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世界トップ級の大学育成へ、若手研究者の待遇を支援…基金運用益を財源に
読売新聞
瀬地山 角東京大学 総合文化研究科 教授
東工大の先生がコメントされているとおりです。私の年収は大手金融機関に就職した同級生に比べて半分くらいですが、そのことに不満はありません。「上司の理不尽な命令には絶対に従えない」という社会に適応できない人間なので、文系の大学院というヤクザな道を選びました。 私は運良く比較的早くにテニュア(定年まで在職権のある職)につけたのですが、今の院生さんを見ていると、私よりはるかに優秀な人が、30代でなかなかテニュアにつけません。これは国が国立大学法人化の際に国からの予算を年に1%減らし続けるという政策をとったことの影響です。それで浮いたお金を使う「競争的資金獲得」の名の下に、我々常勤教員はありとあらゆる応募書類に毎年追われるようになりました。研究/教育の時間を奪われたのです。 優秀な院生さんに将来の展望が描けるようにしてほしいと思います。個々の学問が社会の役に立つか立たないかなんてわかりません。人類の知のデータベースを管理し、更新する作業です。あとからスポットを浴びる(かもしれない)ものです。そこを目指す優秀な若い人たちに最低限の生活が保障される仕組みを作ってほしいと切に願います。私の頃であれば間違いなくテニュアをとれていたであろう優秀な院生さんたちがアルバイトに追われるのを見るのは本当に忍びなく思います。彼女ら/彼らの生活環境が改善されることを願うばかりです。
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党創建100年、負の歴史触れず 中国「人民と世界に貢献」
共同通信
瀬地山 角東京大学 総合文化研究科 教授
少し違う角度からコメントします。私は中国や朝鮮半島の地域研究もしています。1989年の天安門事件当時私は大学院の博士課程でしたが、これは中国研究者の多くにとって大変な衝撃でした。私より上の世代の研究者は、戦後天皇制を廃止できなかった日本に対し、自前で革命を起こした中国に幾ばくかの憧れのようなものを持って、その道に入った人が多かったからです。人民解放軍が人民に向かって発砲したのは、強烈なショックでした。私より若い世代になると、中国の人権問題を批判的に捉える研究者が多くなります。 一方韓国の方は1980年に光州事件でやはり軍隊が自国民に火を噴きます。同じ独裁なら北朝鮮の方がマシなのではないか、といった雰囲気が当時研究者にもまだ残っていたように感じます。これが大きく変わっていくのが1987年6月の民主化宣言以降です。私がソウル大学で勉強していた1991年当時、まだ学生デモの死者が出ており、私は催涙弾を食らった最後の世代ですが、さすがに「北よりはマシだ」というのは共通の認識でした。 中国共産党は、「100年の間に中国はこんなによくなった」というのが常套句なのですが、誰が統治しても100年あれば、生活水準が向上するのは当たり前。天安門事件のあと「共産党がなければ、新中国はない(没有共产党就没有新中国)」と連呼する歌がしょっちゅう流れていたのを思い出しました。そして香港の民主派弾圧も、まったく予想できませんでした。研究者として何ができるのか、頭を抱えています・・・。
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男性育休 壁は「上司・同僚」 法改正で「取りやすくなると思わず」55%
日本経済新聞
瀬地山 角東京大学 総合文化研究科 教授
夫の産休(最大4週、分割可)と育休とをきちんと別にして議論が必要です。育休の場合、育児休業給付金しか出ませんが、産休なら給与が減らない形の設計が可能です。 家族の誕生と死以上の大事件は人生にない、と私は考えます。であるとすれば夫の産休は忌引きと同程度に社会的に認められるべきではないでしょうか。忌引きは実は労働基準法に規定がありません。厚労省の用語では「社会的に認知された休暇」とされ、法的根拠がないにもかかわらず、親の死んだ翌日に「出社しろ」という会社は少ないはずです。 私は第1子の出産をアメリカで経験したのですが、「立ち会い出産」という言葉がありませんでした。立ち会わない出産が基本的にないからで、途中で逃げ出しでもしない限り、夫も出産を共有します。 出産の予定日は半年前からわかっていて、「親の死ぬ予定日」に比べると、はるかに正確です。臨月から予定日2週間後くらいの間に、出産や退院の日に休みが取れるようにすることについて、対応できないとすれば、その職場の方がおかしいと思います。インフルエンザでも曜日によっては1週間休みますから。 イクメンは英語に訳せば、単にfatherです。当たり前のことが当たり前にならないから、当たり前のイクメンが、特別な用語になってしまう。そんな言葉がなくなる日のための一歩であることを願っています。
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