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欧米を真似た「対話的学習」一辺倒では、日本の教育が危うい理由
Diamond Online
秋元 直金融 国際公認投資アナリスト(CIIA) ファンド投資/プロジェクトファイナンス
記事にある欧米人は自分の能力を過大評価する傾向にあり、日本人は過小評価する傾向にある、ことについて。 私は高校時代ホームステイで米国人の家庭にお世話になったが、この時の日本との違いは顕著。これは米国で生活しないと実感できない。米国は小さいとき(高校卒業まで)には皆、個人の意見を尊重し、全てで褒める。そして自分の意見を持ったり、能力を褒める。これは小さい時からそう。例えば6歳ぐらいの子供に大統領について意見を聞けば何かしか自信を持って答えると思う。それがあってるかどうかではなく、自分はこう思うということを自信を持って話す。なんて素晴らしいことだろう。自分の考えを持つには社会が育てないといけない。親だけではなく、親戚やお隣さんも、褒める褒める褒める。極端な例だと私が米国の高校に通っていた時、とんでもなく音痴の女の子が私はスターになると自信を持っていた。あなたならどうするか。将来どうやっても歌でスターになれないと「客観的」に思った場合に「色々と現実は難しい」とか「ちょっと皮肉な笑み」を浮かべてしまわないだろうか。心からyou can do it.と言えるだろうか。日本は何となく出来上がりの「相場」をみて大人の物差しで測っていないか。当然米国は社会人になった途端、甘い世界ではなくなる。 もっともそんな高校生も途中で評価される枠組みがある。例えば、米国の高校では部活に入るのもテストがある。サッカー部に入りたいからと言って皆が入れるわけではない。組織に入るとき平等より結果が求められる仕組みがある。 米国:自由→個性→激しい競争 日本:皆で取り組む→そこそこの個性と高い平均値→そこそこの競争 これからの時代はそこそこはいらない。個性が必要。子供の教育からスタートしなければいけないだろう。
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