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広島・長崎原爆

1945年8月、広島・長崎へ原爆が投下されました。体験者が高齢化するなか、継承が課題になっています。

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広島で被爆、葛藤乗り越えたサーロー節子さんの半生を公開

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オンラインで取材に応じ、映画公開の喜びを語るサーロー節子さん=オンライン会議システム「Zoom」より
オンラインで取材に応じ、映画公開の喜びを語るサーロー節子さん=オンライン会議システム「Zoom」より

 広島の被爆者でカナダ在住のサーロー節子さん(89)の半生を描いたドキュメンタリー映画「ヒロシマへの誓い サーロー節子とともに」が、17日から東京などを皮切りに全国各地で順次公開される。サーローさんは力強い言葉で国内外で核廃絶を訴え、核兵器禁止条約の推進に貢献した中心人物の一人。だが、1950年代に留学のため渡米した際、原子爆弾投下をどう捉えるかを巡って日米のはざまに立たされ、被爆について口を閉ざすべきか悩んだ経験を持つ。それでも語り続ける決断をした背景とは――。

 「何百万もの人が一緒に活動して条約発効という第一歩になった。背景を映画で感じてもらうのは、とても大切なことだと思う」。オンラインで取材に応じたサーローさんは、2021年1月に条約が発効したことを踏まえ、語った。映画は米国や広島などでの活動に15年から約4年間密着し、17年7月に国連で条約が採択された瞬間や、ノーベル平和賞の授賞式でスピーチする姿を映像で捉えた。プロデューサーで米国在住の被爆2世の竹内道さんが家族の軌跡をたどる道のりと重ね合わせ紹介される。

 米国人のスーザン・ストリックラー監督からは、こう撮影を依頼されたという。「一人の被爆者の女性が独自に活動を始め、海外で長い時間をかけて努力したおかげで、核廃絶へ向け新たな一里塚に到達できた。その記録を撮っておく必要がある」

 13歳で被爆したサーローさんは広島の大学を卒業後、54年に米国のリンチバーグ大に留学した。…

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