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どうすれば喜びを分かち合えるのか?
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Koji Takamizawa明治大学 学生
初めてコメントします。25歳文学部卒、生まれた頃ぐらいが情報革新の世代です。 お二人の会話を見て「人間の建設」の岡清と小林秀雄を思い出しました。 そして面白いことに(いや、それとも哀しいことに?) 岡と小林の際に語られたのは「人間の建設」であった=人間がどう人間であるべきかということについて、人間の進化史のこれまでとこれからを鑑みつつその当時の段階において、結論からして「人間的な部分をエンハンスしていこう」「人間はやっぱり情緒だ」として語られてた、のであったのに対して 今回のお二人で語られた中では、特に落合さんの子供のエピソードとそれに対しての東さんの「それは面白いね」というなんとなく不自然なリアクション(個人的に感じました、事実本当に面白いことではある)の場面に現れていたように、つまり「人間が人間的な部分に喜びを感じなくなってきている?」←これが真だとすると、東さんの思っている「最後の砦的な」「人間が善いと感じる人間的な根源的な感覚」「人間存在の本質的なもの(?)」みたいものが脆くなってきている、ということだと思うんです。東さんのやけに大きな笑い声からは、そんな悲痛を感じました。(勝手に)(そしてこれを感じたのはなによりも僕自分が哀しいからです)(と同時に落合さんの言う「二極化がどんどん進んでいる」にも納得しているなう) なんというか、これまで「情報革新」と言うものに対して「キラキラした」「素晴らしいもの的な」イメージであったものが、最近の超スピードの情報技術発展と、改めて会話を聞いている中でも、またさらにこうやって感想を書いている途中でも、そのイメージは「なんとなくこわい」ものとして感じるようになりました。 -------- 村上春樹「1973年のピンボール」p.28にこんな文章がありました。 「ピンボールマシンとヒットラーの歩みはある共通点を有している。彼らの双方がある種のいかがわしさと共に時代の泡としてこの世に生じたという点で。進化はもちろん三つの車輪、すなわちテクノロジーと資本投下、それに人々の根源的欲望によって支えられていた。」
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