製品・作品の目的と説明を求められる時代が来る事に気付くだろう。顧客も製作者もそれを認識しなければならない時代が来る。純粋に面白いを求められる楽しさを売る場や物はそれを追求・訴求すれば良いが、モノづくりの製作サイドは何をしたいのか独善で明確に発信すればそれで良い。後は淘汰が働くだけである。何故ならごく限られた者だけが各分野の製作専門家であった時代は終焉したからである。 全ての人が技術を手にして発信者へと転身できる分野の裾野は今後も広がり続ける。その時代は受けよりも個性が前にでる。それを面白がるのは発信者の意図とは別のところで生じる。逆に意図した面白さは作為的と見なされ興醒めされる。クリエイターだかなんだか知らんが技術と思想の無い物に魅力など宿らない気がする。そんな物は、殆んどペテンか詐欺のコンサル業と変わらんと思う。
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【RPA業界レポ】ロボットと協働するための業務フローを再設計せよ
永・緑 ・樹
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