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【落合陽一×三浦崇宏】クリエイティビティをアップデートせよ
WEEKLY OCHIAI
Konno Yasuchika
アニマルスピリット「合理性のない飛躍」をどう社会(概念でない)の蚊帳の内から実装し、駆動させるかということが、ここに於いては重要なクリエイティビティということ。 (蚊帳の外に具現化したとしても、それが経済の土壌をかき混ぜないものは、相手にされない…) 次回のテーマである「チーム」にも関わる話だと思うのだが、 フォロワーも含めての「チーム」の社会実装力の話しなんだろう。 今回の三浦氏が担ったフォロワーとしての熱量が、 本当に重要だと改めて感じ入った。 (追記) ーーーーーーーーーーーーーーーー 「分かりやすさ」「大衆が分かるようにする」ことに価値があり、 「分からなさ」には価値がない。 それがあまりにも横行し、その態度が横暴になり、 「分からなさ」の可能性をスポイルさせ、 結果それが「愚かさ」を育んで来たように感じる。 その態度を育てて来たメディアが、 そこを壊していく作業を、 メディアとしての力を保ちながら、 デジタルコンテンツで提示することは、 とても価値があると思う。 そこをズバズバ言い得た三浦氏の提案というか、本音は聞いていて、気分が良かった。 そして、それに隠れていた本音を垣間見せた落合氏の発言も気分が良かった。 落合陽一を 分かりやすさにスポイルさせない。 大衆に迎合させない。 圧倒的な能力を発揮している落合陽一の現場感をそのままに、 分からなさを分からないままに、 見てみたい。 「分かりやすさ」を要求するムードから、 「天才を守る」「能力を守る」 三浦氏がしたことは、そういうことではなかろうかと思っている。 これって、本人が言えないし、言うもんでもない。 落合陽一が自由に、そして深く集注出来る、アジールを、 News Picksが作れたら、 それは強度あるup gradeになると思う。 たのしみである。 とはいえ、私は落合陽一の言ってることの半分も分からないのだがww ただ、私が藝術や身体の世界に身を置いて、常に「分からなさ」の中に居続けていることで、得た経験や感性は、本当に貴重であり、 可能性は無限大と、よく言われたりするが、 それは常に「分からなさ」の世界に居続けられるかということでもあると。
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クリエイティビティをアップデートせよ
NewsPicks
Konno Yasuchika
「分かりやすさ」「大衆が分かるようにする」ことに価値があり、 「分からなさ」には価値がない。 それがあまりにも横行し、その態度が横暴になり、 「分からなさ」の可能性をスポイルさせ、 結果それが「愚かさ」を育んで来たように感じる。 その態度を育てて来たメディアが、 そこを壊していく作業を、 メディアとしての力を保ちながら、 デジタルコンテンツで提示することは、 とても価値があると思う。 そこをズバズバ言い得た三浦氏の提案というか、本音は聞いていて、気分が良かった。 そして、それに隠れていた本音を垣間見せた落合氏の発言も気分が良かった。 落合陽一を 分かりやすさにスポイルさせない。 大衆に迎合させない。 圧倒的な能力を発揮している落合陽一の現場感をそのままに、 分からなさを分からないままに、 見てみたい。 「分かりやすさ」を要求するムードから、 「天才を守る」「能力を守る」 三浦氏がしたことは、そういうことではなかろうかと思っている。 これって、本人が言えないし、言うもんでもない。 落合陽一が自由に、そして深く集注出来る、アジールを、 News Picksが作れたら、 それは強度あるup gradeになると思う。 たのしみである。 とはいえ、私は落合陽一の言ってることの半分も分からないのだがww ただ、私が藝術や身体の世界に身を置いて、常に「分からなさ」の中に居続けていることで、得た経験や感性は、本当に貴重であり、 可能性は無限大と、よく言われたりするが、 それは常に「分からなさ」の世界に居続けられるかということでもあると。
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Konno Yasuchika
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人類をアップデートせよ
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Konno Yasuchika
ともかく面白かったし、小気味好かったし、拾いどころ満載の濃厚なweekly OCHIAだった。 宮台さんが維新派の話から入ったのは、 舞台人からすると、ウフっとしたし、 芸術の「わからなさ」やそれによる「不快、不可解さ」の重要性を説いたのは、「いいね」を押してクズになってもいい程の同意であった。 (ヨーロッパでは、「わからなさ」をしっかり評価出来る文化、芸術への理解があると聞く) 総じて、「躰」を探求するものとして、 宮台さんは、身体性の話をしているのだと私は解釈している。 ゆうならば、「身体力」の衰退が著しいという話だ。 私の言語で言えば「躰の消失」。 そこに対する危機感の話だったと思う。 言葉の自動機械も大いに「躰」が関わる話だ。 輪郭無き、身体の拡張。 仮想現実がその拡張に拍車をかける世の流れ… 「躰」の蘇生、復古を訴えてきたが、 これからは、意識の在り方がキーになってくると思う。 そこで「主導権を渡さない」という意志、意識を、 幾重にも重ねられたバイアスに気付きたながら、 それを丁寧に一枚一枚取り除いていく作業に、 芸術という媒体は貢献し、より重要度を増すのではないかと思うと同時に、 芸術家サイドとしては、よりその質が問われるべきだと、身の引き締まる思いだ。 (とはいえ、芸と術のupgradeを繰り返すのみだが) 人間の定義、人類の定義 それらによって上記で述べた「身体」「躰」の優位度はどのようになるのかは、個人的に興味深い。 宮台さんの「躰」の時代は決して戻っては来ない。 より躰は拡散し、その密度は稀薄になる中で、 人々はどう振舞い、佇むのか? 「新たな人類の時代」はもう始まっている。 ここに対する肌感、予感は、落合氏のアートに反映されてくるのではなかろうか?と思っている。 「質量への憧憬」にその片鱗を私は垣間見ていた。 ともかく面白い時代だ。
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Konno Yasuchika
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