若新雄純さん=2019年10月、福井新聞社

 新型コロナウイルスの影響で県内でも休校が続く中、慶応大特任准教授・プロデューサーの若新雄純さん(福井県若狭町出身)から児童生徒に向けて、家庭学習に関するメッセージが届きました。

  ■   ■   ■

 これからしばらくは、学校も時間短縮になったりして、まだまだ家庭学習の時間が長くなりそうです。家で勉強するのって、たいへんですよね。ぼくは、嶺南の山奥、両親は学校教員という特殊(?)な環境で育ちました。小学校入学と同時に、しずかな書斎にりっぱな学習机が設置され、左手の窓から光がさしこむ理想的な学習環境をあたえられました。そして、期待をうらぎり、家で勉強するのが大っきらいなこどもでした。いじわるだけど、おやじとおかんにいいたい。「ぼくはあの書斎でちゃんと勉強したことなんて一度もないよ」

 そんなぼくにも、熱中して「家で勉強」したころがあります。中学に入ると、どうしても校内テストで1番をとりたくて、テスト前のつめこみをがんばっていました。中学から自分の部屋があたえられたので、ぼくはテストが近づくたび、部屋の模様替えを楽しむようにしました。だって、いい気分にならなきゃ、ひとりで何日もおなじ空間にとじこもって勉強なんてできない。納屋にしまわれていたテーブルを部屋に持ちこんだり、粗大ごみ置き場にすてられていた大型スピーカーを設置したりして、これからとじこもる勉強空間のデザインを楽しみました。そして、あたらしい部屋の景色を感じながら、休憩時間には大好きなロックを爆音でながして、テスト範囲のつめこみをひとつひとつ完了させていきました。それをみていたおかんは、「あんたはなんでカタチから入らないとできないの? どんな環境でも取りかかれる習慣を身につけなさいよ」とお説教してきました。おかんらしい正論だ。でもぼくは、大げさにいえば、自分が主人公の「テスト勉強物語」を楽しんでいたんです。

 その後も、なにか集中して学ぶべきこと、上達したいことがあるときは、必ず環境から整えるようにしてきました。おかんの教えにさからって、まずカタチから入るんです。そんなことをしなくても、どんな環境でもすぐに取りかかれるという人もいるでしょう。でも、こどもたちの多くは、きっとそうじゃない。ここで大事なのは、べつに良質でぜいたくな環境を整える必要はないということです。かつて用意してもらった完璧な(はずの)あの書斎は、ぼくにとってちっとも勉強できる環境じゃなかった。いや、勉強したい環境じゃなかった、というのが正しい。だってあれは、一方的にあたえられたもの(おやじ、おかん、すまんね)。親の役割は、環境を整えることじゃなく、ゆだねることかもしれない。大切なのは、自分でつくること。ぼくはこれを、「自創」とよんでいます。

 学ぶということの価値の本質は、テストの点数やらで測るものじゃなくて、それが自分にとってどのような体験なのか、ということだと思っています。ひらたくいえば、つまらないのか、楽しいのか。そして、誰かにやらされるのか、自分でやるのか。あたりまえですが、学校で、先生の前で、学びのあり方を自分で自由にデザインすることは困難です。机の並びも、時間割も、自分の思いどおりにはならない。はじまりも、おわりも、チャイムが決める。教室という空間の中では、ぼくたちは学びの物語のイチ登場人物にすぎません。もちろん、それにはそれなりの理由と意味がある。でも、長い人生、有意義に学びつづけていくためには、その“主人公”として学びの時間や空間の楽しみを自分でつくる積みかさねが必要だと思っています。まだしばらくは、できるだけ「家で勉強」することを求められます。これは、カッコよくいえば、自由に環境をデザインできる「自創」のチャンスです。どれだけたくさんの記号や年表を覚えたかではなく、問題を解いたかでもなく、そこでどんな自分らしい物語を体験したかによって、人生における学びのあり方が大きく変わっていくかもしれません。

  ×  ×  ×

 わかしん・ゆうじゅん 「鯖江市役所JK課」「ゆるい移住」の仕掛け人。人・組織・地域社会・教育などの幅広い分野で活動。若狭町出身。