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一度辞めて民間に行った「型破り教師」が再び公立小の教壇に立つ理由(森田 太郎)
森田 太郎LXデザイナー
《 民間⇔公立 》
来週からいよいよ、公立学校の現場に戻ります。
圧倒的なスピードで挑戦し、進化し続ける探究学舎での日々は、貴重な時間となりました。
今もその進化を全速力で突き進んでいるので、ぼくも担当する仕事を通してさらなる成長を目指しています。
大切なことは、双方のよさを生かしながら、人が行き来できる環境づくり。
学校現場、民間企業の現場、双方を行き来しながら、子どもたちが前のめりになる学びをとにかく提供し続けることだと思っています。
学校に戻ると決めて、その気持ちを奮い立たせてくれたのがKoji Tokumasu先生。
ラグビーの魅力、ラグビーを通した人の育成、子育て、その現場で汗を流し続ける姿に、ぼくも自分にしかかけない汗をかこうという思いを強くしました。
【コラム】原点は、「その前」の3年間に。
森田 太郎LXデザイナー
《 オトナの流儀 》
原点の話がとっても大切だと思います。
これは、ラグビーだから、スポーツだからではなく、子どもが成長する場に立ち会うオトナの流儀だと思います。
「最初はできないことばかり。対話も満足にいかない。粘り強く伝え続けると少しずつ変わっていった。当時はなかったラダーを自作し、毎日生徒たちに足の運び方を教えた。ある日、ファーストベースまでまっすぐ走れなかった子が、一直線に走れるようになった。49歳になった今でも鮮やかによみがえる思い出だ。」
学校の先生をはじめ、「教育」と名のつく場で生きる大人たちは必読だと感じ、ここにシェアしました。
現場に学びに行こ〜っと!!
【名言】
「ラグビーではどんなポジションの、どんな人もリスペクトされなきゃいけない。人の楽しさを阻害したらいけないよ」
「20分のメニューなら、一個でいいから、ラグビーを楽しめる、好きになれる場面を作るよう心がける。」
「ラグビーを楽しめるようにするのが、コーチの役割なのだ。」
教育実習に特例措置 やむ得ない場合、なしで免許取得も
森田 太郎LXデザイナー
《 教職免許って必要ですか? 》
広辞苑によると、
****************
めん‐きょ【免許】
①特定の事を行うことを官から許すこと。官許。太平記24「開山別儀を以て末寺たるべき由、申し請けらるるに依つて―せられ候ひき」。「教員―」
②(→)名対面なだいめん1を許されること。名謁みょうえつを許すこと。
③〔法〕
㋐(→)許可2に同じ。
㋑(→)特許1に同じ。
④師から弟子にその道の奥義を伝授すること。また、その書付。ゆるし。
****************
とあります。
④は心から納得がいきます。
自らが教えを乞うた師匠のもとで学び、修行し、その技、そして、心を体得し、そして師匠からのゆるしが出るのですから。
これは、誉れですし、その師匠が優れた教師であるならば、もう納得も納得ですし、信用に値します。
ぼくが教師として歩んだ道を考えてみましょう。
初任校で出会った綺羅星の先生たち、当時お世話になった副校長先生から免許が出されるのであれば、まさに師匠ですから、これは最高の免許状になります。
子どもとの接し方、子どもが主役で、文部科学省が「主体的」という言葉を使う前から主体的を突き進んだ授業をしていた先生方でした。
ですから、今でも、地域にその心が根付いています。
子どもが大人になる意味と価値を見事に証明した教育の意義がここにあると思いました。
そして、品川でぼくを成長させてくれた校長。
彼女はまさに教育者。人育てのプロでした。ぼくの一挙手一投足を見続け、厳しく育て続けてくれた彼女から免許状が渡されるのだとしたら、感謝と共に生涯の宝物となるでしょう。
また、学校外でも。
とにかく、甘い考えが少しでもあると怒り続けてくれたオシムさん。
子育ての極意を教えてくれた「子育ての神さま」池上正さん。
親がどうしたら子どもと向き合うことができるのか、親をどのように育てていくのかを教えてくれた高濱正伸さん。
そして、和田中学校で、生徒と真正面から向き合う大切さと地域の大人たちを大切にしていく姿勢を見せてくれた藤原和博さん。
彼らから免許状が渡されるのだとしたら、ぼくにとっては、本当の意味で免許になると感じます。
ところが、今の教育職員免許状はどう考えても、
①特定の事を行うことを官から許すこと。
でしかないですよね……
「コロナでもいつもの夏休み」を決めた「5%の学校」が考えたこと(島沢 優子)
森田 太郎LXデザイナー
《 百年に一度の英断 》
多くの自治体が時数確保という稚拙な大義名分のために、子どもと教師のイノベーション、アップデートのための時間と空間を奪いました。
そんな中、ぼくが教師として初任者から育ててもらい、公立学校の教師としての生活に幕を閉じた「ふるさと」三鷹市。
多くの恩師、友人が今でも学校現場で奮闘している三鷹市。
学校現場の声、現状を受け止め、本質をとらえて、夏休みの短縮をしないと決断しました。
ぼくはこれを「百年に一度の英断」と呼んでいます。
本当に素晴らしいです。
現に、我が家の子どもたちは本当に素晴らしい毎日を過ごしていますし、家の周りでも子どもたちが元気に遊ぶ姿を目にします。
詰め込み、駆け足、工夫なしの授業を真夏に垂れ流されるほど、不幸なものはありません。それこそ、無策!!!
そんな中、見事な決断をした三鷹市の舞台裏を少しでもご覧いただきたいです。
小中学校「夏休み短縮」が先生にも子どもにも及ぼすマイナスの影響(森田 太郎)
森田 太郎LXデザイナー
《 夏休みはワクワクしないと! 》
子どもたちにとって、夏休みって1年で一番ワクワクする時ですよね。
ぼくが小学校の教師をしていた時も、1学期の終業式の日の子どもたちは、いつも目がキラキラしていて、好きでした。
ほぼ1ヶ月の期間、自分がしたいことを思う存分遊べるって、最高です。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナにいる時は、また違った意味で人々が夏休み前にソワソワしているのが楽しかったですね。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナでも、セルビア、クロアチアでも、ふだんはゆるゆると過ごしている大人たちが、やたらと機敏に動き出します。
夏休みに出かけるところをCaféや家庭や、仕事先で話し合い、やれどこがいい、あそこの海がいい、あそこのルートが渋滞しないだの、1月前から計画づくりを楽しんでいました。
「夏休みのために生きているんですか?」
そう思ってしまうほどでした。
浮き足立つとは、このことを言うんだなぁって感心したものです。(笑)
日本でも、小学校の先生時代に過ごした夏休みは、今も自分にとって人生の糧を得る貴重な時間でした。
大人の都合で、子どもから夏休みを奪うのは愚行であるのは言うまでもないことです。
ところが、学校の先生の夏休みを奪うことは、巡り巡って子どもたちに大きな皺寄せがいくことを、世のお父さん、お母さんたちにも知っていただきたいと思います。
OECDが指摘した日本の「ICT教育の危機的状況」と希望の光(島沢 優子)
森田 太郎LXデザイナー
《 できないじゃない!やるんだよ!! 》
こんな言葉を当たり前のように子どもたちに吐き捨てている大人っていますよね。
できないから、できるように学びのタネを蒔くのが子育てであり、教育であるにもかかわらず。
しかし、そんな大人も自分のことになると、できない理由探しに躍起になって、言い訳がましくやらない人が多いですよね。
「みんな一緒!」
「学年でそろえてください!」
「他の学年はやっていないから、やめて!」
「他の学校はまだ準備できてないから、始めないで!」
あっ、そんな言葉が聞こえている学校があったら、イエローカード!!
だって、子どもたちは待てませんよ!!
授業時数じゃないんです。
子どもたちが待っているのは。
大人がしっかり汗かいて、努力して生み出した新鮮で、時代にあった学びです。
やれる人がいるなら、その人から始めればいいんです。
待つとか、ムダ!!
それ、努力しない人たちの言い訳ですよ。
わかります!?
この単純な構図。
「授業は子どものため」は大人の思い込み 夏休みを絶対短縮すべきでない理由
森田 太郎LXデザイナー
《 オトナの流儀 》
今年の夏休みを子どもたちから奪ってしまったら、子ども時代の夏休みが1つ奪われることを忘れないでほしいです。
学ぶことはいつでもできます。
しかも、学ぶ意欲、学ぶ意味が明確になっているからこそ学びは豊かになり、加速します。
ただ、子どもにこれでもかっていうくらいの「余白」が与えられる夏休みは、子どもたちが自らクリエイトする時間。
「余白」「空白」があるから、自分が楽しい、おもしろいをとことん追求できます。
ぼくが今、大人になっても子どもたちと遊べること、子どもたちとの授業を通じて一緒に楽しめるのは、少年時代にとことん遊んだからです。
遊びのない成長は、遊びのない大人を育てます。
それは、つまらない社会。未来を創造できない大人たちによる悲劇的な世界を生み出します。
そろそろ、親も含めて、私たち大人は、オトナの流儀を身につけませんか?
(論の芽)夏休みの短縮、必要?
森田 太郎LXデザイナー
《 夏休みは子どもたちのモノ! 》
子どもの時代の夏休みは、子ども時代にしか味わえないものです。そして、それはいつか取り返せるものではありません。
授業時数確保のために安易に夏休みを削ることは、子どもたちの未来を彩る土台ともいうべき経験、創造性、思い出を育む場を奪うことになります。
夏休みは子どもたちのモノです。
子どもたちが決められたメニュー、プログラムに従うのではなく、自らの興味関心の熱量で躍動できる貴重な時間なのです。
大人が大人の都合で自らの夏休みを削って仕事をするのは、いくらでもすればいいでしょう。
それは自己選択ですから。
しかし、子どもたちに聞きもせず、夏休みを奪うのは、許せません。
あなたが9歳の少年少女だった時、夏休みが短くなることに両手を挙げて賛成できましたか?
200点満点で24点…義務教育の底辺からぼくを救った父の行動(森田 太郎)
森田 太郎LXデザイナー
《 寄り添う人として 》
多くの公立学校が授業時数確保のために、夏休みの短縮、6時間目の増加、土曜授業日の増加を当たり前のように打ち出しています。
ぼくは、この決断に断固反対です。
なぜなら、学校嫌いの子どもを増産するからです。
個別最適化の図られていない状態で授業時間を増やしても、つまらない授業、苦痛な時間の垂れ流しにしかなりません。
また、教師のクリエイティビティ、イノベーションを発揮する時間をも大幅に削ります。
責任感のない親は、学校に子どもを預けているだけで安心し、授業の質の低下に文句を垂れるだけで日々を過ごします。
そんな中、被害を受けるのは子どもたちです。
みなさん、よ〜く考えないと、Beforeコロナの世界に短絡的に戻るだけという愚かな道を歩むことになると思いませんか?
NORMAL
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