『TOKIO』が開いてくれた80年代の扉
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何かを発表したら、もう後は世間に委ねる。それを、とても客観的に見ている自分がいて、自分自身でさえも世間に委ねてしまう。その代わり、そこまでは全力でやる。その仕事の手放し方が、とてもカッコいいです。
「TOKIO」というタイトルが新しい価値観を生み出し、その歌で、糸井さん自身も「大衆の人」になる。「最先端」と「大衆」の両刀使いが見事ですね。ご自分の学びが、ちゃんとここに繋がっていて、すごいなと思います。
それにしても、うーん。。自分自身も手放すって、なかなかできないですよね。けれど、それをしないと自分の飛躍はないんだなぁ。
注目のコメント
"火を吹いて 闇を裂き スーパーシティが舞い上がる"
80年代の東京を象徴とする歌詞ですよね。80年代が糸井さんを呼んだとも言えるし、糸井さんが80年代に火をつけたとも言えるのでしょうね。
「気仙沼においでよ」という被災地を歌う曲に、糸井さんは矢野顕子さんと2人で歌詞をつけています。震災から8ヶ月目というタイミングでこの曲をつくられたことに、強く感銘を受けます。
http://www.1101.com/kesennuma/music_detail.html
糸井さんには、福島についても、これからを象徴する歌詞を創ってほしいなあ・・なんて思います。【糸井重里さん第10回】「作詞とはどのような行為なのか?」を通じて、反射板のように「コピーライティングとはどのような行為なのか?」までも語ってくださった糸井さん。驚いたのは、この曲を聴いていた当時、ぼくがほんとうに光り輝くスタジアムが空を飛んでいく姿をイメージしていたこと。信じてもらえないだろうけど、ほんとに見えていたんです。
ここまで理屈で説明できて、かつ感性が損なわれないで言葉を表現できるのが、糸井さんが一流たるゆえん。
>(引用)広告のコピーは、光でいうと「反射光」なんです。つまり、たとえば1枚のポスターのなかに商品やイラストや人や風景があって、そこにリフレクトさせることばが広告のコピー。