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「ざんねんないきもの」からの教え
山本 雄一郎無所属 なし
何と、忠明さんのご登場ですか! なつかし、ですねぇ。学生時代にお世話になり、後追いですが[上野動物園動物解説員]もやらせていただいておりました者です。お兄さんの 吉晴さんには、大変お世話になり、大切な[恩師]と思っております。
「ざんねんな…」が大当たりして、ほんとうによかったですね。同じ[生き物屋・ケモノ屋]として、残念に思います事は、[人間中心ではなく物事を感じ、考える]ヒトが、実に少ないことですね。実感では10万人にひとりもおられないような気がします。そして多分現生人類は、AI創出も含めて 生物的な【退化】に向かって進歩してきたようです。なので、個人的予想としては、ヒトの【絶滅】もそう遠い将来ではない気がいたします。長くて数百年くらいかも・・・
本当の「自立」の意味、知ってますか?
山本 雄一郎無所属 なし
こんにちは、
わたしは、6年ばかり いわゆる「重度知的障碍者」(当時は まだ「精神薄弱者」と呼ばれていました) の「施設」で「生活指導員」をしておりました。そして、私自身は「精神病院」でお世話になったこともあり、現在も睡眠薬を使っております。その中では、実に多くの多様で貴重な【出会い】がありましたね。
そんな 個人的な体験から申しますと、たとえば、わたしどもの職場では「自立」という言葉は使わず、ひらがなで[じりつ=自立・自律]と言っておりましたし、【共依存】も大きな問題だとも考えておりました。また、「施設」は あくまで【通過場所】であり、どんどん[グループホーム]に「仲間たち(私どもは そう呼んでいました)」を送り出し、仕事をしてもらう方向でやってきました。当時としては革新的な「施設」でしたし、今も同じです。施設長は「際限がないよ」と笑いながら のたまう方でしたね。
そんな過程で、わたしが実感したのは、【理解】すること にとって一番大切なのは相手(他者)と具体的な場所で、体で共感・ぶつかり合いを繰り返しながら共に時間を過ごし続けてゆくことしかない、ということです。頭や「言葉」だけでの「理解」などは、無用どころか邪魔になるばかりです。どうせ「相互理解」などというものは、養老さん的に言えば【適当でいい】事柄なのです。
そんなことで、わたしは逆に、ほんとうに【健常者】と呼べる人は、この世界には ひとりもいない、と確信しております。ニッポン国では、今でも[バリアフリー]だけで[ノーマライゼーション]という言葉を ほとんど聞きませんが、多くの皆さん、どう考えられ・行動されておられるんでしょうか???・・・
NORMAL
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