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あなたにぴったりの学問はなに? 京大「診断」の背景に「タコツボ化」への危機感
吉川 克彦大学院大学至善館 (Shizenkan University) 教授、副学長
社会科学(経営学)の研究者ですが、工学でした。コンサルタントをやっていた時に受けたR-CAPという診断でも積算という工学系の仕事が志向的には最も適職ってでたので、そちら系の思考が合うんでしょうね。
一方で、独自の研究をやって自分の色を出す、という観点だと違うのは良いことかもですね。
タコツボ化の問題は全くそうですね。
学会に出ても必ずいくつかは自分の専門以外のテーマのセッションに出てますが、自分の分野での成果を追い求めるという観点だと、そういうのは効率悪いというのはあるでしょうね。厳密にやろうとすればするほど分野間で話がしにくくなるのもわかる。
ただ、ぼくがそれでもそういう風にしてるのは、単に自分が知りたい、というのもありますが、企業の実務家の方と話す時に結局大事なのは受け皿の広さだ、というのもあります。結局、どういう研究者でありたいのかということかもしれません。
就活ルール廃止を=21年春以降入社から-経団連会長
吉川 克彦大学院大学至善館 (Shizenkan University) 教授、副学長
大学生、企業ともに、自由度が高まるわけなので、自分で(自社で)考えて戦略を立て、行動する力が問われるようになりますね。
大学の就職課、キャリアセンターの方々も。
各社の活動のタイミングが自由になるということは、学生も自分で状況を捉えて自分なりのタイミングで就職活動をする必要があるので、自律性が問われる。
今までだっていろんな意味でそうなわけですが、経団連ルールがあり、それに乗っかる形で就職サービス各社のサイトオープンやイベントなどがスケジュールが組まれていたため、一定の枠があり、それを前提に動ける世界でもあったわけです。
その枠が揺らぐと考えると、学校教育で「自分で考えて自分が決める」トレーニングを十分に受けていない学生が多い大学で就職支援をされている方々は、(今でも大変でしょうが)より一層、大変になるのではないかと思うのです。
なぜ大学教師はサラリーマンより生産性が低いのか
吉川 克彦大学院大学至善館 (Shizenkan University) 教授、副学長
別のコメントにあるようにデータに問題はあるかもしれない。あと、企業より低いのか、というタイトルにもかかわらず企業と何にも生産性を比較してないのは酷い。
が、本記事のポイントである、日本の大学の人事システムに大きな問題があるのは確か。
日本で若手の研究者と話すと、中国の研究大学にいる自分は研究に集中できるという点で本当に恵まれていると感じる。世界トップクラスの学会誌に論文を発表するアウトプットが求められるので、生き残るのは厳しいが(池田氏のいう競争にさらされている、ということ)、一方で、授業や校務などの負担は、僕の方が圧倒的に少ないので、研究に本当に時間を使える。
あと、この記事には書かれていないですが、研究者としてのトレーニングの機会の課題もある。世界的な学術誌に掲載しているベテラン研究者が社会科学系では限られるので、そもそも日本にいるとそういう研究の作法を学びにくい。
その点でも、既存教員の処遇の問題こそが本丸かと。
メルカリも採用…社員同士が送り合う新たな給与「ピアボーナス」広がる
吉川 克彦大学院大学至善館 (Shizenkan University) 教授、副学長
本来的には「ありがとう」「助かった」の一言が組織内にたくさん流通していればこういうサービスはいらないのかもしれないですが、物理的な職場をまたいで仕事のフローが流れていて、毎日顔を会わせるわけでは無い現代の職場だと、こういう形で好意や善意、感謝の循環を促す仕組みは効果的なのかもしれませんね。
組織内の不特定多数の人から善意や好意を受けると、個々人に対する愛着や信頼を超えて、組織に対する愛着が生まれるという研究もありますし。
チャレンジはありがとうの連鎖をいかに息切れせずに長続きさせるか、ですね。組織的に介入しすぎるとむしろ冷めそうなので、どう自然発火を続けるよう促すか。組織にいる人たちの特性にもよりますね。
日曜夜に遊んで月曜午前中に休む 経産省が「シャイニングマンデー」を検討
オープンオフィスのスペースレイアウトは最悪ね…ハーバード大学の研究もそう言ってる
吉川 克彦大学院大学至善館 (Shizenkan University) 教授、副学長
これは、コミュニケーションや思考における文化的な差異を無視した単純な議論ですね。これが世界中、あらゆる組織、個人に当てはまると考えるのはおそらく間違い。
確かに、アメリカの文化を考えると、オープンオフィスが生産性を下げる、という実験結果はよくわかりますが。
東アジアで広く見られる、常に自分が周りの人との関係性の中に生きている、と捉え(集団主義)、周りの状況を踏まえてコミュニケーションをする(ハイコンテキスト)人たちの集団においては、オープンオフィスのマイナス面よりも、プラス面が出やすいと考えられます(だからこそ、日本では大部屋がずーっと使われて機能してきたのではないかと)。
一方で、アメリカのように、個人を独立した存在と考える傾向が強く(個人主義)、時間を区切って一つのことにその場その場は集中したいと考える傾向が強い(モノクロニック文化)社会の人たちにとっては、常に周りの人たちがいろんなことをやっている中に身を置かなければならず、自分を切り離すことができないオープンスペースが苦痛なのは理屈が通っています。
さらに言えば、東アジアにもアメリカにも個人差や組織差はあるので、一律の議論は単純すぎるわけです。
それも含め、アメリカという特有の文化的環境で行われた、たった2社での研究を元に「オープンオフィスのスペースレイアウトは最悪」と語るのは乱暴というものではないでしょうか
「学歴」が分断する現代日本社会
吉川 克彦大学院大学至善館 (Shizenkan University) 教授、副学長
日本と日本以外の先進国で大きな違いがある、というトーンを感じたのですが、日本がそんなに特殊なのでしょうか。私が5年間住んでいたイギリスでも大卒と非大卒では明らかに機会に差がある(さらに言えば、荘司さんなどが書かれている通り、入学難度が高い大学を卒業したかどうかでさらに差がつくわけですが)社会でしたし、現在住んでいる中国でも大卒かどうかで機会に大きな差がつきます。だからこそ、みんな必死に受験勉強するわけで。
ただ、日本において昔よりも大卒・非大卒の壁が高まっている、というのは納得できます。非大卒の方々が担っている仕事の非正規雇用化が進み、組合の傘から外れたことで、給与や条件面での企業に対する交渉力を構造的に失ったことが、格差の拡大につながった、ということは十分に考えられるので。
「大卒(や出身大学の名称)」と言ったラベルが機会差につながる原因の一つは、「個人の能力」を評価するのは難しい、というところにありますよね(特に書類選考などでは)。だから、ラベルに頼ってフィルターをかけてしまう。人間・組織の情報処理能力の制約が根底にあるので、こうしたフィルタリング自体をなくす、というのは想像しにくい。
なので、雇用主に対して交渉力が弱く、また、社会福祉面でもフォローが手薄いために、意欲や能力があっても脱出しにくい、という構造に対して手を打つことが必要なように思います。筆者が指摘されている、公的サポートの必要性も同じ方向性の議論だと思いますが。
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