古代東海道示す遺構発見 幅15メートル「推定の道筋実証」 滋賀・高野遺跡

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あぜ道を挟んで人が立つ、約15メートルの幅が古代の東海道とみられる。両端には幅約1メートルの溝跡が見つかった=滋賀県栗東市六地蔵の高野遺跡で2021年1月25日午後2時23分、礒野健一撮影
あぜ道を挟んで人が立つ、約15メートルの幅が古代の東海道とみられる。両端には幅約1メートルの溝跡が見つかった=滋賀県栗東市六地蔵の高野遺跡で2021年1月25日午後2時23分、礒野健一撮影

 滋賀県文化財保護協会は28日、栗東市六地蔵の高野遺跡で、平安時代初期(8世紀末~9世紀前半)に使われていた、古代の東海道とみられる遺構が見つかったと発表した。当時の交通の様子を知る貴重な発見となりそうだ。【礒野健一】

 東海道は律令時代に設けられた行政区分の一つで、古代の主要道でもある。都が平城京だった頃は、奈良から北の木津(京都府木津川市)を経て東へ進み、伊賀を通って伊勢へと続いたが、平安京に遷都された後は近江から伊賀を抜けるよう変更された。栗東市内のルートは近世の東海道とほぼ同じと推定されている。ただ、高野遺跡周辺は、河川氾濫の影響を避けるため遺跡南部の高所に…

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