「もう一度ナゴヤドームで始球式を」中嶋悟さんの願い 13、14年に“登板” …次はぜひ長男・一貴と一緒に!!
2020年10月20日 06時00分
中嶋悟のドラ放談
竜党を自負する著名人が独自の視点でドラゴンズ愛をつづる企画「ドラ放談」。今回は元F1ドライバーの中嶋悟さん(67)の第2弾です。中日の本拠地試合では過去に2度始球式を務めたことがあり、2代そろってF1に参戦した長男の一貴(35)を含めると中嶋家では3度も大役を担った。ただし、スピードを出すのはサーキットの方が得意のようで…。
ドラゴンズの話に入る前に、今月2日にホンダが2021年シーズンを最後にF1から撤退するという発表があったので、そちらについて触れさせてください。
とにかく寂しいの一言。僕もホンダのドライバーだったし、オーナーをしているレーシングチームのマシンもホンダ車。15年にF1に再参入した直後はマクラーレンと組んでつらい時期を過ごしたと思うけど、レッドブルと組むようになってやっと表彰台の常連になった。さらなる快進撃が始まろうとする矢先の撤退の決断だったので非常に驚いた。
F1ブームだった頃も僕が1991年に引退して、ホンダが翌92年に、いわゆる第2期プロジェクトを終了した。今回は第4期という枠組みで、ここまで活動したり、休んだりという歴史を繰り返している。今回は新型コロナウイルス感染拡大が影響しているかもしれないし、やむを得ないところもあったと思う。
さて、ドラゴンズファンの1人として誇りに思うことがある。それは中嶋家で計3回、ナゴヤドームで公式戦の始球式をしていること。僕は2013、14年と2年連続でマウンドから投げさせてもらった。13年は愛知県警の交通安全キャンペーンリーダーに委嘱された縁で啓発活動のために投げた。14年はナカジマレーシングと球団が提携したコラボ企画第1弾として始球式に招待していただいた。
球速は確か64キロと63キロ。ホームベースまでノーバウンドで届いてくれたのでほっとした。小学校のころは町の自治会のソフトボールチームに所属していたので、腕には自信があったが、自分は160キロを投げるより、160キロで走る方がどうやら得意みたい。
ただ、残念なのは僕がドラゴンズの試合を球場に観戦に行くと負けることが多いこと。生まれて初めてプロ野球観戦したのも中日球場時代のドラゴンズ戦だったけど、負けて岡崎の自宅に戻った思い出がある。だから、始球式の時は試合の途中で思い切って帰ってしまった。そしたら2試合ともドラゴンズが勝ち。逆ジンクスみたいなのが僕にはあるようだ。
中嶋家のあと1回はというと、レーシングドライバーをしている長男の一貴が昨年8月に投げている。ルマン24時間レースを連覇した直後にトヨタのモータースポーツ活動「トヨタガズーレーシング」のPRイベントとして参加したらしく、レーシングスーツ姿で104キロを計測した。息子が小さい頃からプロ野球の試合に連れて行ったし、一緒にキャッチボールもしていたから、投げっぷりはさまにはなっていたと思う。
ちなみに僕は他の球場でも2回、始球式をしている。最初は横浜スタジアム。F1を引退してすぐの頃だった。最近では15年に楽天の本拠地試合で。レーシングチームのスポンサー企業の協賛デーだったので招かれたのだと思う。
楽天はちょうど、中日OBの星野仙一さんが監督を勇退されて、シニアアドバイザーを務められていた頃。始球式を終えると星野さんから「よくボールが届いたな。俺はもう届かんぞ」と冷やかされた。
できれば、もう1回ナゴヤドームで始球式をしたい。今度は一貴と一緒に。トヨタとホンダのレーシングカーをグラウンドに登場させるのはいかがだろう。他の球場でリリーフカーに使っている高級車の半分の重量だから人工芝は傷まないはずなので…。(元F1ドライバー、ナカジマレーシング総監督)
▼中嶋悟(なかじま・さとる) 1953(昭和28)年2月23日生まれ、67歳。愛知県岡崎市出身。87年に34歳でロータスからF1デビュー。日本人初のレギュラー参戦ドライバーとなる。決勝最高位は同年のイギリスGP、89年のオーストラリアGPで獲得した4位。91年までF1に参戦し、現役を引退。その後は国内でナカジマレーシングの総監督として活動中で、97、98年にはF1ティレルチームでスポーティングディレクターも務めた。9月の仏ルマン24時間レースで3連覇した元F1の中嶋一貴は長男。
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