前回のコラムでは、米アップルや、台湾・鴻海精密工業などが、既にエレクトロニクス業界では当たり前になっている「開発・製造分離」というビジネスモデルを自動車産業にも持ち込もうとしていることを紹介した。そして「開発・製造分離という大きな流れはもはや止めようがないと思っている」と書いた。そうしたら、前回のコラムが掲載されて約1週間後の3月30日に、2020年にアップルを抜いてスマートフォンで世界第3位のメーカーに躍り出た中国Xiaomi(小米、シャオミ)までが「スマートEV(電気自動車)に参入する」と発表した。

スマートフォン世界第2位の中国Xiaomiも「スマートEV」への参入を発表した(写真:Xiaomi公式ブログより)
スマートフォン世界第2位の中国Xiaomiも「スマートEV」への参入を発表した(写真:Xiaomi公式ブログより)

 これは筆者の勝手な推測だが、Xiaomiもアップルと同様、車両の製造そのものは外注し、ソフトウエアやサービスの開発に特化するのではないか。筆者はこれまで、自動車産業のビジネスモデルの“破壊者”として米グーグルや米ウーバー・テクノロジーズ、米アマゾン・ドット・コムといったIT企業の自動車産業への参入に関心を持っていたが、今後はスマートフォンメーカーの動向も注視すべきかもしれないと考え直した。

 話を戻すと、筆者が前回のコラムで「開発・製造分離という大きな流れはもはや止めようがないと思っている」と書いた理由は、新規参入企業が既存企業にビジネスモデルの転換を迫るその姿に既視感があるからだ。技術ジャーナリストとして筆者の大先輩であり、日経エレクトロニクスの編集長を11年にわたって務め、その後、早稲田大学の客員教授などを歴任した西村吉雄氏の著書『電子立国は、なぜ凋落したか』(日経BP)に描かれた日本の電機産業は、いまの自動車産業の姿に重なって見える。

 同書に「日本の半導体産業、分業を嫌い続けた果てに衰退」という章がある。半導体産業では、1980年代後半から製造工場を持たず開発に特化した会社と、製造に特化した会社による分業が広まっていった。この半導体の製造専門の会社を「ファウンドリー」と呼ぶ。現在の代表的な半導体の開発会社としては、スマートフォン用半導体大手の米クアルコムや、自動運転車向けの高性能半導体で有名な米エヌビディアなどがあり、ファウンドリーの代表的な企業としては台湾TSMCがある。いずれも1980年代半ば以降に半導体業界に新規参入した企業だ。

半導体業界の主流は「開発・製造分離」

 半導体市場調査会社のIC Insightsの調査結果を見ると、2020年の世界半導体メーカーランキングのトップ10のうち、1位の米インテル、2位の韓国サムスン電子、4位の韓国SKハイニックス、5位の米マイクロン、9位の米TI、10位の独インフィニオン・テクノロジーズは開発と製造の両方を手掛ける企業だが、3位のTSMCは製造専門企業(厳密にいえばTSMCは自社ブランド製品を持たないため“半導体メーカー”ではないが)であり、6位のクアルコム、7位のブロードコム、8位のエヌビディアは開発専門の会社だ。しかも、2位のサムスン電子はファウンドリー事業も手掛けており、アップル向けの半導体などを製造している。インテルも2021年3月、ファウンドリー事業に本格参入することを表明した。これは、半導体業界のトップ3がファウンドリー事業を手掛けることを意味する。つまり半導体業界では、社内で開発した半導体だけを社内で製造する、という形態の企業はメインストリームではなくなりつつあるわけだ。

世界最大の半導体メーカーであるインテルはファウンドリー事業への本格参入を発表した(写真:インテル)
世界最大の半導体メーカーであるインテルはファウンドリー事業への本格参入を発表した(写真:インテル)

 時計の針を1980年代後半に戻すと、開発と製造の分業が広がる中で、日本の半導体メーカーはこれを嫌い、開発と製造を統合した事業形態に最近まで固執し続けた。「これが日本半導体産業の衰退の一因、私はそう考えている」と西村氏は指摘する。ではなぜ、半導体産業では、「開発」と「製造」の分業が始まったのだろうか。そして、日本の半導体業界はなぜ分業を嫌ったのだろうか。

 半導体の世界で「開発」と「製造」の分業が進んだ背景を、西村氏は「出版」と「印刷」のアナロジーで解き明かしている。出版社の役割は「読者が何を読みたがっているか」を探り当て、読まれるコンテンツを作成することだ。このプロセスに大規模な設備はいらない。逆に印刷会社は装置産業であり、最大のコストは印刷機の償却費用である。従って、印刷会社は「いかに稼働率を上げるか」が最大のテーマとなる。

 このアナロジーから分かるように「多様なユーザーニーズにきめ細かく対応する」ことが求められる「開発」の業務と、「なるべく同じ製品を大量に生産する」ことを志向する「製造」の業務はもともと相いれない。西村氏が最初にこのことに気づいたのは学会だったという。同じ半導体技術者でも、「開発」の技術者と、「製造」の技術者では、あまりにも興味の方向が違いすぎることから、両者を分離するのが合理的なのでは、と考えるようになったというのだ。

 半導体の世界では、技術の高度化(製造プロセスの微細化)に伴って、半導体製造設備への投資はどんどん膨れ上がっている。当然、それだけの設備を自社開発の半導体の製造だけで埋められるメーカーは限られる。インテルやサムスンのような企業ではそれが可能でも、ほとんどのメーカーでは設備への投資・維持が難しくなってきた。これが半導体業界で「開発」と「製造」の分離が進んだ背景にある。

なぜ日本では分業が進まなかったのか

 1980年代の後半になると、半導体における開発と製造の分業は、世界的に大きな潮流となった。それでも、日本の半導体メーカーは、開発と製造の分業を嫌い続けた。何人かの半導体メーカーの幹部は、私的な席で西村氏にこう語ったという。「理屈ではあなたの言う通りだと思うよ。でもウチの会社じゃ無理だね」。

 なぜ日本では半導体の開発・製造分離が進まなかったのか。その理由の一つに、当初のファウンドリーは研究開発に投資するほどの利幅を確保できず、製造技術面で統合メーカー(半導体の開発から製造まで一貫して手掛けるメーカー)に比べて一段低いとみなされていたことがある。実際、当時のファウンドリーは最先端デバイスの製造ができず、少し遅れた製品を他社ブランドで安く製造する存在だった。少なくとも、日本の半導体メーカーはファウンドリーをそう見下していた。「見下される存在になりたくないという意識が、日本の半導体メーカーにはあったのだろう」と西村氏は推測する。

 ところが、次第にファウンドリーの製造技術が統合メーカーの製造技術を凌駕(りょうが)するようになっていく。その理由の一つは、半導体製造装置メーカーとファウンドリーが連携を強めたことだ。ファウンドリーのほうが設備の稼働率が高いため装置の償却が早く、従って装置の更新が早い。ファウンドリーのほうが、設備が新しくなったのである。

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