貧富の差を生み出しているのは収入格差ではなく「情報格差」
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記事が強調しているのは、情報格差と言っても特に、
上質の情報をもたらせてくれる人間ネットワークを大
事にしなさいよ、ということですね。
この場合、普通に言う情報のことだけでなく、人間関係
という意味も含む広い意味に取るべきであろう。
そのように情報という言葉を広く取れば、いい家庭環境
というのが上質の情報源だということになる。
家庭環境という情報源が貧しいか豊かであるかは、子供に
とっては致命的に重要だ。
目の前のマシュマロを「我慢」して、大きなチーズケーキ
を目指すことが出来るには、優れた家庭環境に育つことが
大事なのだ(例外はあるが)。
すなわち、家庭は情報格差のもっとも大きな要因ということ
になる -- 当たり前の話だが。
でも大人になってからでも、上質の情報源となる人間ネット
ワークにつながるように努力すれば、子供の時には貧しい情報
環境にあっても、情報(源)不足を取り戻すことも可能になると
いう話なのでしょう。
秀吉などはそれを徹底して天下を取ったのではないでしょうか。
注目のコメント
情報格差が所得格差を生むというのは、その通りだと思います。でも、ここで書かれているような大人の世界の情報格差ではなく、幼少期における情報格差(特に就学前教育の質)の方が圧倒的に影響が大きいと思います。
カネもモノもヒトもエネルギーも宇宙も、すべては「情報」なのだから、当たり前といえば当たり前。
情報格差を生み出すのは、その非対称性ではなく、そのやりとりが自由だから。
人間が「価値」だと感じる「情報」(=カネ、モノ、ヒト、エネルギー)のやりとりが自由になると、ノード(個人)への「情報」の分布は自然に指数分布(ボルツマン分布)になるので、放っておけば自然に格差は拡大します。
参考
https://newspicks.com/news/2433611/
金持ちと知り合いになっても、金持ちはお金を持ってない人からカネとしてしか見られない事を知っているので、普通には付き合えません。
また、一定以上の収入は搾取しかないので、その意味において収入格差とは良心格差とも言えますね。
自分が生み出している以上のカネを得れば、人生の意味を失うかなと。
私はビリオネアの人と何人か話したことがありますが、単純な情報だけだったら大したことはなかったです。セコい話はよく知ってましたけど。僕は、収入格差は、幼少期からの「努力の格差」によるものが一番大きいと思っています。努力に格差があるならば、収入にも格差があるのは当たり前です。なければ、誰も努力をしなくなります。
「お金がないと塾にも私学にも行けないから」と貧富の差があると努力もできないかの様に言われますが、これは的を射ていないと思います。僕の子供5人は全て公立小学校でしたが、貧富の差よりも親の教育熱心の差の方が、子供の努力や針路に影響を与えていると経験的に感じています。つまり、親が裕福でも教育熱心でないと子供は努力をしないけど、相対的に収入が少なくても、教育熱心な親の場合には、様々な方法で子供が学びの機会を得ます。ただ、たまたま貧富の差が、親の教育熱心さと相関関係が高いために、「貧富の格差=教育の格差」混同されていると思っています。
貧富の格差よりも親の「教育熱心さの格差」や「努力の格差」が、収入の格差を生み出していると思います。