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G7会議 首相「治療薬開発など結束を オリ・パラ開催に支持」
NHKニュース
あおやま ゆうこ市教職員
オリンピック、パラリンピックの開催に関わる決定には、ぜひ、選手の声を拾ってほしいなと思います。もちろん、選手に決裁はできませんが、パフォーマンスをするのは選手。 そして、選手にも意思を表明してもらいたい。 特に日本人は、与えられた状況下で、ベストパフォーマンスができるタイプの人種だとは思います。 でも、これからこの先も、「プレイヤーファースト」の理念が確立できるように、選手はその責任を果たし、声を上げてほしいなと思います。 何が正解かではなくて、思っていることを伝えてもらえたらな、と。 オリンピックの本当の意義というのは、本番だけではなく、本番に至るまでの時間を含めます。オリンピアード。 そこに価値を置いてこそのオリンピック、パラリンピック。 メダル何個取ったか、が価値ではなく。 スポーツに対する尊厳でもあります。でも日本のマスメディアは、メダルしか気にせず、空港の出口ではメダリストとそうでない選手に対して別の出口を用意しています。 そういったことも含めて、スポーツの文化が成熟するためにも、いま、この窮地の状況で、まず、注目されるべきアスリート達の声が拾われますように。 そして、見る側の人間も、選手への敬意を持ち、最善を尽くした決定を見守りますように。
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相模原殺傷、植松被告に死刑判決 責任能力認定、横浜地裁
共同通信
あおやま ゆうこ市教職員
判決が「極刑」となったことには、社会の判断として、納得がいきます。 被告人が、「障がい者は生きる価値がない」と主張し続けたことに対して、少なからずそう思っている人間もいるのかと思うと、 ここに、「そうではない」と主張せざるを得ません。 「障がい者は生きる価値がない」のではなくて、「被告人があまりにも未熟であったために、障がい者の存在価値を理解できなかった」 ただそれだけです。 私は特別支援学校で重度肢体不自由部門の生徒と奮闘の日々を過ごしました。 そこで彼らに教えてもらった、人間としての大切な、本質的な愛情。 愛情のなかに生きるということ。 大して、世の中の常識など大切なことではないということ。 これらは彼らに向き合って、日々自分が教えてもらっていることに気づかなければ、わからない感覚なのかもしれません。 なので、私はとてもラッキーな経験をさせてもらえたと、感謝しています。 全日制の学校に異動になり、目の回るような忙しさと、雑多なエネルギーの中で、ついつい、そういった大切なことを忘れそうになると、たまらなく彼らに会いたくなります。 生産性うんぬんかんぬん、言っておりますが、 今のこのコロナの状況を見れば、生産性がなんなのか。そんなものは、地球が安定して回ってる時の話なだけであり、 2011年から大きな災害続きを振り返れば、人間の在り方を、大きく変えていかなければいけないことがたくさんあるはず。 そんな中で、本質的なものというのは普遍的なことであり、人間がいつの時代もどんな時代も、人間らしく在り続けるために大切なこと、それが、本質的な愛情なのだと思います。 そんな大切なことを教えてくれる彼らのそばにいながら、 「価値がない」とは。 ボルトと並んで走って、ゴールした後に、 「別に大したことないね」 と、言うくらい、 状況を理解出来ない人の言葉と思います。 だから、 被告人が主張してることに対しては、 耳を傾ける価値がないと、お分かりいただけるはずです。 そもそも、命の価値など、考えようとすること自体、自然の摂理に反している。 いつか、犠牲となられた方々の生涯に意識が向けられますように。 彼らの生きざまに、焦点を当てて頂きたい。 もう二度とこのようなことは起こさない。
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