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【養老孟司】日本人に伝えたい「未来予測」より大事なこと
桜井 剛
いろいろ考えさせられる記事でした。
「居心地のよさ」を追求すること。これは以前広く浸透したけど、インスタグラムの「映え文化」によって台無しになってしまった考え方ではないかと思います。つまり、「自分が居心地よいと感じていること」よりも、それをシェアすることの方に多くの人は熱中してしまった。その結果、シェアするための「わかりやすい居心地の良さ」が作り出された。
そういうことが起こったのは、悪意によるものではなく、シェアしようという善意からだと思います。私たちの善意は、居心地の良さよりも優先度の高いことを探して、私たちをそれに没頭させてしまう。これも(気づきにくい)脳化社会の弊害なのかもしれない。それに対抗するために、私たちは「意味のない(シェアできない)居心地の良さ」を探すべきなのかもしれない。
【広告の未来】「おりこうな時代」に人の心を動かす方法
桜井 剛
コンプライアンス社会になって、男とか女とか母親とか、そういう社会的役割にたいするプロトタイプな表現が忌避されている。それは「役割で単純に世界を分けることへの違和感」がベースにあるのだと思う。でもコンプラを気にしすぎることで、逆に私たちは多様性を失い、非常に単純な役割に逃げ込むようになっている。これは、元々ベースにあった「役割で単純に世界を分けることへの違和感」を強めるものだと思う。
どうすればいいのかわからないけど、この「分かりやすいコンプラの敵」を作るやり方ではダメ、というのは間違いないでしょう。ちょうど東浩紀さんが「おじさんだけは傷つけても良いという日本の風潮」を揶揄して「弱者男性」と言う言葉をつぶやいていましたが、私たちは本当にそういうことではダメだと思う。
【保存版】「伝説のダメ記者会見」に学ぶ、信頼回復の5か条
桜井 剛
逆ギレしない、でいろいろ考えてしまった。会見で逆ギレするような人は管理職失格である。それは間違いなく正しい。でも、逆ギレしたケースを見ると、記者を一人の人間として見すぎていることに要因があるような気がする。
いくら不祥事の責任があるとはいえ、誰かに普通に「なぜ報告書を読まずに会見したのか?」と聞かれたら「そんな時間がなかった。この状況を見てわからないか?」と言いたくなる。でも記者に聞かれた場合は、その先にいる人を想像しないといけない。そういうことができるのは管理者の重要な能力だ。でもそれは記者を役割としてみるけど人間としては見ない、という能力だ。その「人を人間ではなく役割としてしか見ない能力」が長けすぎている弊害に、多くのひとは気づき始めているような気がする。そしてその能力は、能力の弊害に敏感になった一般人との間で「別のコンプライアンス炎上」を引き起こしている気すらする。
【最新版】あなたは大丈夫?実例で学ぶ「ハラスメント判例」
桜井 剛
記事の内容はわかりやすく、納得できるものでした。
記事の内容から外れるのですが、私は「パワハラ」という言葉が問題を孕んでいると思っています。強い力を持ったものは、不当に力を使わないように気を付けなければいけない、というのはもっともです。が、強い力に対して、人は勝手にハラスメントを感じるもので、パワハラに対する配慮を突き詰めると「パワーはリスクなので隠すべきもの」になると思います。コンプライアンスは基本的に隠ぺいと逆向きの流れだったものが、パワハラは隠ぺい方向に逆流してしまう。
「パワハラ」は力を受ける側に寄り添った言葉ですが、セクハラと違ってそれが、本来抑止したい事象を超えて過剰な配慮を生んでしまっている気がします。だから、「パワー乱用(これだとセンスないけど)」のような、力を持つ側の言葉にすべきではないかと思います。
【完全図解】今こそ知りたい「コンプライアンス」大全
桜井 剛
もともと、コンプライアンス違反という言葉がこれだけ広まったのは「これまでのやり方でいいはず」という思考停止に対するアンチテーゼが人々の心に強くアピールしたから、だと思う。でもいまや「コンプラ違反への過剰な配慮」が思考停止の代表のようになっている。だから自分の頭で考えたい人たちは、そんなやり方で本当に良いのか、疑問を持ち始めているのではないかと思う。
私の勝手な想像だが、職場満足度の高いポジティブな要因を持ち人に「コンプライアンス違反を容認する傾向」があった、という分析は正確ではない気がする。つまり、その人たちに「コンプラ違反を容認する傾向がある」ではなく、「コンプラ違反への過剰な配慮」という思考停止に対する違和感が回答に反映されていただけ、なのではないだろうか?
英の郵便局冤罪事件、富士通幹部が謝罪「補償に貢献、道義的責任ある」
桜井 剛
これからますます「ITが作り出したデータ」を裁判の証拠にするケースは増えていくと思うので「ちゃんとした対策」が必要な事件と感じます。私はSEなので富士通寄りの立場で感じたことをコメントします。
まず、冤罪の原因がSWなら、SWベンダーに一般の方の怒りが向かうのは自然だと思います。SWを利用する場合には、利用する側で「バグがゼロでない可能性」を考慮しないといけない。でもITに詳しくなければ、そんな常識は通用しない。このギャップをどう埋めるか、がポイントだと思います。私は、利用者側が「バグのベンダー責任(道義的責任)」を急激に増加させるアクションをとるときに、ベンダーにその旨を知らせるようにする、という対策が必要ではないか思います。
今回のケースでは「会計ソフト「ホライゾン」の記録を証拠に郵便局長ら計736人が横領などを疑われて起訴された。」のタイミングで「致命的バグがあった場合の富士通が負う道義的責任(法律上の責任ではなく、社会が期待する責任)」が爆上がりしたわけですが、その前に、こういう証拠に使うけど大丈夫だよね?と富士通に通達する仕組みが必要なんじゃないかと思います。であれば、こういう条件で利用してほしいという「ベンダーの見解」を伝えられる(例えば、あくまで参考として利用してほしい、とか)。そこで富士通が「了解しました、証拠に使ってください」と言っていて、バグが元で冤罪が起きたのであれば、富士通に道義的責任がある、で妥当だと思います(その場合は、IT有識者としての説明責任を果たしていない、ということになるのだと思う)。
英国では「富士通(ベンダー)が冤罪を生み出して人が亡くなった」という理解が広まっている気がします。でも、今回の流れでは、富士通としては「それを裁判に使ったなんて聞いてないよ」だと思うので、さすがに飛躍があるとしか思えないです(SW利用規約に「裁判には使うな」なんて書いてないだろうけど)。
もちろん、今回の件で富士通(ベンダー)に責任の一端がある、とは思います。でも、すべての責任を「ベンダーの品質」に求めすぎるのは、結局「前向きで有効な対策」は取れず「偉い人の謝罪」が横行するだけなので、誰も幸せにならない未来しか思い浮かばないです。
【亀山×川上】N高に続く成功なるか?「ZEN大学」の野望
桜井 剛
教育について「熱意や理想」抜きに合理性だけで議論している人を見ると、普通は「合理性だけではだめだろう」という違和感を感じるのですが、川上さんのお話はそういう違和感を全く感じません。それはきっと、
・合理的分析を経た結論が腑に落ちることに着地すること
・結論に至る分析がシンプルで聞いたことがない切り口
だからなのかなと思いました。
「国公立大学に受かろうと思ったら、小学校や中学校から準備をしなきゃいけない」「灘高で東大の理Ⅲに通るような生徒でも、勉強して意味があるのは高校の範囲まで。これ、ものすごく無駄ですよね。」
言われてみればその通りなのだけれど、こんなにシンプルに受験の弊害の核心を語れる人はいない気がします。「熱意や理想抜きの合理性」でも、ここまでくるとちょっと感動的ですらあるんだなぁ、と感じました。
「早く行かないと再生回数がアップしない」能登半島地震で被災地入りする「地震系ユーチューバー」たちの異様な論理
桜井 剛
「地震系ユーチューバー」
私たちにとって「わかりやすい敵」ですね。でも本当に向き合うべき敵は、これだけの被害が出ても、どうしても他人事だと思ってしまう「私たちの傾向」なのだと思う。「地震系ユーチューバー」はもちろん、現地の人の迷惑になってしまうので「困りもの」だし、間違っても褒められたものではない。そういう安易な気持ちで現地に行くことはやめるべきだ。
けれど、彼らは現地をちゃんと自分の目で目撃して、何かを学んで帰ってくるのかもしれない。それがお金のためだとしても、彼らは私よりは現地の何かを知るのだろう。ぬくぬくとしている私のような立場で、けしからんと文句だけ言うのも、何かがちょっと違う気がする。
【平井一夫】「感動体験」こそが、子供の将来を決める
完成したはずのトンネルは「張りぼて」 ほぼ全工程やり直しに
桜井 剛
「全社員にコンプライアンス教育を実施し、信頼回復に努めたい」
「今回は県が適正な監督業務を行ったとは言いがたく、業者側と同様にコンプライアンス意識の欠如が生じたということになるのではないか」
ずさんな工事をする人と、ずさんなチェックしかしない人。
それを防ぐために行われるのはコンプライアンス教育。
何かが大きく間違っている気がする。
これは、そもそもコンプライアンスの問題なのだろうか?
この問題は「社会の期待に応えられなかったこと」なのだろうか?
問題が見つかった後で、そこは「社会の期待」があったはず、とみんなが思うだけで、それって本当は後出しじゃんけんなのではないか?
例えば「社会がらの期待が実感できないこと」が問題の本質なのかもしれない。もしそうなら、そこまで「コンプライアンス教育」に任せるべきなのだろうか。そんな考え方をしていると、ほとんどの問題の再発防止は「コンプライアンス教育」になっていってしまうのではないだろうか。
私たちは、問題の原因について解像度高く理解する能力を、急速に失っているのかもしれない。
やっぱり僕たちは分かり合えないのか?
【初公開】2700人調査で判明。「人事評価革命」のスゴい効果
桜井 剛
人的資産経営と言う考え方は基本的に賛成だけれど、問題もあると思う。従業員を「資産として大切に扱う」と「人として大切に扱う」には大きな差異がある。「人的資産経営」は、この当たり前の差異を忘却させる「強い呪詛」が込められている言葉だと思う。
会社で人は人として扱われず「モノ」のように扱われがちだ。だから人として扱う、という非効率的なことを皆がやり易くするために「人には資産としての側面がある」というロジックを利用する。そういう順序であるべきで、人が「資産そのもの」なのではない、という「マインドの問題」は意外と重要なことだと思う。だから、社員を変えるために評価を変える、というマインドはあまり良くないと思う。人としてちゃんと評価したいから、より良い評価方法を学んで実践する。そうすることで結果的に社員は変わるのかもしれないし、変らないかもしれない。でもそれこそが人間だと思うし、そういうやり方でしか「人間を評価する」という難しいことはできないと思う。
文系は不要か?【川上量生vs隠岐さや香】
桜井 剛
そもそも「分けるべきか融合すべきか」という議論があると思いますが、私はそれは2項対立にならないのではないかと思います。
もちろん今は文理融合をすることのメリットはとても大きいので、分けるべきではないという意見が多くなっていると思う。だけれど、メリットが大きいのは、これまで文理がきっちり分かれていたからだと思います。分かれているものを融合する時に、そこに新たなものが生まれる。でも、初めから分かれていないと、そこに融合の驚きや新鮮さは発生しない。だから、結局「分けて融合する」のを繰り返すのが必要で、今は文理融合が進むのだろうけれど、その後は文理とは違う別の軸での分け方が必要になるのだろう、と感じました。
NORMAL
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