【東浩紀】中学受験は馬鹿らしい。でも、得をする
コメント
選択しているユーザー
「中学受験の新常識」の特集は非常に面白いものでした。特に私のように受験業界に身を置く人間だけではない、識者やピッカーたちの生の声を聞けたことは良い刺激になりました。
しかし、同時に識者もピッカーの多くも受験における勝利者です。その人たちが受験は意味がない、下らないと語るのはそのステージに上がれたからです。出来ればもっと学力的に平均値に近い学校や人々の生の話(明大付属でも社会全体では上位です)があれば、現在の社会が抱える問題点がより浮き彫りになったと感じます。
ちなみに大学入試改革にはもちろん、国家百年の計あってのことだったり、創造力やコミュニケーション力を測る制度を導入したい文科省や政府の意図はありますが、一番の目的は社会というゲームの「ルール」を変えるためです。現状の入試のルールは大分攻略法が世間に流布し、情報とテクニックが合否を分けてしまいゲームとして面白くなくなったからですよ。
定期的にルール変更して、ゲームの攻略法を誰が探し出すかを出題者は楽しんでいるんでしょうね。
注目のコメント
受験はゲームであり、人生を人よりも少し安全に上手に生きるための保険として機能しているにすぎないというのに激しく同意。例えばやりたいことを見つけて人生をかけて追求できる能力を創造力と定義するなら、それは教育で育てるようなものではなく、個人の資質が圧倒的に大きい。そしてそこで成功するかどうかは運の要素が大きい。これらは誰から与えられるものではないという意味で、集団的な教育とは相反するんです。中学や高校の教育に関わる人と話すと、多くの人はそういう認識が欠落していると感じます。個人の資質は与えられるものではなく引き出すものであり、それを引き出せるのは本人をのぞけば同様な資質としかるべき経験を持っている他人だけです。ですが、そもそも引き出せるものがなかったり、あったとしてもしかるべき時に良い出会いがなかったら引き出せないんですよ、いくら努力しても。そういう意味で、受験はゲームで保険と割り切る考え方は潔くて好きです。
「あまり受験の成績は頭のよさとは関係ない」とのこと。賛成。受験勉強は「やるかやらんか」だけの差です。過度な受験勉強は、本来その学生時代にやるべきことを犠牲にしているような気がします。大学はゴールではありません。時間は取り戻せません。受験勉強以外に何かに打ち込むべきだと思います。
小学校の塾から大学までまるっきり同じ経歴の先輩だった 笑
個人的には小学校の塾の日能研はとても楽しかった。記事にもあるように毎週テストの点数順に席替えがあるみたいな、今そこだけ聞くとゾッとするような仕組みも楽しくやっていたし、新しいことを知れるのも楽しかったし、小学校の友達と同じかそれ以上に仲良くなり、卒業後も毎年同窓会もやり、さすがにみんな子供ができたりして最近は集まれてないですが、色々な方面で活躍する人と繋がっているのは楽しいです
最終回なので個人的に総括すると、やはり向き不向きはあるので、子供が楽しめないなら無理強いしないこと、それでも学歴は記事にあるような「保険」になる(企業での採用の局面では「最低品質保証」と言ってますが)面はあるので、今のところ自分の子供達も中学受験させるんだろうな、という想いはあまり変わりませんでした
再考する機会をありがとうございました