Netflixの『13th -憲法修正第13条-』というドキュメンタリーを見た。
 現在、この映画は、Netflixの契約者以外にもYou Tube経由で無料公開されている。
 お時間のある向きは、ぜひリンク先をクリックの上、視聴してみてほしい。

 世界中の様々な場所に、BLM(Black Lives Matter)のスローガンを掲げたデモが波及している中で、Netflixが、2016年に制作・公開されたこのオリジナル作品を、いまこの時期に無料で公開したことの意味は小さくない。

 世界の裏側の島国でステイホームしている私たちとしても、せめて映画を見て考える程度のことはしておこうではありませんか。

 ただ、視聴に先立ってあらかじめ覚悟しておかなければならないのは、1時間40分ほどの上映時間いっぱい、間断なく表示される大量の字幕を、ひたすらに読み続けることだったりする。この作業は、字幕に慣れていない向きには、相当に負担の大きい仕事になる。
 私自身、途中で休憩を入れることで、ようやく最後まで見ることができたことを告白しておく。なんと申し上げて良いのやら、45分ほどのところで一度休みを取らないと、集中力が続かなかったのですね。
 面白くなかったからではない。

 今年見たドキュメンタリーフィルムの中では間違いなくベストだったと申し上げて良い。
 とはいえ、評価は評価として、視聴の間、集中力を保ち続けることは、私にとって、とりわけハードなノルマだった。

 理由は、中身が詰まりすぎていて、視聴するこっちのアタマがオーバーフローしてしまうからだ。それほど情報量が多いということだ。大学の授業でも、こんなに濃密な講義は珍しいはずだ。

 上映が始まると、大学の先生や、歴史研究者、ジャーナリスト、政治家といった各分野の専門家たちのマシンガントークが延々と繰り返されることになる。その闊達なしゃべりの合間を縫うようにして、合衆国建国以来の黒人(←当稿では、『13th』の字幕にならって、アフリカ系アメリカ人を「黒人」という言葉で表記することにします。「黒人」と呼んだ方が、広い意味での歴史的な存在としての彼らを大づかみにとらえられるはずだと考えるからです)の苦難の歴史を伝えるショートフィルムや写真が挿入される構成になっている。

 視聴者は、ひたすらに字幕を読み続けなければならない。なので、見終わった直後の感覚は、むしろ一冊の分厚い書籍を読了した感じに近い。私の場合、画面がブラックアウトした後は、疲労のため、しばらくの間、何も手につかなかった。

 視聴する時間を作れない人のために、ざっと内容を紹介しておく。
 『13th』というタイトルは、「合衆国憲法修正第13条」を指している。タイトルにあえて憲法の条文を持ってきたのは、合衆国人民の隷属からの自由を謳った「合衆国憲法修正第13条」の中にある「ただし犯罪者(criminal)はその限りにあらず」という例外規定が、黒人の抑圧を正当化するキーになっているという見立てを、映画制作者たちが共有しているからだ。

 じっさい、作品の中で米国の歴史や現状について語るインタビュイーたちが、繰り返し訴えている通り、この「憲法第13条の抜け穴」は、黒人を永遠に「奴隷」の地位に縛りつけておくための、いわば「切り札」として機能している。

 13条が切り札になった経緯は、以下の通りだ。

  1. 南北戦争終結当時、400万人の解放奴隷をかかえた南部の経済は破綻状態にあった。
  2. その南部諸州の経済を立て直すべく、囚人(主に黒人)労働が利用されたわけなのだが、その囚人を確保するために、最初の刑務所ブームが起こった。
  3. 奴隷解放直後には、徘徊や放浪といった微罪で大量の黒人が投獄された。この時、修正13条の例外規定が盛大に利用され、以来、この規定は黒人を投獄しその労働力を利用するための魔法の杖となる。刑務所に収監された黒人たちの労働力は、鉄道の敷設や南部のインフラ整備にあてられた。
  4. そんな中、1915年に制作・公開された映画史に残る初期の“傑作”長編『國民の創生(The Birth of a Nation)』は、白人観客の潜在意識の中に黒人を「犯罪者、強姦者」のイメージで刻印する上で大きな役割を果たした。
  5. 1960年代に公民権法が成立すると、南部から大量の黒人が北部、西部に移動し、全米各地で犯罪率が上昇した。政治家たちは、犯罪増加の原因を「黒人に自由を与えたからだ」として、政治的に利用した。
  6. 以来、麻薬戦争、不法移民排除などを理由に、有色人種コミュニティーを摘発すべく、各種の法律が順次厳格化され、裁判制度の不備や量刑の長期化などの影響もあって、次なる刑務所ブームが起こる。
  7. 1970年代には30万人に過ぎなかった刑務所収容者の数は、2010年代には230万人に膨れ上がる。これは、世界でも最も高水準の数で、世界全体の受刑者のうちの4人に1人が米国人という計算になる。
  8. 1980年代以降、刑務所、移民収容施設が民営化され、それらの産業は莫大な利益を生み出すようになる。
  9. さらに刑務所関連経済は、増え続ける囚人労働を搾取することで「産獄複合体(Prison Industrial Complex)」と呼ばれる怪物を形成するに至る。
  10. 産獄複合体は、政治的ロビー団体を組織し、議会に対しても甚大な影響力を発揮するようになる。のみならず彼らは、アメリカのシステムそのものに組み込まれている。

 ごらんの通り、なんとも壮大かつ辛辣な見立てだ。

 私は、これまでアメリカ合衆国の歴史について、自分なりにその概要を把握しているつもりでいたのだが、この作品を見て、その自信を、根本的な次元で打ち砕かれてしまった。
 というよりも、自分の歴史観に自信を抱いていたこと自体が、不見識だったということなのだろう。

 私は、白人の目で見た歴史を要領良く暗記しているだけの、通りすがりの外国人だった。白人のアタマで考え、白人の手によって記されたアメリカの歴史を読んで、それを合衆国の歴史だと思い込んでいたわけだ。

 黒人の立場から見れば、当然、もうひとつの別の歴史が立ち上がる。その、黒人の側から観察し、考え、分析し、描写した歴史を、これまで、私は知らなかった。というよりも、歴史にオルタナティブな側面があるということ、あるいは、正統とされている歴史の裏側に、別の視点から見たまったく別の歴史が存在し得るという、考えてみれば当たり前の現実を、私は、うかつにも見落としていたのである。

 このことは、私が、これまで生きてきた長い間、音楽とスポーツの世界で活躍する黒人に敬意を抱いている自分を、ものわかりの良い、フェアで、偏見に毒されていない素敵にリベラルな人間だと考えていたこと自体、どうにも浅薄な態度だったということでもある。

 反省せねばならない。

 もちろん『13th』の中で展開されていた主張だけが正しい歴史認識であり、その見方と相容れない歴史観のすべてが間違っているということではない。
 とはいえ、アタマからすべてを鵜呑みにしないまでも、合衆国の歴史に私たち日本人が気づいていない角度から光を当ててみせた、この見事なドキュメンタリー映画を見ることの価値は依然として大きい。

 世界を吹き荒れているBLMの背景を理解するためにも、読者諸兄姉にはぜひ視聴をおすすめしたい。

 さて、人種・民族や国籍をもとにした差別構造は、世界中のあらゆる場所に遍在している。
 今回は、一例として、モデル/俳優の水原希子さんが発信したツイートをターゲットとして押し寄せているどうにも低次元なクソリプを眺めながら、うちの国に特有なみっともなくみみっちい差別について考えてみたい。

 発端は、
 「水原希子は、日本人感出すのやめてほしい」
 という趣旨の一般人のツイートだった。
 当該のツイートが既に削除されている(投稿者が削除したと思われる)こともあるので、その内容についてここであえて詳しく追及することはしない。
 ここでは、元ツイートが、民族的には米韓のハーフであり国籍としては米国籍である水原希子さんが、日本人っぽい名前で芸能活動をしていることを非難する内容であったことをお知らせするのみにとどめる。

 このツイートに対して、水原さんは16日に

《私がいつ日本人感出しましたか?日本国籍じゃなかったら何か問題ありますか?29年間、日本で育って、日本で教育を受けてきました。何が問題なのか全く分かりません。》

 という引用RTを発信した(引用元のtwは、現時点では既に削除済み)。
 これが、このたびの炎上のきっかけだった。

 なお一連の経緯は以下のリンク先で記事になっている。

 ちなみに申し上げればだが、水原希子さんが発信した引用RTにぶらさがっているリプライにひと通り目を通せば、21世紀の日本における差別的言辞の典型例を、過不足なく観察することができる。その意味で、これは通読するに値するスレッドだと思う。

 もっとも、うんざりしたりショックを受けたりして、途中で読むのをやめた人も少なくないはずだ。
 どうか、びっくりして自分たちの国に絶望しないでほしい。
 寄せられているクソリプは、この国の、ひとつの現実ではある。
 とはいえ、それだけが日本のすべてではない。
 私たちの国は、クソリプを投げる人々を大量に含む中で運営されている。

 でも、それを読んでうんざりしているあなたのような人がいる限り、希望を捨てるべきではない。そう思って、なんとかやり過ごそうではありませんか。

 思うに、「日本人感」という言葉が醸している
 「日本国籍を持っていない人間が、あたかも日本人であるかのように振る舞うことはやめてほしい」
 という要求のあり方自体が、明らかに差別的であることに、この言葉を持ち出した本人が気づいていないところが、どうにも痛々しい。

 仮に「日本人感」といったようなものがあるのだとして、それは日本国籍保有者の特権ではないはずだ。民族的に純血な日本民族(←これだって、何代かさかのぼれば誰も確かなことは言えなくなる)にだけ許されている民族的に固有な表現形式でもない。日本の社会の中で育ち、日本語を駆使する日常を送っている人間であれば、誰であれ醸し出している、「雰囲気」に過ぎない。

 ついでに申せば「日本人感」なるものは、特定の個人が意識的に「出す」ものではない。むしろ、特定の誰かを見てほかの誰かが「感じ取る」要素であるはずで、だとすれば、そんな曖昧模糊としたものを材料に他人を非難したり断罪したりすることは、差別そのものではないか。

 水原希子さんは、引用したツイートでもわかる通り、自分の考えをはっきりと表明する人物で、その点でわが国の平均的な芸能人とは一線を画している。
 そして、彼女のような「はっきりとものを言う女性」は、その発言内容の如何にかかわらず、必ずやあるタイプの人々から攻撃されることになっている。

 それほど、うちの国の社会は風通しがよろしくない。

 上でご紹介したツイートをきっかけに、彼女の発言が、続々と発掘されて、次々に炎上している。
 《水原希子さん、最高では…?》

 これは、水原希子さんのファンとおぼしきアカウントが、「最も美しい顔ランキング2020」というサイトが、知らないうちに自分をノミネートしていたことを知った水原希子さんが、そのサイトの取り扱いと、他人の容貌を勝手にランク付けして評価する「ルッキズム」全般に対して苦言を呈する旨の発言をしたことを賞賛するツイートなのだが、これに対して

 《ルックスでお金を稼ぐ仕事の人がこれいうのは流石におかしいのではないか》

 という言い方で、元のツイートを引用した投稿がまたRTを稼ぐことになる。

 と、かねて「ルッキズム批判」への批判やフェミニズム言説の揚げ足をとることに熱心だった論客が、この炎上に乗っかる形で自説を開陳しはじめたりして、事態はさらに混沌としている。
 なんとバカな展開ではあるまいか。

 かように、わが国では、黒人vs白人、有色人種orWASPといった、わかりやすい対立軸が見えにくい半面、在日外国人、混血、二重国籍、被差別部落、先住民、女性、犯罪被害者といった一見しただけでは判別しにくい少数者や弱者への隠微な差別を繰り返すことで、差別趣味の人々の需要を満たしている。

 冒頭で紹介した『13th』によれば、アメリカでは、人口の6.5%に過ぎない黒人が、刑務所の収容人数の中の40%を占めているのだそうだ。
 別の計算では、アメリカの黒人男性が一生の間に刑務所に収監される確率は、30%以上で、つまり、黒人男性のうちの3人に1人が、生涯のうちに一度は受刑者としての生活を経験することになっている。この割合は、白人男性の17人に1人という数字と比べてあまりにも高い。

 日本には黒人差別がない、ということを声高に主張している人たちがいる。
 彼らの言明は事実とは異なっている。
 当連載でも取り上げたことがある通り、うちの国には、大坂なおみさんを漫才のネタにして「漂白剤が必要だ」と言ってのけた芸人が実在している。
 これを差別と言わずに済ますことは不可能だ。

 ただ、アメリカに比べて、うちの国には黒人が少ない。
 だから、黒人に対する差別を目の当たりにする機会を、日本に住んでいる私たちは、あまり多く持っていないという、それだけの話だ。

 その代わりにと言ってはナンだが、在日コリアンや二重国籍者に対する差別はこの国のあらゆる場所で日常的に繰り返されている。

 『13th』を視聴して、目が開かれたのは、差別が、単なる「心の問題」「お気持ちの問題」ではなくて、それに加担する人々の利益問題でもあれば、差別を内包する社会のシステムの問題でもあるという視点だった。
 単に無知であるがゆえに差別に加担してしまっている人間がたくさんいることもまた一面の事実ではあるものの、差別構造はそれほど無邪気なばかりのものではない。

 一方には、差別に苦しむ人々の不利益を前提に成立しているシステムが稼働しており、差別被害があることによって利益を得ている人々が差別の固定化のために意図的な努力を払っていることもまた厳然たる事実だ。

 日本とアメリカでは、差別の現れ方に大きな違いがあるように見える。

 でも、本当のところ、大差はない。

 あの人たちがやらかしている差別と、われわれの中で育ちつつある差別は、区別も差別もできないほどそっくりだと、少なくとも私はそう思っている。

(文・イラスト/小田嶋 隆)

延々と続く無責任体制の空気はいつから始まった?

現状肯定の圧力に抗して5年間
「これはおかしい」と、声を上げ続けたコラムの集大成
「ア・ピース・オブ・警句」が書籍化です!


ア・ピース・オブ・警句<br>5年間の「空気の研究」 2015-2019
ア・ピース・オブ・警句
5年間の「空気の研究」 2015-2019

 同じタイプの出来事が酔っぱらいのデジャブみたいに反復してきたこの5年の間に、自分が、五輪と政権に関しての細かいあれこれを、それこそ空気のようにほとんどすべて忘れている。

 私たちはあまりにもよく似た事件の繰り返しに慣らされて、感覚を鈍磨させられてきた。

 それが日本の私たちの、この5年間だった。
 まとめて読んでみて、そのことがはじめてわかる。

 別の言い方をすれば、私たちは、自分たちがいかに狂っていたのかを、その狂気の勤勉な記録者であったこの5年間のオダジマに教えてもらうという、得難い経験を本書から得ることになるわけだ。

 ぜひ、読んで、ご自身の記憶の消えっぷりを確認してみてほしい。(まえがきより)

 人気連載「ア・ピース・オブ・警句」の5年間の集大成、3月16日、満を持して刊行。

 3月20日にはミシマ社さんから『小田嶋隆のコラムの切り口』も刊行されました。

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