ホーム
38フォロー
30フォロワー
「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由
Nishimura ShoPrivate high school mathematics teacher
80年代前半に地方都市で生まれた私にも共感できる話ではあります。
私の場合は生まれが県庁所在地でしたので、この話よりは状況は大分ましですが。それでも中心市街地まで片道30分の地元からすると、中心部の人と文化的格差を感じていました。学生時代に大阪に出た時には別世界に来たと驚いたのを覚えています。
ただ、この方の自称する「底辺校」は本当の意味では違いますよね。釧路市も日本中の過疎地域の多くよりはかなり恵まれていますよ。
それと、ネットの普及は「機会と想像力の不在」を「知る」ことを可能にしたという点でかつての状況とは異なります。そういう意味では技術の進歩は文化的意識継承の格差問題を乗り越えるきっかけになるかもしれない。
受験は団体戦。下位層を育て、仲間から刺激される仕組みを作る
Nishimura ShoPrivate high school mathematics teacher
結局入り口の段階で選別しているからできる後付け話なんですよ、これ。
そりゃ有名私立と比較すれば難易度は低いでしょうけど、都が肝いりで進めた学校改革の本丸の日比谷に「下位層」の生徒はいません。入学者自体は他府県のトップ校に遜色ないレベルですもん。
この程度のことはある程度の熱心な進学校ならばどこでもやっています。旭ヶ丘も膳所も岡山朝日もです。仮にこの方が暗黒時代であった学校群制度下の日比谷で成果を上げていたなら話は別ですけどね。
都が音頭を取った時点で成功は約束されていたんです。
京都堀川の奇跡も古豪日比谷の復活も同様に所詮は行政が敷いたレールの上をきちんと走らせたかどうかという話です。教育業界をよく知らないビジネスマンほど、この手の美談に感動しているようで滑稽。
強いて例えるなら、JRやNTTと私鉄、MVNO事業者を比較するようなものか。
当然、NPで特集があった渋谷学園や広尾、豊島岡辺りとはとは事情が異なるわけです。
数学は人類のための芸術である──「たす」を考えることから見える新しい視点:石川善樹
Nishimura ShoPrivate high school mathematics teacher
初等教育において集合論を扱うという試みは、数十年前に世界中で失敗したんですよね…。数学史、特に数学教育史を紐解けば、数学の学習難度が上がり批判にさらされた事実がわかります。
ブルバキの功績は偉大ですが、集合論自体は同じ時期のトレンドであったわけで、独自性のあるものでもない。ブルバキによって変わったのではなく、時代の変化をブルバキがまとめあげたという方が正確です。
数学の発展を時系列に並べていくだけだと、どうしても全体を通した俯瞰的視野が得られません。それを並べ変えてすっきりと見通しの良い状態にしたわけです。
しかし、初学者、特に初等中等教育期は知能や抽象的理解力は未発達ですから、人類の数学獲得の歴史に沿って理解していくのが自然です。数学の勉強にはまった人はこの手のことよく言い出すんですが、現実に子供に教えればそれが不可能なことにすぐ気づくはずです。
【東浩紀】中学受験は馬鹿らしい。でも、得をする
Nishimura ShoPrivate high school mathematics teacher
「中学受験の新常識」の特集は非常に面白いものでした。特に私のように受験業界に身を置く人間だけではない、識者やピッカーたちの生の声を聞けたことは良い刺激になりました。
しかし、同時に識者もピッカーの多くも受験における勝利者です。その人たちが受験は意味がない、下らないと語るのはそのステージに上がれたからです。出来ればもっと学力的に平均値に近い学校や人々の生の話(明大付属でも社会全体では上位です)があれば、現在の社会が抱える問題点がより浮き彫りになったと感じます。
ちなみに大学入試改革にはもちろん、国家百年の計あってのことだったり、創造力やコミュニケーション力を測る制度を導入したい文科省や政府の意図はありますが、一番の目的は社会というゲームの「ルール」を変えるためです。現状の入試のルールは大分攻略法が世間に流布し、情報とテクニックが合否を分けてしまいゲームとして面白くなくなったからですよ。
定期的にルール変更して、ゲームの攻略法を誰が探し出すかを出題者は楽しんでいるんでしょうね。
失敗の歴史から学ばない教育政策―国立大学付属校の抽選入学制度について
Nishimura ShoPrivate high school mathematics teacher
都立高校の凋落と同じととらえるのは考え違いしていますね。高校入試抽選制や総合選抜制の失敗は、学力別に分けて教育を行うのが自然な高校において無理矢理平等主義を導入したからです。
現行の国立大付属の問題点は、付属校が多くの学校にその成果をフィードバックするはずの教育学上の「実験施設」であるにも関わらず、現実には成績が良い生徒を集めただけの「エリート養成所」になっている点です。羊頭狗肉、看板と商品が異なっていることが問題なのです。
この二つを募集段階から分けて、一般の教育学部付属を真の意味での「実験施設」として抽選入学制に、筑波やお茶の水、広島大付属などを「エリート養成所」として分別すれば不満を最小限に現状の問題も解決できる。
東大付属、あれこそが国立大付属の真の有り様だと思います。双子の研究なんかは有名ですね。
【チェックシート】あなたの子どもが向く学校選び、7つの判断軸
Nishimura ShoPrivate high school mathematics teacher
個人的には、自主性の無いタイプほど中学受験して偏差値はさほどでもない中堅私立へ行くべきと思う。公立中学校に自主性の無い人間に変革を与えるきっかけやイベントは少ない。一方私立は中堅レベルでも奨学生の何でここいるレベルから帰国子女など様々なタイプが揃っている。教員も良くも悪くも「個性的」な人が多い。まあ、そういう自主性の無いタイプが上位校に入って苦労するという考え自体はその通りですが。
大学受験を考えると高校受験は本当に「邪魔」な存在でしかない。入試の勉強も中途半端な範囲で止まる上に、満点勝負のミスを最小限にする機械作業を問うものが多い。地方のトップ県立や復権しつつある都立の出身者には優秀な人も多いですが、それは本人がすごいだけです。学校のシステムや教育が優れているわけではない。逆に言えば、親がしっかり管理し、本人に自主性や向学心があれば公立中学から公立高校もありと言えます。でもそういう層は国立大付属か御三家他へ行くという。今の公立は金銭的に私立進学が難しい上位層のセーフティネットの役割ですね。
豊島岡、素晴らしい学校だと思います。実績も上がっているし、女子御三家に対する新たな選択肢として成立しつつあるかな。渋谷教育学園系はまさに新興私立の代表、前回の記事では偏差値操作で叩かれていたようですが。今は一過性のブームに近いですが、この勢いだと地盤を固めそうに感じます。
【解説】「バブル偏差値」に騙されるな。中学受験6つの新常識
Nishimura ShoPrivate high school mathematics teacher
自身が業界関係者でもあり、公平性に欠ける意見ですが、中学受験は絶対にした方が良い。子供はもちろん親も成長します。目標を設定し、分析し共に努力する。またその姿を子供にも見せられるため、高偏差値の学校に入れなくても後々の受験(大学・就職)での大きな指針になります。
また、中堅以下の私立であってもフォローや面倒見は公立の比ではなく、教育内容も校内・校外体験型、学校行事など市立中学とは一線を画しています。そもそも、入学者が「まとも」であるという点において最も大きなアドバンテージがあります。今の中学受験世代は新課程入試ですから英語力と論証力が今以上に求められる。これら伸ばすには英語の指導体制の整った環境=中高一貫と、共に学ぶある一定レベル以上の学友が必須です。その点からも、この記事では偏差値低めで出ていますが、地方にある江戸取や逗子開成なんかも素晴らしい学校だと思います。(関係者ではありません)
あと個人的には現状の公立中高一貫はあまりおすすめ出来ない。私立の学風もなく、フレキシブルな対応も期待できず、中高一貫のメリットである英語や先取りも中途半端です。公立高校と教員も変わりませんし。名門旧制一・二中でない公立は公立教員にとっては出世コースでもないので出来る人は来ない。また、出来る人は上に上がるんで、現場に残るのは授業が今一つな人が…。
【3分解説】大学入試改革、なぜ必要?高校教育40年の軌跡と未来
Nishimura ShoPrivate high school mathematics teacher
ベネッセやリクルートなど便利なのは間違いないシステム。しかし、現実に活用できるかと言われると難しい。現場で経験すれば分かるが、生徒とのリアルなコミュニケーションが最も大きな影響力を持つことは今も昔も変わりないから。これは、例えばメールと顧客管理ソフトがあれば営業はいらない、とか言ってるのと同じ。
教育業界は極めて保守的、しかも教育関係者のIT音痴を通り越したアレルギー症状は末期的ですし。しっかり活用できている学校は何校あることやら。
ちなみにベネッセが学校現場に食い込んでいる要因の最たるものは営業力です。ベネッセなどのシステムは学校側が費用負担しないので、正直どこのシステムでも構わないんです。莫大なデータを持つベネッセは有利ですが、決め手は営業力。旅行代理店とベネッセはよく顔を学校に出します。仁義や誠意を重んじるタイプの多い学校教員という人種はこれに弱いんです。
あと、世界大学ランキングは英語圏以外の大学には不利、しかも母語で高等教育を受けられる場合はさらに不利なので指標にはなりにくい。また、外国の大学と東大の併願に関しても、非常に受験しにくい海外大学を受験している人間は、端からそちらが第一志望ですよ。当然東大受かってもよそ行きます。
選手の命をみんなで守れ! スタンフォードの熱中症対策
Nishimura ShoPrivate high school mathematics teacher
問題点は以下の三つ。
まずは社会全体が無駄な労力や苦労、危険を「感動」という単語に置き換える習慣があること。特に中高年はこの傾向が強い。球児が肩を駄目にして、選手生命を絶たれても美談になるなど正気の沙汰ではない。メディアが喚起し、喫煙や飲酒運転などと同様に管理者の罰則を強化する必要がある。水を飲ませない指導者や無理矢理走らせた指導者は殺人未遂を適用していいかと。
次に教育における根性論などの悪習を未だ排除出来ていないこと。体育指導者が基本的な指導や注意が出来ない。論理的に、科学的に運動を指導するという観点が小中高大と全てにおいて欠けている。教員養成の段階からの改革と、免許更新の厳正な運用を活用すべき。
そして部活動の取り扱い。経験者ですらない教科教員を顧問に据えるのではなく、免許を持った専任トレーナーをきちんとした給与で雇用する。日本ではスポーツをタダで習えると勘違いしている人間が多い。給与、権限、責任を負った受益者負担のクラブチームスポーツ制度を作る。高野連、高体連などの団体を排除し、大会の運営を各競技団体の主催に切り替える。
とにもかくにも官とメディアが動くことからですが、高校野球の主催者が○日新聞では難しいか。
甘いチョコレートの苦い現実。フェアトレードが変える児童労働と不公平貿易
Nishimura ShoPrivate high school mathematics teacher
フェアトレードは先進国の自称良心的市民の自慰行為に過ぎない。あるいは営利企業の道徳的化粧とでも言うか。カカオの生産は安い人件費が担保されて初めて成り立つ産業なのだから、世界中の産業構造をひっくり返しでもしない限り焼け石に水。これは途上国の他の多くの産業も同じ。
仮に本当にアフリカの貧しい国を助けたければ、独立した国々を軍事的に占領し、人民の自由を一旦奪い、過去の文化を全て抹消して強制的に教育と産業育成(自動車、ITなど)を行うしかない。ここまでしなければアフリカ諸国の社会体制や文化は変わるわけがない。
富める自らの後ろ暗い部分から目をそらす良い手段こそがフェアトレードの正体かと。それが悪いとも思いませんが。
NORMAL
投稿したコメント