福島第1原発、定義なき「廃炉」10年経ても手探り、遅れる作業
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国際的な事故評価の尺度で最悪の「レベル7」とされた東京電力福島第1原発事故。10年がたっても、まだ核燃料の取り出しすら終わっていない。今もなお、廃炉作業は手探りで進められている。【荒木涼子、塚本恒/科学環境部】
米スリーマイル島事故を参考
1~6号機のうち、事故があった1~4号機の廃炉作業は工程表に基づいて進められる。最初に策定されたのは、政府と東電が原発は「冷温停止状態」になったと判断した2011年12月。既存の原発でさえ廃炉の完了まで30~50年間とみられているのに、福島第1では「30~40年後」という目標を掲げた。
建屋のあちこちが放射性物質により汚染された中での溶け落ちた核燃料(燃料デブリ)の取り出しなど、既存の原発の廃炉作業よりハードルが高いのに、なぜ「30~40年」としたのか。政府関係者によると、1979年に米国のスリーマイル島で起きた原発事故を参考にしたという。
この事故でも燃料デブリが生じ、約10年で回収された。福島第1では1~3号機に燃料デブリがあり、取り出しの準備に約10年、取り出しには10年×3基=30年ほどはかかるので、40年という数字が出てきた。「50~60年はかかる」という声もあったが、最後は「30~40年」で落ち着いた。ただし、何をもって廃炉なのかという説明はなかった。
工程表は作業の進み具合に合わせ、これまで5回改定された。当初の内容と比べると、遅れが目立ち始めている。事故前にプールに保管されていた核燃料の取り出しは13年に始め、21年までに終える見込みだった。実際は、4号機では14年に完了したが、3号機ではプールを覆ったがれきの撤去などに手間取り、開始は4年ほど遅れて19年4月になった。
燃料デブリの本格的な取り出しは、当初は21年までに1~3号機のいずれかで始め、31~36年の完了を目指していた。19年12月に改定された工程表では「21年に2号機から試験的に取り出す」と示していたが、新型コロナウイルスの影響も受け、試験的な取り出しでさえ開始が22年以降に先送りされることになった。
こうした状況でも、廃炉完了までの期間は一度も見直されず、…
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