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酒類飲食店に休業要請、4都府県 25日から5月11日まで
あおやま ゆうこ市教職員
なんでコロナだけこんなに手厚く扱うの?
令和2年の自殺者数、21000人越えてるよ?
コロナ死者数の2倍なんだけど。
まあ、日本の医療従事者が頑張ってくれているのはよくわかっているから、この死者数ってのはわかってるけど、
コロナで中高生は死んでない。(たぶん。。。え?知らないから間違っていたらごめんなさい。)
でも、750人以上の中高生が昨年生きることを辞めたよ。
これは、緊急事態とは言わないんだよね?
でも、コロナは緊急事態だという。
もう、一年経って重症化リスクが高い人、感染経路のリスク、整理できてきた。
ピンポイントで対象者絞って対策できない?
遊びたいわけじゃない。
何のために生きているのかを大切にしたい。
部活とか行事とか、
経験を奪わないでほしい。
その経験は未来を創る力となるはずだから。
けっこうもううんざりしてる。
何と戦ってる?
爆弾落ちてくるの、見たことないのに、ずっと防空壕で暮らし続けて1年。
みたいな感じ。
戦争知らないけど。
東京都 新たに124人感染確認 2日連続で100人超 新型コロナ
あおやま ゆうこ市教職員
知りたいのは感染者数ではなく、
どうして感染したのか、症状があるのか、医療体制はどのくらい逼迫してるのか、
というところ。
そもそも、「感染者数が増えてる」という認識が、甘さを物語っていて、「感染しているかもしれない」という前提で生活をしていなきゃいけないのでは?
だから、こちらは必死に暑いなかマスクして、聞こえないと言われながら、頑張って授業するし、
たんびに手洗いするし、させるし、
消毒するし。
感染してないという前提なら、そんなことする必要はない。
発症しないようにしっかり免疫を整える。
感染者だという前提でいれば、何に気を付ければいいのかということを意識して行動できる。
感染者は探せば(検査すれば)出てくるに決まってる。
「増えてきた」という認識は、前提が違いすぎると思います。
発症者が増えて陽性者数が増えているのと、
無症状者に検査をして陽性者数が増えているのとでは意味合いは違ってくるのかな、と。
とにかく、ひとりひとり、「かかってる前提」で生活していく必要があると思う。
9月入学、来年導入見送りへ 家庭の負担増、社会的混乱を懸念
あおやま ゆうこ市教職員
このメンバー(国民)で考えると、9月入学は無理ですね。
別に今年やらないなら、未来もやる意味はないので、もう、ないですね。
今年やる必要性は、今現在の生徒のことを考えるべきだったので。
行事なし、夏休みなし(10日間程度ある)、部活もなし。
今年の在校生はごめんなさいね。我慢しましょう。入試、頑張ってね。
私が高校生なら、学校の意味がないので、辞めますね。勉強なら塾でもできる。
そんな辞めた子達にも手を差しのべられる社会であることを願います。
宜しくお願いします。
そして、我々現場は何をやっても文句を喰らいながら、今年度を乗り切るしかない。
できることを精一杯、何が正解かなんて考えてる場合ではなく、とにかくやらなければ。
6月に検討と聞いていたので、早く見解示してくれて、ありがとう。
在校生のみなさん、とにかく、やってやりましょう。
G7会議 首相「治療薬開発など結束を オリ・パラ開催に支持」
あおやま ゆうこ市教職員
オリンピック、パラリンピックの開催に関わる決定には、ぜひ、選手の声を拾ってほしいなと思います。もちろん、選手に決裁はできませんが、パフォーマンスをするのは選手。
そして、選手にも意思を表明してもらいたい。
特に日本人は、与えられた状況下で、ベストパフォーマンスができるタイプの人種だとは思います。
でも、これからこの先も、「プレイヤーファースト」の理念が確立できるように、選手はその責任を果たし、声を上げてほしいなと思います。
何が正解かではなくて、思っていることを伝えてもらえたらな、と。
オリンピックの本当の意義というのは、本番だけではなく、本番に至るまでの時間を含めます。オリンピアード。
そこに価値を置いてこそのオリンピック、パラリンピック。
メダル何個取ったか、が価値ではなく。
スポーツに対する尊厳でもあります。でも日本のマスメディアは、メダルしか気にせず、空港の出口ではメダリストとそうでない選手に対して別の出口を用意しています。
そういったことも含めて、スポーツの文化が成熟するためにも、いま、この窮地の状況で、まず、注目されるべきアスリート達の声が拾われますように。
そして、見る側の人間も、選手への敬意を持ち、最善を尽くした決定を見守りますように。
相模原殺傷、植松被告に死刑判決 責任能力認定、横浜地裁
あおやま ゆうこ市教職員
判決が「極刑」となったことには、社会の判断として、納得がいきます。
被告人が、「障がい者は生きる価値がない」と主張し続けたことに対して、少なからずそう思っている人間もいるのかと思うと、
ここに、「そうではない」と主張せざるを得ません。
「障がい者は生きる価値がない」のではなくて、「被告人があまりにも未熟であったために、障がい者の存在価値を理解できなかった」
ただそれだけです。
私は特別支援学校で重度肢体不自由部門の生徒と奮闘の日々を過ごしました。
そこで彼らに教えてもらった、人間としての大切な、本質的な愛情。
愛情のなかに生きるということ。
大して、世の中の常識など大切なことではないということ。
これらは彼らに向き合って、日々自分が教えてもらっていることに気づかなければ、わからない感覚なのかもしれません。
なので、私はとてもラッキーな経験をさせてもらえたと、感謝しています。
全日制の学校に異動になり、目の回るような忙しさと、雑多なエネルギーの中で、ついつい、そういった大切なことを忘れそうになると、たまらなく彼らに会いたくなります。
生産性うんぬんかんぬん、言っておりますが、
今のこのコロナの状況を見れば、生産性がなんなのか。そんなものは、地球が安定して回ってる時の話なだけであり、
2011年から大きな災害続きを振り返れば、人間の在り方を、大きく変えていかなければいけないことがたくさんあるはず。
そんな中で、本質的なものというのは普遍的なことであり、人間がいつの時代もどんな時代も、人間らしく在り続けるために大切なこと、それが、本質的な愛情なのだと思います。
そんな大切なことを教えてくれる彼らのそばにいながら、
「価値がない」とは。
ボルトと並んで走って、ゴールした後に、
「別に大したことないね」
と、言うくらい、
状況を理解出来ない人の言葉と思います。
だから、
被告人が主張してることに対しては、
耳を傾ける価値がないと、お分かりいただけるはずです。
そもそも、命の価値など、考えようとすること自体、自然の摂理に反している。
いつか、犠牲となられた方々の生涯に意識が向けられますように。
彼らの生きざまに、焦点を当てて頂きたい。
もう二度とこのようなことは起こさない。
NORMAL
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