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日本の大学にはなぜ2年間の教養課程があるのか? 大学教育にとって「教養」とは何だったのか
金澤 秀俊考学舎 教育者 マインドマップ・アドバンスプラクティショナー
「パンキョー」という呼称は決して「揶揄」ではありませんが、少なくとも教養課程を軽視した原因は、大学で学ぶ資質のないひとまで大学に入れているからでしょう。
リベラルアーツを推進しているICUの元総長・村上氏によれば、むしろ大学での学びとは教養であり、教養を身につけずして社会に出ることはありえないことであるとも言っています。
教養は上述のとおり「リベラルアーツ」と英訳していますが、実際のところ教養を適切に捉えるならばドイツ語的な考え方から「ビルディング」であろうかと思います。
自らを建て上げること。社会に出るための最後の仕上げとして大学を通過するならば、教養を身につけなくて一体何を身につけるのでしょうか。
ただし、教育の本来の意味は「教養」です。この多様性が重視された時代に、教養を大学にばかり押し付けるのではなく、公教育の段階から重視してはいかがでしょうか。
英語の早期教育は 「考える力」を弱める
金澤 秀俊考学舎 教育者 マインドマップ・アドバンスプラクティショナー
我が教室は国語を必須とした学習塾であるため、インターナショナルスクールに通う日本語を母国語に「したい」生徒が訪れてきます。彼ら全般に言えることは、「日本語と英語(など)のいずれか楽な方で思考する」ということです。要は使い分け。深く悩む頻度がモノリンガルの子に比べて少ないのが現実です。
日本語を国語を教えている立場から言えば、バイリンガルとして成立させるには、「母国語を習得するのと同じだけの時間をもう一方の言語にもかける」というのがギリギリセーフの方策であろうかと思います。
いずれにしても、公教育の中でやることじゃないな、というのが個人的な見解です。
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