ソ連崩壊や英国EU離脱を予期した歴史学者は今、民主主義を阻む原因が教育にあると見る。エリート層が大衆と自分たちは違うと思い込む西欧の分断社会では何も解決しないと説く。民主主義を取り戻さなくてはいけない。どうすればいいのかを聞いた。

(聞き手は 本誌編集長 東 昌樹)

(写真=Abaca/アフロ)
(写真=Abaca/アフロ)
PROFILE

エマニュエル・トッド[Emmanuel Todd]氏
1951年フランス生まれ。パリ政治学院卒。英ケンブリッジ大学で博士号を取得。家族構成や出生率、死亡率から世界の潮流を読む。76年の著書で旧ソ連の崩壊を予言した。米国の衰退期入りを指摘した2002年の『帝国以後』は世界的ベストセラーに。その後もアラブの春、トランプ大統領誕生、英国の欧州連合(EU)離脱を言い当てた。

世界で民主主義が機能不全に陥っているように見えます。民主主義を働かせるにはどうしたらいいのでしょうか。

 機能不全がどこから生じているのか。2つの側面があります。1つ目は教育による社会の分断です。高等教育を受けた人、中等教育までの人、読み書きができるだけのレベルの人というように分かれています。一昔前は読み書きができれば平等という感覚があったんですが、今はそれがなくなりました。

 上層にいる人たちが下層の人たちをさげすむような状況が生まれ、下層の人は上層の人の言うことに懐疑的な感情を抱いている。高等教育を受けた人々が結構多くなり、彼らだけで閉じた世界をつくり上げてしまっている。

 もう一つは共同でみんなが何か1つのことを信じるようなものがなくなってしまったことです。宗教や国家のことです。現代の先進諸国の社会は階層化し、どこかのグループに所属しているという意識がない個人だけで成り立っています。

 上層の人々がつくる少数の権力者の層はシステムになっていません。つまり下層の人々は民主主義を求めて抵抗すると同時に、少数の権力者が君臨するのを阻止しようとするという緊張の中にあるわけです。

西側が再び結束するとき

教育格差をなくし、分断を解消するにはどうしたらいいのでしょうか。

 交渉、話し合いをすべきだと思います。上の層が行動を起こすべきです。下層の人々を尊重する形で経済政策や社会政策をつくり上げることが解決につながる。上層にいる人々は教育がそのポジションを正当化しているという思い込みを捨てなければいけない。

 社会における上下の分断はあちこちで見られます。それは文化や家族構造によって実情が異なります。日本ではある程度、尊重し合う関係が見られ、分断はそこまで激しいものではないと見ています。例えば東大卒の人が労働者たちをどう見るかというような話です。

 でもフランスではエリートと労働者の関係は日本とまったく違っているのです。本当の問題は古くからの民主主義の国に残っている。フランス、英国、そして米国ですね。

<span class="fontBold">民主主義を生み出した米英仏といった国々で民主主義の機能不全が顕著になっている。中国は内部に矛盾を抱え、出生率も下がっている</span>(写真=左・右下:ロイター/アフロ、右上:AP/アフロ)
民主主義を生み出した米英仏といった国々で民主主義の機能不全が顕著になっている。中国は内部に矛盾を抱え、出生率も下がっている(写真=左・右下:ロイター/アフロ、右上:AP/アフロ)

交渉し、具体的には何をすべきでしょうか。分配の仕方を変えるとか。

 まず行き過ぎたグローバル化をもう一度見直すことが大事だと思います。グローバル化が生み出したいい面はある。世界のあちこちの人とコミュニケーションが取れ、旅行にも行ける。国際貿易もいい面がある。

 ただ、国家、国民の生活、経済を守る意識を持つべきです。グローバル化によって上層の人たちは世界の開放を目指しましたが、それは上層の間だけの話でした。今やらなければいけないのは国家中心に戻し、もう少し保護主義を持ち込むことだと考えています。

 トランプとかブレグジットは国家中心に戻す動きを見せました。欧州は今の形を脱し国家中心に少し戻る必要があります。エリートと大衆の交渉は、国家の枠組みの中でのみ可能だからです。

 昔のような暴力的なナショナリズムのことを言っているわけではありません。第2次世界大戦に見られたようなナショナリズムの動きに戻るリスクは、今はないと私は見ています。

 国家の問題については今の米国を見ればいい。バイデンがこれから選択できる道は2つあります。1つ目は狂ったグローバリズムをさらに続ける道。これはクリントンから続いている。さらなる開放や超大国の夢みたいな話です。

 2つ目の道はトランプの道を継続する。もう少し柔らかいやり方でトランプが始めたものを続けることも可能だと思います。

 トランプというのは国家中心に戻す動きと位置づけられるのか、あるいは単なる突然生まれた、アクシデントみたいなものか。オバマのときから一部の保護主義政策が取られていたことからも分かりますが、トランプ自身もその大きな流れの中に位置づけられます。

トランプ氏にしてもブレグジットにしても、国として格差に耐えられなくなった結果として出てきた現象なのでしょうか。

 その通りです。トランプやブレグジットは米国や英国が分断し、格差が生まれた結果と見るのが正しい。米英ではレーガン、サッチャーらがネオリベラリズム(新自由主義)やグローバリゼーションを推し進めました。その中で自己破壊が起きていったわけです。

 社会が壊れていく。それを何とか避けるためにこのような動きが今、生まれていると理解できる。米英は17世紀から世界経済の潮流を育んできました。彼らがグローバリゼーションも資本主義も生み出した。今、起きていることも大きな歴史の流れから見ると論理的な話ではあるんですね。

中国はどうでしょうか。やはり格差が広がっています。

 中国国内でも教育や経済による格差、階層化は見られるのですが、先進国に比べ深刻化していない。米英仏などが教育によって完全に分断してしまっている中で、突如として中国が全体主義的な新たなモデルとして現れている。世界の均衡を考えるうえで中国の脅威を考慮しなければならなくなっています。

 裏を返せば西洋内部の均衡のために、もしかしたらいいことにもなり得ます。中国を何とか抑えようとする中で、西洋の内部で新たな連帯感のようなものが生まれる可能性があります。

 内部の均衡が外部の敵によって生まれるのは非常に悲しいことだと思いますが、長い歴史を見るとそのような構図は今までもあったことです。

かつての西側諸国はソ連というもう一方の軸があることで自分たちを相対化し、存在意義が分かるようになった。自由貿易を進めるだけの世界では、自分たちのことも分からなくなるということですか。

 そうです。西洋の民主主義が一番うまく機能した時期はソ連が存在した1945年から90年。競合システムが存在したため、西洋社会のエリートは民主主義を押せるところまで押すことを余儀なくされました。

保護主義が経済を停滞させる恐れはないですか。あるいは多少停滞してもいいということなんでしょうか。

 私は保護主義者でも自由貿易主義者でもありません。長い歴史の中で市場を開くときと閉じるときの波があるべきだと思っています。

 開くときというのは、規模の経済が働き、市場が拡大していろいろな知識の移転も進むフェーズです。それを進めると、競争によって給料が圧迫され、資本主義は自らの矛盾にぶち当たる。給料の上昇が生産性の速度に追いつかない。需要も不足してくる。

 今起きているのが、この経済の停滞だと思います。これから保護主義に向かうことで停滞するのではなく、今の世界が既に停滞していると見ています。

 経済学者のポール・ベロックによると、19世紀の欧州では開放のフェーズがありました。1870年に始まり、結局開放によって農産物の価格が下落します。そして農産物の収入がどんどん減り経済は長期停滞に突入してしまった。

 そこでビスマルクがドイツで登場し、保護主義が経済を再スタートさせました。輸入品に高い関税をかけ、国内産業が復活した。それが国家間の貿易を最終的には活性化させたのです。

 このサイクルを私は思い描いています。保護主義が内部需要を高める。そして国際貿易をプッシュして経済を再スタートさせるきっかけとなる保護主義ということです。

「北朝鮮にしたいのか」と言われ

ではグローバリズムを否定するのではなく、調整期間が必要だということなのですね。バランスを取るための。

 保護主義が成長を止めることはまずないと思います。保護主義もリベラル主義の一部であると理解すべきです。経済学者のフリードリヒ・リストは市場の保護を保護主義と呼んで大切だと言ったんですけれども、同時に市場内部の経済アクターの自由を守るべきだと言い、完全にリベラル派でした。

 フランスで私はたまに、「保護主義を主張するけどフランスを北朝鮮にしたいのか」と言われることがあります。まったくそれは違う。保護主義というのは市場ありきだからです。保護主義は国家が主導権を握る計画経済の逆にあるものと言えるのです。

波の調整は国ごとに対応していくものなのか、あるいは国際機関で意思決定をしていくべきなのでしょうか。

 各国がそれぞれ自由にうまく対応できるのが理想ですが、国際的な機関の働きも必要だと思います。世界のエリートたちが「今のグローバル化は行き過ぎている。調整が必要だ」としっかりと認識することです。すべてを閉じるのではなく、ある程度抑えなければいけないと意識することで、世界的なレベルで調整が実現できると思います。

 関税貿易一般協定(GATT)や世界貿易機関(WTO)が自由貿易を推し進めたのと同じように協力的な保護主義を進める。自由貿易も自然発生的に実現したものではないのですから。協力的保護主義も同じではないでしょうか。

 協力的な保護主義の恩恵を最も受ける国は中国です。中国は輸出に偏った成長を遂げている。しかし国内の需要が下がり、経済的に停滞している国だということがだんだん見えてきました。中国企業は輸出に頼り過ぎて停滞しているので、グローバルな保護主義が生まれると、停滞している中国の経済も救われると思います。

トッドさんは以前にソ連の崩壊を予言されました。中国共産党はいつまで持つと見ていますか。

 今の中国を見ていると、内部的な矛盾を抱えていることが分かります。出生率も下がっている。大きな人口を抱え、出生率が下がることで均衡はあっという間に崩れる。どんどん高齢化が進み、人口構成のバランスも崩れる。移民を受け入れたとしても、あれだけの人口を補うほどの移民はあり得ません。

 非常に権威主義的かつ平等主義的、そして全体主義的な傾向も持っています。国内の不平等が広がることで社会的な不均衡が大きくなることは否めず、その先に革命ということもあり得る。

<span class="fontBold">中国は不平等の先に革命もあり得る。今ある夢の裏には恐怖が隠れている。</span>(写真=Abaca/アフロ)
中国は不平等の先に革命もあり得る。今ある夢の裏には恐怖が隠れている。(写真=Abaca/アフロ)

 今の中国政府のナショナリズム的な対応を見ていると、内部の不平等の広がりを必死に抑えようとしているように見受けられます。ほぼ避けられない内部の紛争を何とか国の理想のようなものとすり替えようとしている。

 中国はソ連と似たようなところがあり、全体主義的な傾向を持ち、西洋や先進諸国の経済の後追いをしています。後追いが終わって1番になったときに、刷新とか改革をするような文化がない。そうすると結局そこで崩壊してしまうと言える。例えば米国は内部がどんどん衰退しても常に刷新し革新をしていく。イノベーティブな精神があることでインターネットも生まれましたよね。

人口動態上の謎

日本は中国の隣国です。中国は国力を高める一方、国内の不満がたまると、外に力を発散することも。例えば日本の領土の一部を侵す可能性があると思います。日本はどう備えればいいのでしょう。

 日本は現状で米国の傘下にあり、中国が攻撃的な態度に出たときに米国が何もしないことはないでしょう。ただ、米国のみに頼るのも違うと思う。

 以前に日本で核武装について話をして小さな騒ぎになったことがあります。私が言いたいのは過去の議論にとらわれず、実践的な側面からアプローチすべきだということです。過去の日本のようにアグレッシブなナショナリズムの国になれと言っているわけではない。過去をしっかりと清算した上で、今の国家の安全をいかに考えるかが重要です。靖国神社が問題になりますが、それなら参拝をやめるか、位置付けを変える。その上で核武装をする。こういうイメージをしていただきたい。

 国家の安全について考えることは正当な姿勢で、自然なことです。日本は自分の国の人口減少を放置しており、どんどん弱くなっていくことを認めている国。日本が脅威になることはないということも考慮しています。

日本は人口減にどう対応すればいいのでしょうか。

 日本の人口問題は非常に難しい。日本は長男を重視する父系制社会で、女性が子供を産んで、なお働くのは、あまりいいことと見られない傾向がある。女性の地位向上や解放は法律の整備よりもメンタリティーの問題です。メンタリティーの改革が必要だと思います。

<span class="fontBold">乳児死亡率の上昇からソ連崩壊をいち早く予言した。パリの自宅でZoomによる取材に応じてくれた(下)</span>(写真=上:AFP/アフロ)
乳児死亡率の上昇からソ連崩壊をいち早く予言した。パリの自宅でZoomによる取材に応じてくれた(下)(写真=上:AFP/アフロ)

 フランスでは幼稚園、小学校だけでなく中等、高等教育の一部も国家が負担します。そうすることで中流階級の人たちが子供を持つということイコールリスクではなくなる。これは非常に重要で、日本も政府が中等教育、高等教育をもう少し負担すれば、子供を持つことが容易になる。

 私はある程度の調整をした上で移民を受け入れるべきだという立場です。日本が社会の均質性を守りたいという気持ちも分かるんですが、今の日本は移民なしではやっていけない。移民をある程度受け入れ、出生率も高める。この2つはこれからの日本の経済、社会で非常に重要な優先事項だと思います。

識字率が上がると出生率が下がると指摘してきました。そうなる理由を教えてください。

 経験的なデータからの法則です。女性の識字率が高まると出生率が下がる。読み書きができるようになると合理的な考え方をするようになり、新しいことに挑戦する流れが生まれるという説明はつくと思います。

 ただ、実は人口学者は今、新たな問題に直面しています。それはアフリカ大陸。この法則が当てはまらないところがある。高水準の出生率を保っている。仮説ですが子供が父と母に対して依存するのではなく、もっと広い家族に依存している構図があるからかもしれません。まだ謎に包まれています。

欧州連合(EU)はこれからどうなっていくと見ておけばいいのでしょうか。

 通貨統合や人口管理など問題だらけだと思っています。非常に悲しい事態だと思いますが、ドイツが1国で権力を握っている構図です。

 欧州はこれまでに3回、自己破壊が起きています。第1次、第2次世界大戦、今が第3の自己破壊のフェーズにある。

 コロナ禍で明確になりましたが、経済を再開させるために、まとまった決断をEUとして取るべき時期があったかもしれない。しかし、できない。1つの決断もできない固まりになっている。

東北で出会った農家の言葉

世界中で発生している分断の解消に向けて、エリートが手をこまぬいているのはなぜですか。自分たち、あるいは自分たちの世代だけよければいいという感覚があるのでしょうか。

 確かに世界的に「無」のような感覚があると思っています。社会が発展する上で、夢や理想は欠かせない。グローバリゼーションで世界の夢が実現しました。欧州統合も素晴らしい夢でした。社会民主主義も同じく、みんなが夢に描いたものが実現しました。

 今、これらの夢が崩れている。EUは失敗し、グローバリゼーションは停滞し、民主主義も階級間で警戒心を生み出している。今のエリートはこれらの代わりとなる夢を探している状態だと考えられます。

 今いくつかある夢を考えてみると、すべて何かへの恐れに基づいています。エコロジー、地球に優しい経済は温暖化のような恐怖が裏に隠れている。

 ですので、理想や夢、今描かれているものは結局、裏を返せば悪夢なわけです。よりよい将来が待っているわけではないことが、この状況を生み出しているのではないですか。

 近代の素晴らしい政治思想はキリストやブッダのような思想から生まれた。今はそのようなものが生まれるわけでもないので、今後どのような夢が生まれるかということに関して、私も研究者としてよく分かりません。

ソ連崩壊の予想から45年。何が研究のモチベーションなのでしょう。

 研究以外、何もできないんです(笑)。3・11の後に東北を訪れると、農家の方がようやく野菜を植えることができたと語ってくれた。それと同じようなことです。ひたすら研究を続けてきた。フランス人は早く仕事を辞めたいと言うんですが、日本人は仕事は大事で健康にいいと。私は日本人に近いですね。

傍白

 著書を読むと反グローバルの方かと早合点しますが、そうではありません。簡単に言えば「グローバル化はたくさんいい面があるが、変化には摩擦が起きる。さらなるグローバル化のためには摩擦で負った傷を癒やす時間と対策が要る」ということでしょう。グローバル化を急速に進めた結果の今がすでに「停滞している」との指摘は新鮮です。

 米連邦議会の占拠事件は衝撃的でした。しかし、暴動を民主主義の危機と嘆いても仕方ありません。その背景にあるものは一体何なのか。根本の問題を解決しない限り不安定な状態がいつまでも続くことになるでしょう。まず、グローバル化を優先するために切り捨ててきた悲鳴に耳を傾けることが良きグローバル化には必要なのかもしれません。

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日経ビジネス2021年1月25日号 54~59ページより目次