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日本の大企業が「情報弱者」に落ちぶれた、という危機的現実
現代ビジネス[講談社] | 最新記事
田中 丈雄
この記事を読んで一つのことに思い当たった。小学五年生の算数の とても苦手な子供に面積という概念を教えた時、その子に問題を出すと かれは、与えられた数字を当てずっぽうで公式に当てはめようとする のだ。当てずっぽうだが、その答えは正しかった。というのはその問題 はそのページではその公式しかでてこないからだ。 答えは正しいけど、その子は面積の意義は理解してなかった。 ところが、当の私も数学が苦手で、何かの難問、例えば一流大学の入試 の難問などを解く時、所詮はその子と同じやり方をするのである。 この問題にはどんな知識を当てはめたらいいだろうか、と私は公式を 探しまわるという、上っ面だけを考えるのである。 流行っているテクニカルワードの上っ面だけを取り上げて、それをなに かに適用する、というのは、学生時代のテストを解く時のやり方と同じで あろう。高学歴の人と言えどもそんな思考方法が身に染み付いてしまって いる人は少なくないと感じる。 もっと基本の根源からくる問題意識から、流行のテクニカルワードの意義 を理解してアイデアが湧いてくるべきだと思うのであるが、習性というの は恐ろしいものでおとなになって歳を取れば取るほどそういう、上っ面的 やり方から逃れられなくなる。
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図書館での自習「禁止する側」の理由 大正時代から議論の的だった
withnews.jp
英才教育は一切なし。全米屈指の名門校の教育方針
NewsPicks編集部
田中 丈雄
早期教育は本当は価値あるものだと思う。しかし、現実には そういう教育は本質的には学校では出来ないものなのだなと 感じている。 日本では、英語は小学校から教えるのがいいということで、小学校 の教科に組み入れられた。ところで、その小学校での英語教育の授業 がYOUTUBEなどに上がっている。それを見ると、中学校の英語授業 がそのまま小学校の英語授業になっているだけのことだった。 早期教育なんてなんと無益なことかと感じざるをえない。 語学の学習では、アレックスという名前の有名なオウムの語学訓練が素晴 らしいものだと思っている。ネイティブの話者が二人いて、アレックスが いる前でネイティブたちがビデオか何かを見ながらその状況について会話 している。 オウムはそれを聞いている。そして自分もそれに加わりたいと思っている。 そこでネイテイブの一人が、同じような表現を用いてオウムに話しかける。 オウムはなんでもいいから発話する。そうやって会話を続けていく。 このような訓練を、例えばカラオケボックスでビデオを見ながらするのは 効果があると思う。この場合、ネイテイブは二人以上が必要で、生徒は 例えば4人くらいまでは許されるのではないだろうか。
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【塩野誠×語学】必要なのは「言語力」ではなく「英語人格」
田中 丈雄
語学力が会話で発揮されるにも、また習得するのにも、少なく とも度胸は死活的に必須の要素だ。どしどし発話できる度胸が いる。 しかしこういう「度胸」というものも実地訓練の経験がないと、 なかなか身につかないものだ。 こういう訓練を学校が子どもたちに施してもらいたいものだ。 いちどその「馴れ」が作られると、あとは平気で度胸を発揮で きる。 残念ながら、学校では間違ったら成績が悪くなる、恥ずかしい、 という方向に教育されている。つまり教育は度胸を否定する方向 に働いている。 また、英語の読み、発音についても、ローマ字の日本語読みのよ うな英語の発声は恥であるということも子どもたちに叩き込んで ほしいものだ。 英語ネイテイブ特有の、単語と単語の切れ目が殆ど無いような、 リズム感のある、あのスピードある発音をする能力を子供のとき に訓練してもらっていたら、私も英語の聞き取り能力は現在の自分 のものとはだいぶ違うだろうといつも感じる。 やはりもう一つ大事なことは著者が「英語人格」と呼んでいるも のだろうな。私はこれを「脳の英語モード」と呼んでいるのだが。 英語を流暢に話す人なら誰でもやっていることだが、話す事柄は 「言語」が決めるものであって、初めに話す事柄があってそれを 言葉にするのではないということだな。 話したいことが日本語で存在していて、それを英語にするのでは ない。知っている英語表現だけを使って何かを英語で話す。 それが「英語人格」と呼ばれるものの主要な実体だと思う。
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