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アダム・ロジャーズ

『WIRED』US版副編集長。科学や、種々雑多な話題について執筆している。『WIRED』US版に加わる以前は、マサチューセッツ工科大学(MIT)のジャーナリスト向け奨学プログラム「ナイト・サイエンス・ジャーナリズム」の研究生に選ばれたほか、『Newsweek』の記者を務めた。著書『Proof:The Science of Booze』は『New York Times』のベストセラーに。

ガーランドの映画はこれまで壮大で抽象的なテーマを扱ってきたが、そのなかでも最も優れた作品は、非常に狭い密閉空間の中でそれを行なっている。セットもほぼ登場人物だという人もいるかもしれない。ガーランドは複雑なストーリーの設計者でもあり、実際の空間の設計者でもある。従来のセットは、カメラアングルをよくしたり、ライトを取り付けたりするために、監督やクルーが壁や天井を取り外せるようになっている。だがガーランドのチームはよく、それとはまったく異なるセットをつくる。実際の場所でないとすれば、可能な限り現実に近いセットにするのだ。

これはガーランドが監督になる前からずっと変わっていない。彼は『ジャッジ・ドレッド』の脚本で、1棟の封鎖された高層ビルを舞台として設定している。これはストーリーの問題を解決するためというよりは、予算の制約に折り合いをつけるためだった。それでも、この映画は、例えばシルベスター・スタローンが主演を務める1995年のヴァージョンよりも、確かに原作コミックの『Judge Dredd』らしくなっている。見事な衣装や、俳優のカール・アーバンがドレッドのミラーシェードのヘルメットを被って死の裁きを下す理由となっている恐ろしい闇商売のおかげだ(ガーランドは、漫画雑誌『2000AD』に掲載されていた『Judge Dredd』と、JGバラードの都市を舞台にしたディストピアSFを、自身に影響を与えた主な作品だと語っている)。

だが、『エクス・マキナ』では、ストーリーと設定が作品を織りなすものとして使われた。「Devs」と同様に、『エクス・マキナ』の中心的な謎になりそうに思えるものは、実はミスディレクションだ。エヴァがマシンかどうかはまったく問題ではない。映画では空山基(そらやま・はじめ)のストリップショーとは逆のかたちで、この登場人物が描かれている──ロボットはセクシーな女性の肌を身につけた後、キュートなかわいらしい服を着るのだ。わたしたち観客は、ケイレブがエヴァを観察するのを観る。そして彼女が人間のように思えるだろうということに、疑問はほとんどない。この映画は、代名詞の問題だ。

Devs

「わたしはひとつのテーマにこだわります。そうすれば当然、物語はその主題にこだわったものになります」とガーランドは語る。(C)CAPITAL PICTURES/AMANAIMAGES

セットはこうした問題に焦点を当てている。ネイサンの家は、脚本の最初の原稿では塀と手入れの行き届いた庭がある昔ながらの屋敷として描かれていたが、映画では、超現代的な大豪邸になっている。隔絶はネイサンにとって身を守る手段で、窓は人を寄せ付けないジャングルに面している。そしてどのドアがいつロックされて、どこから何が見えるのかが、このストーリーの全体的な謎において、大きな役割を果たしている。

この豪邸は紛れもなく実際の場所で、部屋も具体的な間取りの中にある部屋だった。「難しい仕事でした」と語るのは、「Devs」も手がけているプロダクション・デザイナーのマーク・ディグビーだ。「登場人物が3人いて、そのうち2人がひとつの部屋でお互いのことを壁に向かって話しているんです」。この作品はなるべくして面白くなったのだ。空間はナラティヴを導く手助けをするものでなければならない。

ナラティヴが展開する空間

『アナイアレイション ー全滅領域ー』が『エクス・マキナ』ほどエネルギッシュに感じられないのは、これが理由かもしれない。この映画の道中の部分は、闇の中心にあるエイリアンの神殿に科学者の調査隊が入っていくシーンほど息詰まるものではない(ところで、この神殿も3次元フラクタル図形だ。仰向けになった太った人と渦巻図形を組み合わせたような、マンデルブロ集合という名前で知られる図形を引き伸ばしたような形をしている)。

もっと遠慮のない言い方をすれば、この映画が苦戦した理由には、ガーランドが言うように、基になっているジェフ・ヴァンダミアの本が、ほとんど実際の科学に基づいていないというのもあるかもしれない。また、ガーランドたちは地形をよく知らなかった。この映画は、変わり果てた米国のガルフ海岸が舞台だが、撮影は英国で行なわれた。「わたしたちは文字通り、世界中のフェイクのスパニッシュモスをもっていました」とディグビーは語る。

だが「Devs」では、再びナラティヴが展開する空間をコントロールできるようになった。ディグビーと美術装飾担当のミッシェル・デイは、四角い研究室がある防音スタジオから廊下を挟んで向かいにある、広くて天井の高いオフィスを一緒に使っている。壁には量子コンピューターからオフィススペースまで、あらゆるもののデザインが貼ってある。RPGの『ダンジョンズ&ドラゴンズ』に出てくる地図のように、架空のアマヤの敷地をレイアウトした、ポスターサイズの方眼紙まである。

デザインにはすべて、「Devs」のタイトルとロゴが入っている。わたしはここで、タイトルのDはアマヤ(Amaya)のロゴに使われている「a」を裏返しにしたものだということに気づいた。どことなくquantum(量子)のQにも見える。まさにシリコンヴァレーだ。ディグビーとデイの話によると、ふたりはガーランドに、量子研究室は実際には、金のLEDライトがたくさんついた、真空に浮かぶ巨大な赤い立方体にはならないだろうと説明しようとしたという。すると彼はふたりに対して、自分たちの限界を試すように言った。

実際問題、このような映画をつくるのは、それよりも複雑だ。ガーランドとディグビーとデイは、スケッチと脚本を何度もやりとりした。ガーランドが父親から絵の描き方を教わったのが役に立っている。セットができると、ガーランドは俳優たちと各シーンのリハーサルや振り付けを行なう。

「事前に絵コンテを描けば、効率的に、『OK、じゃあ窓のところまで歩いて行って、外を見て』と言っておいて、わたしたちは窓の外で撮影したりもできるでしょう。でも、俳優がその通りの演技をしなかったら? この方法が自然な演技を邪魔していたら? 」とガーランドは問いかける。「俳優は撮影部門に動かされているのではありません。登場人物を感じ取って動いているのです」

繰り返されるリフレクション

振り付けが終わったら、ガーランドと撮影監督のロブ・ハーディー(彼も長年ガーランドと撮影を共にしている)は、壁や天井、ときにはライトさえも固定されたセットで、これらのシーンをどうやって撮影すればいいかを考え出さなければならない。このことは、全体のリズムに影響を与えてきた。

「Devs」では、ガーランドとハーディーは複数の俳優やセット全体が映った、広い範囲を撮影する「マスターショット」と、アップのシーンを交互に撮影するという典型的なペースこだわることはない。代わりに、たくさんのカメラを回し、そのうちのいくつかはマスターショットを、またいくつかはもっと近いアングルを撮影し、その状態で最大8分間、シーンを撮り続ける。

そうでなければ、クレーンで頭上からマスターショットを撮影するだろう。レンズを高い所に取り付け、デジタルカメラの本体を地面に置きながら、このふたつをコードでつなげるのだ。これは感情的には登場人物から離れたショットだが、「建物や空間の領域」をとらえるショットでもあると、ハーディーは言う。「こうすれば、この空間が本物で、すべてがつながっているのがわかります」

実際、ハーディーとガーランドはこういったリモートカメラを最も重要なショットにまで使用する。リリーとフォレストが研究室で会話をする山場のシーンでは、ガーランドもハーディーも、それをじかには見ていない。ハーディーは部屋にリモートカメラを設置していて、その場には演者しかいないのだ。彼は「Devs」の撮影現場の別の部屋でカメラを操作して、iPadの画面でその放送を見る。

視覚的に、『エクス・マキナ』がフレームと窓の作品だとすれば、「Devs」は映り込み(リフレクション)と幽霊の作品だ。多くのシーンで、映り込みが起きる表面や、自分自身のドッペルゲンガーに話しかけている人々が、巧みに利用されている。量子物理学に非常に詳しい人なら、彼/彼女らは重ね合わせの状態、またはほかの登場人物ともつれた状態にあるとさえ言うのかもしれない。「映り込みの映り込みの映り込みもあります」とデイは言う(実際のセットはガラスの壁で溢れていて、カメラや照明の担当スタッフが頭をぶつけないように、クルーが「ガラスに注意」と書かれた紙を貼った)。

このストーリーは、こうしたテーマを繰り返し提示していて、映画撮影の手法がそれを増幅している。「いいかげんにやらないでくれ。決定論や自由意志、量子物理学についての作品にしよう」。わたしが撮影の合間にガーランドを捕まえたとき、彼はそう言っていた。「専門用語を出して、少し後のシーンでその用語を視覚化する。見たものと用語を結び付けられるようにね。視覚媒体のいいところは、物事を見せて示せるところだ」

「テレビが手招きしていた」

「テレビが手招きしていた」というのが、「Devs」がガーランドの次の映画作品ではなく、8時間のHuluのコンテンツになった理由だ。「わたしはずっと映画をつくり、なんとかして資金を調達し、観たがっていると思われる人たちに作品を届けてきました。いったい誰が、『これはいらない』なんて言うでしょう? 」と、ガーランドは言う。

彼によると、A24が米国での『エクス・マキナ』の配給を行なったのは、元々の製作会社が配給をしないことにしたからだという(この作品は、予算1,500万ドル(約16億円)で、2,400万ドル(約26億円)の利益を上げた)。『アナイアレイション』を書き終えたときには、責任者ではない役員チームがゴーサインを出した。プロダクションノートの内容は……。ガーランドは、自分はいままで、役員に見せた脚本を撮影したことしかないと言っている。「それなのにどういうわけか、編集前の映像を見て驚くんです。それはいい意味ではないかもしれません」と彼は言う。

Nick

ニック・オファーマンは、テクノロジー企業のCEOを、『Parks and Recreation』で演じた荒々しい現代のサムライとは正反対の人物として演じている。(C)CAPITAL PICTURES/AMANAIMAGES

「どちらかというと、『ハッピーエンドにしてくれないか? ナタリー・ポートマンに不倫をさせないで。こんな幻覚みたいなストーリーにせずに、もっと平凡にできる? 』というような反応です。例えばね」とガーランドはわたしに言った。

わたしは「例えばの話ですか? 」と尋ねた。

「例えばの話です」とガーランドは答えた。でも、言葉通りではない。「プロダクションノートは、こうしたシステムが相互に影響し合った結果が現れたものなんです。」

ただし、FXは例外だ。ハリウッドには現在4つしか会社がないため、この会社は作品を委託してHuluで配信している。「風通しがいい会社です」とガーランドは言う。彼は脚本を送り、脚本家に親切なことで有名なジョン・ランドグラフのような製作会社の幹部からためになるコメントをもらい、それから撮影に入る。「アレックスはとてもアレックスらしい作品を送り、幹部たちは『これはいい。素晴らしいよ。ありがとう、進めてくれ』と言います。わたしたちは『え? 』などと言われるのが常なのに」と、エグゼクティヴ・プロデューサーのアロン・ライヒは語る。

コンテンツのじゅうたん爆撃

こうして生まれる作品は、実にアレックスらしい。『エクス・マキナ』と同様に、「Devs」の物語は機械のような精密さで展開していく。放送時間が8時間に及ぶということは、思いにふけるシーンがあり、多くの沈黙があり、人々が人生における自分の運命について考えるということだ。

リリー役を演じるソノヤ・ミズノは、『エクス・マキナ』で無言のAIのキョウコを演じた。彼女はリリーを、激しい悲しみを抑えている、背中の丸まった、少し感情に乏しいプログラマーとして演じている。ニック・オファーマンは、アマヤのCEOであるフォレストを、『Parks and Recreation』で演じた荒々しい現代のサムライとは正反対の人物として演じている。そしてテレビの黄金時代の作品の多くがそうであるように、説明が明確になされるわけではない。視聴者は集中して観なければならないのだ。すべての行動の始めに、これまでに何があったかを思い出させてくれるということはない。

ある種、それはこの新しい黄金時代にテレビができることでもある一方で、潜在的なマイナス面として、テレビではそういったこと(説明をあまりしない)が非常に多く行なわれるという点がある。ガーランドはすでに、8つのエピソードで構成された次のシリーズに取り組み始めている。もし都合がつけば、クルーだけでなく、俳優も「Devs」と同じメンバーでいきたいと、ガーランドは言う。

だが同時に、ガーランドや関係者は、みんなのしゃれたSci-Fi作品の視聴リストには、すでに「メモリーがいっぱいです」という警告ランプが灯っていることに、頭を悩ませている。「人々はコンテンツのじゅうたん爆撃を受けています。この炎の壁のなかで、どうすれば、自分の作品を知ってもらえるでしょう? いったい誰にそんなことがわかるというのでしょう」。わたしが「Devs」のセットを訪れてからほぼちょうど1年後、ガーランドはわたしにそう尋ねた。

「先日、『ダーク』というNetflixのドイツ語の作品の話を聞きました。ドイツの原子力発電所の地下にある、タイムトラベルができるワームホールの話です。字幕もので、暗くて、ある種まじめな意図のある作品ですが、それでも視聴者に受けています」。彼は「Devs」もそういった視聴者に受けることを願っている。

ガーランドはそこで一瞬、話すのをやめた。「何かをつくった人間なら誰しもそうであるように、観た人が気に入ってくれることを願っています。最後にはね」と、彼は言う。ここには壮大なテーマも、チューリングテストも、量子の重ね合わせもない。ただ、時代精神の尻尾を再びつかんでいることを祈る脚本家の永遠の悩みがあるだけだ。

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