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永里優季が考える、「サッカーがうまい」の真実
どぅら めんて
日本の選手は技術はあるが、試合の中では使えない。こう言われることが多いなかでテクニックがあくまで上手さの一要素であることを示すよい定義だと思います。
先日イングランドのチャンピオンシップ(2部リーグ)を観る機会があったのですが、いっしょに行った友人に聞いてみると「決してスキル自体はそこまで高いわけじゃなさそう、でもボールを扱うときの判断は早くて展開が早く感じる」とのこと。
そして試合の各場面において、前線を目指す意識の高さが明確で、ファンもボールが前にさえ行けばタッチラインを割って相手ボールになっても拍手する。こういったところに、うまさのなかでもどういった要素が重要視されているのか、その違いを見ていくことは非常に面白いなぁと感じます。
スポーツ界で“オレ様”が減っている、なるほどな理由
どぅら めんて
相手の言っていることに耳を傾けられる謙虚さが必要ということには同意。でももちろんそれだけではダメで、もらったアドバイスが本当に自分に合っているかどうかを含め咀嚼できることも大事だと思う。
昔応援していた元プロ野球選手(のちに格闘家に転身)のFさんについて、OBを含め色んな方からいただいたアドバイスを全て真摯に受け止めようとした結果、何が正しいのかわからなくなったという話を聞いたことがあります。
【追記】
福山氏のコメントになるほど、言われてみりゃそうだわ、と思いました。普段馴染みのないビジネス系メディアのインタビューだったら余計に型にはまった回答になりそうですもんね。それはそれとしてもこのインタビューの内容についてはまぁその通りかなと思います。
いま注目の「コミュニティ・スクール」とは? ――地域とともにある学校が、「少子化・日本」の明日を元気にする | Mugendai(無限大)
どぅら めんて
アイディア自体には概ね賛成。でもただ理想的に見えてしまうのは、このコミュニティスクールがそれでもあまり浸透しない現状への課題が述べられていないからだろうか。
そして三鷹でも問題が決してゼロではなかろうに。
もうひとつ気になったのがアントレプレナーシップについて。ビジネスは大事です、国の活力の源泉のひとつなのは間違いないです。でもそれはあくまで手段であって国の豊かさ全てを示すわけではないのは異論はないはず。そういった豊かさの多様性に関してコミュニティスクールが果たせる役割ってあると思うのですが、そこについてまた話を聞いてみたいです。
コミュニティを強調しながら、どこかこの記事には新自由主義的なニオイを感じます。
NORMAL
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