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朝日新聞が「創業以来の大赤字」/渡辺社長が来春退任/「後継は中村副社長」と示唆
Daii Hosokawa大学生
新聞社がどういう日本にしたいのか、高いビジョンがあって
その達成にむけて情報の質に全力でリソースを振れば、今のこの混迷とした世界で最も必要とされる媒体となる気がする。
でも、そうなると安倍やめろが好きな高齢者層にはヒットせず、短期的には大赤字になるだろうから、難しいだろうなぁ。
不思議なのは情報の信頼性を謳いつつ理系のドクターを雇って精査にデータを分析しないのは何故なんだろう?こういうことはすぐにでも情報の質を上げてくれる気がするんだけどな。
安易な情動的な情報は快楽的なネットの情報には絶対に勝てないから、もっと理性的になったらいいのにと思う。
現状ではただ理性があるだけで、大きな価値になると思う。
政策判断、AIで迅速化=米データ解析大手と協議―安保、コロナで活用視野・政府
Daii Hosokawa大学生
無機質なAIが下す不利益な決定を人は容認できるのだろうかと思ったけど、逆に人間に属さないからこそ属人的な枠組みや評価から外れ、それを容認しやすくなる気もする。
例えば、国を治めるために人は神格化を行ってきたけれど
それはある意味で、人ではない何かとすることで、属人的な感覚と肌触りを消し民衆の感覚を遠ざけることによって
「神がいうことなら、しょうがない」と認めることが容易だったからで、AIでも十分同じようなことが起こる可能性があると思う。
僕的にはAIを全ての価値の評価軸とする
AI的相対民主主義を提唱したい。
不完全すぎる人間の評価軸を新たな次元に持っていきたいなぁ。
菅内閣支持率67%、7ポイント低下…読売世論調査
Daii Hosokawa大学生
毎回思うのですが
大手のメディアは日本をどうしたいんだろう??
公共の電波を独占して日本人の情報の入り口と出口を抑えているなら(もう違うけど)、日本人に大局的な視点を与え
日本のあるべき姿やそのための戦略を考えられるように
議論できる空間や公平で理性的な議論のための世論を育む義務があると思うんだけど、感情的な批判ばかりでその気概がまったく見られない。すごく残念です。
今のやる気のある若者はそういう報道に辟易していて、twitterやyoutubeなど大手のメディアを介さずに自ら情報を取りに行っていて、こういう現状をメディアは知っているんでしょうか?このままでは本当に10年後や20年後メディアの意味も利益も消失すると思います。
なぜ自分の首を絞めるような報道ばかりするのか、とても理解に苦しみますし、すごく勿体ないと思います。
もしかしたら、そもそもとして大手メディアには
もう、この世界を認識するだけの体力がないのでしょうか?
例えば今後世界を変えるのは(今までもそうですが)技術です。
しかしながら、技術に対してしっかりとした知見をもとに未来を見透かして大局を語るメディアを私は日本で見たことがありません。逆にもりかけ問題や学術問題など、かなり視野の狭く語りやすい問題ばかり報道されます。
ただ情報を感情的に垂れ流すだけでは、より過激でより偏ったネットの情報網には情報のスピードも量も依存性も勝てないと思います。だからこそ、莫大な資本という利点を生かし
質に拘るべきだと思いますし、公共の情報を独占するメディアの義務だと思います。
メディアの力が低下したとは言われますが、それでもまだ
メディアは日本を変える力があると思います。
だからこそ、もう一度メディア自身が己の大義や意義を再認識し、国や未来を語っていくべきだと思います。
(少し生意気言ったのですが、最近僕は日本中が枝葉末節に囚われすぎて本当に大事なことを見過ごしているのではないかと怖くて怖くて堪らないんです。それがなんなのか、僕には未だわからないんですが、そんな気がしてならないのです。)
IT使った授業「エドテック」、自治体で温度差…学力格差につながる恐れ
Daii Hosokawa大学生
教育における格差はある意味で必然で
大切なのはベースのラインを最低限度確保することであり
才ある人は横並びになる必要はなく、どこまでも行けばいい。
当然、それは格差を生むけれど
良い国ってのは往々にして才ある人を伸ばし重用するものじゃないかな?
そもそもとして、格差という概念はもはや時代遅れだと思う。なぜならその概念のせいで全ての差異は格差になってしまう。
でもそれっておかしいでしょ?
差異は本質的には異なることであるのに。
なんでこんなナンセンスな捉え方をするのか考えてみると
それはきっと、日本人が同じ軸でしか物事を捉え評価できなくなってしまった、ということに原因があると思う。
同じ軸でしか考えれないから、全ての差異は格差になる。
いつのまに日本人はこんなに想像力がなくなったんだろう。
(評価軸を自己ではなく外に外注するようになれば、もはや自らの意思や意思決定は自らによらず、知性や思考も同じように外注するようになる、そうなればもう、自己という概念は白昼夢の如く、儚く社会に溶けていく。なんか虚しい。)
学生時代にいなかった「嫌な人」が、社会に出ると増えるのはなぜか?
Daii Hosokawa大学生
みんなが幸せだったら、幸せという概念は存在しなくなってしまわないのかな?
そもそも人間は相対性から認識を得るわけで、ある意味人間が幸福を得るためには不幸が必要になるのでは?
それに、人は本来異なる動物であるということを大前提に考えると、同じ軸で考える限り幸福の中にも差が生まれて例え、過去幸福だと言われていたことも、その環境においては相対的に不幸になってしまう。
だからこそ本質的な問題は、人が同じ軸でしか物事をみていない、ということだと思う。
とはいえ、ならば異なる軸で生きようと言ったって、そこには孤独の罠や異なる軸の誘惑があり、弱い人間にはあまりにも難しすぎる。ある意味社会というのはそういう弱い人間に簡単にかつ速やかに軸や拠り所を提供するシステムであるのかもしれない。そう考えると、その簡単さを享受する代償の一つが幸福や不幸であり、そのくらいの我慢は必要なんじゃないかな。
もしそれが嫌で幸福や不幸のジレンマから解き放たれたいなら、哲学者のように、拠り所のない中彷徨い、自らの拠り所と軸をつくりあげていくしかないと思う。
NORMAL
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