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ぼくが引退したとき、ほぼ日は飛躍する
kohara yuka
何かを掴むためには、今その手に持っているものを手放さなくてはならない。
これは、何かの折に聞いたことばなのですけれど、
糸井さんは「コピーライターの糸井重里」を手放して、「ほぼ日」を掴んだ。
そうして、再びゼロから生き直したのではないかと思います。
それは、学生運動に染まっていた自分を手放して、コピーライターの道を掴んだ、あのときと同じようにです。
今チームが掴んでいる「コンテンツ」を手放さなくてもいいように、新たにそれを掴む人を募集する。そして今まさに、自分が手放しても「ほぼ日」が残るように、「上場」という魔法を使って、その土台固めをされたのですね。
さて、「ときどき邪魔をしにくるジジイ」さん、次は何を掴もうとしているのでしょうね。
いつも何かを面白がって生きていく。その先に、必ず幸せがあることを信じて。
これが「糸井重里」という人の人生なのだなぁ。
数々の貴重なお話、とても面白かったです。23日間、あっという間でしたね。
やさしく、つよく、おもしろく
kohara yuka
「やさしく つよく おもしろく」
これは、そのまま今の糸井さん自身を表してることばだと思います。
それほどに、ことばとご自身が一致している。
わたしは、「若者の教祖」と呼ばれていたころの記事を読んで、
「そこに実体がなかったなんて」と思ってしまったのですけれど、
岩田さんを初めとする素晴らしい方との出会いによって、
「そうなりたい」「そうありたい」自分に気付き、
実際、何年か後には、ご自身がそういう人になっている。
糸井さんは、「考える人」であり、「行動する人」であり、「嘘のない人」。
いつも時代の先端を行き、人々を導いていく。
思い切り「いいこと」ばかりを並べましたが、そういう人であると思います。
ほぼ日のいちばんおおきな転機、東日本大震災
kohara yuka
インターネットを使う、一部のコアな人々だけの会社ではなく、ほぼ日の存在がもっと開かれたものになるために、奇しくも東日本大震災が、そのきっかけになったということですね。気仙沼や福島における様々な活動を通して、或いは、ロフトでの「ほぼ日手帳」の販売を通して、その成果は確実に出ているのではと思います。
その全ての基盤になっているものが、震災のときに感じた「これでつぶれてしまうかもしれない」という危機感と、とにかく「給料を払うこと」という経営者としての覚悟。
「たとえぜんぶの仕事が止まったとしても、2年間は払い続けます。」これほど強くリーダーシップを感じることばは、他にはないのではと思います。
なぜ、ほぼ日は課金制にせず広告も入れないのか
kohara yuka
「おれが読みたい」「おれがほしい」「あの人を喜ばせたい」
すべての動機が「喜び」のためなんですね。「幸せ」しか求めていない。
だから、飴を買わなかった子どもでも追い払われることのないように、課金制にはしない。
なんてハッピーな銀座通りなんでしょう。
ービジネスモデルについては「やりながら考える」という道を選びました。
ものすごくさらっと書いてありますが、これって無収入でスタートしたってことですよね。
かなり無謀なことのように感じるのですけれど、それだけ強い自信もあったのでしょう。
闇雲に始めたのではなく、自信が持てるほど、考えを尽くしたのだと思います。
男の「勝負」ってカッコいいですね。なんだか「勝負」ということばが、今頃になってやけに胸に響きます。
ぼくにとっての「広告のクリエイティブ」
NORMAL
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