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【鈴木健】SNSは、僕らの社会をなめらかにしたのか?
NewsPicks編集部
Ueda Ruriko早稲田大学
SNSの基盤となっている理論に、「Six Degrees of Separation(6次の隔たり)」があります。 これは「知り合いを6人経ると、世界中の人とつながれる」という理論。かくしてソーシャルネットワークによって、世界は小さくなるはずでした。 ところが、人々が実際にSNSを使う様子を観察してみて分かったのは、ユーザーは直接の知り合い(1ホップ)か、知り合いの知り合い(2ホップ)くらいまでしか、そもそも興味がない、ということでした。 その時に気づいたのは、5ホップ目、6ホップ目に対して興味を持ってもらうためには、相当、アルゴリズムをいじらないといけないということ。 ソーシャルネットワークを自然に適用していくと、多くの人は1ホップ、2ホップのつながりで満足してしまい、外側の世界にまで関心が向かないのです。 これは社会に限らず、生命システムでも起きていることです。内部と外部を隔てる「膜」と、制御を行う「核」が存在する。 しかし、制御を行う「脳」が全てをつかさどっている、という中枢神経系の考え方自体が、おかしいと私は思っています。確かに脳は指示命令系統を持っていますが、実際には体中の全ての細胞が意思決定に関わっているからです。 脳は重要ですが、意思決定が起きる場所は、もっと分散している。だからこそ「中心」を作って、そこで全てを決めていくというあり方は機能しない。 社会も同じです。私たちは、まず生命を語り、その延長線上の存在として、人間と社会制度について語らねばいけません。 近代化の歴史は、個人が国家に属しているというメンバーシップを構築していくことでした。これに対して、なめらかな社会では、社会の境界がはっきりとせず、だんだんと曖昧になっていきます。 国家や個人を解体するというのではなく、これまでそれぞれが負ってきた責任を分散化させることで、国家や個人を楽にしてあげるということです。そしてそれは、誰もがマイノリティである社会をつくることでもあります。 テクノロジーは、社会をこうしてなめらかにしていくことに使うべきだと思うのです。
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