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大山エンリコイサムが横綱・照ノ富士のために化粧廻しを制作。「新しい感性を提示」
美術手帖
Shoji Yohポーラ美術館 学芸員
数日経ってしまいましたが、今年はじめの驚きとなった横綱・照ノ富士の大相撲土俵入りの化粧まわしを大山エンリコイサム氏が務めた件。彼のユニークモチーフである「クイックターン・ストラクチャー」という、ストリートやアートギャラリーだけでなく商業デザインや公共空間などへと越境し拡散させる性質を面白すぎる形で見せてくれる出来事でした。 https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/25077 神聖な儀式、伝統、格式、品格という場に現代アートらしい革新性という違和感を持ち込みつつ、「横綱 照ノ富士」という名を示すための行為、身体的な運動性、外国人力士という複数のアイデンティティ、という少なくとも3つの点で作家がこれまで向き合ってきた問題と確実に接続するイヴェントであったと、報道にあらわれる内容を補足しておきたいです。 相撲文化について詳しくないので少し調べてみると、美術作品が化粧まわしに用いられるケースは珍しくなく、昨年の照ノ富士の化粧まわしは、横山大観の「富士」(1944)、菱田春草の「鷹」(1891)、福田平八郎の「茄子」(1939)という往年の日本画スターの作品であったとのこと(鷹も戦中の作品だったら「戦争画」として新たな頁が開かれるところだった!)。 https://www.kawashimaselkon.co.jp/info/news/20210907-01/
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ピカソ「ゲルニカ」国連離れる=ロックフェラー一族に返却
時事通信社
Shoji Yohポーラ美術館 学芸員
『暗幕のゲルニカ』の元ネタとなったピカソ《ゲルニカ》のタペストリー。タペストリーに仕立てたのはジャクリーヌ・ドゥ・ラ・ボーム=デュルバックという夫婦。世界には3点あって、あとはフランスと群馬にあります。 この夫婦、1958年には《アヴィニョンの娘たち》のタペストリーも作成していて、ピカソはそれを晩年のアトリエに架けていました。つまりピカソにとって《娘たち》は生涯つきまとう絵画であり、晩年作にも大きな影響を与えていると思います。 実は、このタペストリー作家についてよくわかっていないことだらけだったのですが、数年前にパリのピカソ美術館行ったら《娘たち》タペストリーが展示されていて、いくつか情報が掘り起こされているようでした。 おそらく同じタペストリーがいまマラガのピカソ美術館に展示されているそうで、関連する記事(Pepe Karmelへのインタビューもあり)がウェブの記事になっていました。https://www.francetoday.com/culture/art_and_design/les-demoiselles-davignon-jacqueline-durrbachs-translation-on-tapestry/ 有意義な記事だなあ。 それにしても《ゲルニカ》が離れるとは、不穏な空気の予兆なのか、価値観の転換なのか。いずれにしても気になります。
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【大山エンリコイサム】私がニューヨークで活動する理由
NewsPicks編集部
Shoji Yohポーラ美術館 学芸員
大山エンリコイサムさんの最新インタビューが公開になりました。 彼の挑戦を通して気付いたことは、「アート」と、カタカナで表記される「カルチャー」(「ストリートカルチャー」とか「サブカルチャー」)との距離が意外なほど離れてること。今を生きてる感覚だと、ストリートもマンガもファッションもみなひとつの視覚文化だと思っていましたが、「アート」が特権的で閉じた世界にとどまっていて、音楽や映画と混ざり合いながら豊かに繰り広げる領域に比べると「アート」なんて保守的で資本主義的な場所に取り残された(でも影響力は強い)ユートピアでしかありません。 先日刊行された著書『ストリートアートの素顔』が明かす、匿名性に隠れた「小さな物語」を通してグラフィティを歴史化することは、美術史に抗う強度を得ようとしていることであると感じています。 転置が熱を生む。彼の用いるQTSはこの隔たった距離を横断するために洗練されてきた乗り物に例えられるかも知れません。地下鉄sub-wayが渋滞し閉塞した道の下を滑り行くように、コミュニティを超えて拡がるメディアとして。ゆるやかに膨らみながら生じる共鳴とズレが「アート」と「カルチャー」を生きたものにできるように。
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学芸員は名前が出せない? 美術館の(奇妙な)現状を探る
美術手帖
Shoji Yohポーラ美術館 学芸員
あなたの会社は事業やプロジェクトの担当者名を出していますか? こちらの記事(ツイッターで情報集めただけの雑な内容だが、「キュレーションメディア」のパロディかもしれない)にある「学芸員は名前を公にするべきか?」というのは、しばしば議論されるテーマ。 学芸員=研究者という認知の問題はおそらくやや的外れで、研究者同士は図録の奥付を見て担当者名を把握しています。それでも公に向けてこれが議論になり得るのは、「担当学芸員」という肩書に負わされた「A.(外的な)期待」、「B.(実際の)現実」、「C.(本人の)理想」という3つのギャップによると思います。 展覧会という華やかなイベントを担当する学芸員に寄せられる「A.期待」は、映画でいう「監督」に近いかもしれないけど、(B)実際のところ日本の学芸員の仕事は「助監督」のようにスタッフのお弁当を手配したり、大道具のセットが撮影に間に合わなくてハラハラするという具合です。ちなみに監督はいません。(C)これを本人がどう考えるかも問題で、自己顕示欲の強い人は名前を出したがると思うけど、おそらく多くの学芸員は「いや、別にいいです…」と答えるはず(少なくとも私はそうです)。 B.国公立でも私立でも展覧会は個人の力できるわけもなく、組織としてのプロダクトなのだから担当者名を華々しくは出さないことに不思議は無いです[例えば、橋を架ける工事担当者の名前のように]。 けれど、現代美術のように担当学芸員がキュレーターとして作家とディスカッションを重ねて構築していく展示の場合には、責任者として名前を出す必要があるはず。ただその場合は、もっとたくさんの関係者の名前も出すべき。この関係は緩やかにグループを編成する「バンド」に似ているという話をしたことがあって、これはけっこう核心を付いていました。責任の所在としての名前。 もし、あなたが(A)学芸員の名前を出して欲しいと望むひとりだったり、もしくは(C)学芸員として自分の名前を出して欲しいと望むならば、何よりその責任を個人名に負わせる/自分が背負う意味を考えなくてはならないです。学芸員は研究者。「研究者」とは何かに詳しい人間ではなく「その知識と説明に責任を持つ人間」なのだから。 でもこれは、おそらく美術館や専門職だけの(奇妙な)現状ではなく、あらゆる事業に関わる問題なのではないでしょうか?
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