残念だけど、誰もあなたが作る広告に興味はない 迷子のクリエイターたちに送る6つのアドバイス
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口では尤もな事を言いながら、実は芯の部分で広告をひとつの表現媒体として自分の作品の発表の場に勘違いしていた広告代理店のクリエイターなる者は多い。テレビ全盛の時代は、画面に映るだけで、有名な俳優を起用するだけで、テレビの効用があり、其処に景気が消費を促しただけの事で売上げは伸びた。
本当に広告の効果はその製品自体に魅力があって、其処に顧客が魅了されたに過ぎない。偶々その製品に力があり広告が面白かったことが広告マンを勘違いさせて来たのである。大体広告で物が売れたとか一度でも計量分析がされた試しがない。話題になったから売れた?というが、人の心理は何に触発され行動するのか、モニター調査でアンケートやインタビューの回答で示された結果と心の中が同一とは限らない。
広告と多分野のモノづくりの現場をひとつに論じる馬鹿らしさには頭が痛くなる。全てのモノづくりがウケを狙って造る物でもない。提供したい物、訴えたい物があればそれを追求すればそれで良し。製作者の物作りはヒトとの間にしか存在価値を産まない。それが喩え自分の為に製作した物であってもである。
その基本を忘れた物に存在する意味などない。喩え工業製品でもそれは同じ。そして広告はその製品・作品の本来的な事だけを伝えれば良いこと。そこに「てにをは」の表現テクニックが加味されるだけではないのか。其処を有頂天にクリエイター等と片腹痛い。何でもかんでも目立つウケる等どうでも良いのである。そういう時代はもう過ぎるだろう。明確にその製品・作品の目的と説明を求められる時代が来る事に気付くだろう。顧客も製作者もそれを認識しなければならない時代が来る。純粋に面白いを求められる楽しさを売る場や物はそれを追求・訴求すれば良いが、モノづくりの製作サイドは何をしたいのか独善で明確に発信すればそれで良い。後は淘汰が働くだけである。何故ならごく限られた者だけが各分野の製作専門家であった時代は終焉したからである。
全ての人が技術を手にして発信者へと転身できる分野の裾野は今後も広がり続ける。その時代は受けよりも個性が前にでる。それを面白がるのは発信者の意図とは別のところで生じる。逆に意図した面白さは作為的と見なされ興醒めされる。クリエイターだかなんだか知らんが技術と思想の無い物に魅力など宿らない気がする。そんな物は、殆んどペテンか詐欺のコンサル業と変わらんと思う。
注目のコメント
日下さんがご自身を「圏外コピーライター」とおっしゃっていました。
ゲームのルールに則りファイトするプレーヤーを目指すか
ゲームのルールを自分で変えてしまうプレーヤーになるか。
前者のほうがお手本が周りにたくさんいるので目指したくなくもついトーナメントに出てしまう。
そしてヘトヘトになる。
そんなときに日下さんのようなルールを変えてしまうタイプに出会うと肩の力の入らなさがとても眩しい。謙虚謙虚。
あなたは人が作るものに興味があるだろうか? ごく一部にしか興味がないはずだ。だからこそ謙虚にならなくてはいけない。慎重に、注意深く進めなくてはいけない。見てもらうためにはどうしたらいいか。それを考え始めたなら、あなたは一字一句丁寧に、サービス精神を持って、何かを作り始めるだろう。誰かが見てくれるかも、といった甘えを捨てて。それこそがクリエイティブのスタートである。肝に銘じたい。
だいたいの人は他の人に興味はないと思った方がいい。
広告に限らず、日常の会話で自分の事を話し続ける人も、面接で長々と自己アピールする人も。
そうすると自ずと話し方が変わる気がする。