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中国、「私の名前」は「党」
白石 佳紀ITエンジニア
中国のここ数十年における歴史の本質は、社会主義か資本主義かではなく、自由を抑圧してきた一党独裁体制であった、という記事。
社会主義体制であった中国は今では、市場経済も私有財産も認め、人民公社を廃し、固定相場制と言論統制が残りました。
文革期、鉄の増産のために各家庭に炉を作ったが材料となる鉄がないため、寺の鐘や鍋や鉄製農具という既に使われている鉄製品を溶かして鉄を生産する(資本ストックの食いつぶし)という笑えない話もあったようです。
また、計画経済は計画水準に達することはなく、生産量は水増ししてごまかしていたそうです(ごまかさないと上司から責任を背負わされてしまう。ちなみに生産量のごまかしはオーウェルの小説、1984年にもあります)。
私としては中国はまだまだ発展途上であり、それは19世紀後半の日本やロシアと同じ資本主義初期の段階ではないかと思います。素人見解ですが。
今度は「男が育児出来ない日本死ね」ブログが話題 「非正規の妻より俺のが給料いいから仕方なく働いてるんだよ!」 - キャリコネニュース
白石 佳紀ITエンジニア
長時間労働、家族を養うのに不十分な収入といった、様々な社会問題が絡み合って噴出した、一筋縄ではいかない一連の問題。
片方だけに傾きがちな育児負担は、不和や精神不安など、のちの家庭生活にまで暗い影響を与えます。
こういうときに、長時間労働であっても何の問題もなく家族を養っている世帯があるだとか、家族と触れ合った時間の長短は関係ない(つまりわずかな時間であっても、子育ても家族との絆の維持も達成できる)という、長時間労働を正当化するような都合のいい個別事例の列挙は、問題の本質を見えなくして先送りにするだけでなく、社会的な問題を個人の責任にすり替え、矮小化してしまう恐れがあります。
話はそんな単純ではありません。
死ねという暴力的な表現は、正規の手続きや手段ではもはやどうにもならないし伝わらないことを示しているのではないかと思います。現状に合わない制度と圧倒的に不利な環境の中で雁字搦めにされながら、高い民度を保った国民としての矜持を持て、というのは些か過ぎた命令ではないかと思います。
変えるべきなのは汚い言葉を操る彼らの口だけではなく、彼らを取り巻く環境や制度、それと変革の波にさらされていることに気づかない、気づこうともしない社会全体、国民全体の意識であると言えます。
NORMAL
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