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記者・清六の戦争

太平洋戦争末期、フィリピンの洞窟でガリ版刷りの新聞が発行されていました。取材を担った伊藤清六を親族の記者が追います。

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記者・清六の戦争

/4 戦争あおってはいなかったか 従軍記者は第一線に向かった 南京攻略の現場にも

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記者・伊藤清六の上海派遣を伝える1938年10月24日付東京日日新聞栃木版の紙面
記者・伊藤清六の上海派遣を伝える1938年10月24日付東京日日新聞栃木版の紙面

 糸をたぐるように追ってきた伊藤清六の人生。私は古い新聞の縮刷版やマイクロフィルムに目を凝らし、わくわくする時を重ねた。

 でも一度だけやめたいと思ったことがある。心がざらつき、そのことばかりが頭を占めた。私の曽祖父清一の日記から、弟の清六が民間人殺害などがあったとされる南京攻略の現場にいたと知った時だ。農政記者のはずが、なぜなのか。答えは当時の新聞にあった。

 「上海の第一線へ 伊藤記者を特派」。1937(昭和12)年10月24日付東京日日新聞(現毎日新聞)栃木版は、内国通信部(現地方部)記者だった清六の戦場派遣を告知した。「戦局は拡大進展し、国民の眼(め)はその報道に集中されています」とし、派遣により「今後は愈々(いよいよ)県出身兵の活躍動静が詳細報道」できるとしている。

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