Picks
1610フォロー
308フォロワー
「教科担任制」の対象に体育も…5・6年の一部授業で導入へ
読売新聞
佐良土 賢樹定時制高校教諭(物理・情報) 情報機器担当
今年度、教えている科目が 理科、情報、職業にまたがって6科目あるので、ひとつひとつの授業準備にかけられる時間が少なく、小学校の大変さには 頭が下がる思いです。 時間数が増えるよりも、科目数が増える方が、異なる授業の準備をしなければいけないので負担が大きくなります。 また固定化された人間関係の弊害は、1人の教員が児童を把握できると言うメリットよりも大きいように思います。 実際、それぞれの教員ごとに目をつける場所も違うので、同じ教員が見ているよりも、異なる教員の目が入った方が、児童の良い点や問題なども客観的に把握しやすくなります。 また、教員が生徒に対して期待を抱くと、その通りに生徒が成長しやすいピグマリオン効果という現象の存在が言われていますが、いちど担任との関係性がこじれてしまった生徒は、負のレッテルを貼られ、その通りに成長しやすいようにも感じます。その点からも、様々な教員と触れる事が重要なのではないかと思います。 一方で、これまで担任が抱える形で仕事が進行してきた小学校においては、情報交換を始めとした連携の体制構築が今後の課題になってくるのではないかと思います。
63Picks
「会いたくないほど苦手な相手」が全く別人に見えてくる"たった一つの方法"
PRESIDENT Online:プレジデント社の総合情報サイト
発達障害などを神経多様性/ニューロダイバーシティと考える功罪 - 発達障害ニュースのたーとるうぃず
たーとるうぃず|日本最大級の発達障害ニュースサイト、不安解消グッズと障害者作業所のハンドメイド通販
佐良土 賢樹定時制高校教諭(物理・情報) 情報機器担当
・暇な時はなるべく誰かと一緒に過ごしたい ・集団の和を乱す人を許せない ・社会の慣習にはまず従うべきだ ・はっきりと本音を言うことが苦手 ・必要なら平気でウソをつける 以上の項目に当てはまると、「定型発達症候群」の疑いがあります、 というのは、NHKの発達障害プロジェクトで提唱されていた考え方で、 健常の人のものの考え方を自閉スペクトラム症の人から見て、それを社会適応上問題のある性質だと捉えた表現です。 世界中の人のほとんどが自閉スペクトラム症だったら、障害があるのは定型発達の人の方だ、という考え方もあります。 一方、社会制度として「障害」を認定する必要があるのは、「障害者」として認められたなら、様々な社会での支援を受けられるという点が大きいように思います。 一番は、仕事と年金です。 障害者雇用や障害者基礎年金が、「生きていく上で」必要な人は、手帳を申請して障害者に「なる」必要があります。 そして、社会の側には、「弱者」に対して税金を使うのであれば許せますが、そうではない人間が優遇されるのは許せないという気持ちがあるように思います。 歴史上の偉人が発達障害傾向を持っていたというのはしばしば言われますが、支援を必要としていなければ、どれほど特性が強くても「障害者」ではありません。 障害者は「be(である)」ものではなく「become(になる)」ものだと私は思います。 記事では、言葉を変えることよりも、「直視」すること、障害受容することの重要性を説いていますが、様々なレッテルに苦しんできた当事者の方々を見て、私自身は神経多様性という言葉には重要な要素が含まれていると思います。 ある環境で不利な形質が、別の環境では適応的です。 たとえば、鎌状赤血球症という貧血を引き起こしやすくなる遺伝病がありますが、この赤血球はマラリアに対して抵抗力があるため、マラリアの流行る地域では、貧血になりやすい一般的には「劣った」性質を持った人間が生存をしやすいということがあります。 多様性の観点に立つと、優劣で語れるような話ではないことがわかるのですが、一方で、支援を必要とする方に支援を届けるため、境界線を引く必要がある。 ただ、その境界線に「障害者」という名称が必要なのか、という点については、考えなければいけないように思います。
NORMAL