「それ、僕の仕事じゃないんで…」Z世代に多い“言われたことしかやらない”若手社員。強い自己愛ゆえの「自分は何でもできる」という幻想的万能感
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とはいえ、言われたことを言われたレベルで100%やり切ってきたのかは、問うてもいいんではないか、と思う。「自分はなんでもできる」と考えているならば、ホントにできてたのかは検証した方がいいかと思います。
その上で、あいまいに出された「言われたこと」の範囲と成果を自分で定義して、自分なりの仮説で、その他やった方がいいことを見出せるようにしたいものだ。
とりあえず、「働き損」とされるコスパタイパの範囲が表面的ですごく狭いことが多いので、その概念も更新が必要なんだと思います。ちゃんと説明したほうがいい。ホントに成果だけで評価判断されると一番きついのはその当人なので。
注目のコメント
人のタスクとタスクの間によくボールは落ちると思うのですが、そのボールを拾ってあげたことをやらなくても良かったのにやらないといけなくなって損と見るのか、そのボールを拾って大変だけど経験としての得と見るのか、だと思います。
私はよく事象において穴に落ちてしまったボールが見えてしまうタイプでしたので、その穴に落ちたボールを拾う作業を行うことが多かったのですが、結局それは枠を超えて行動にうつすことを経験できたと思っています。自分の枠をどこに定義するかで、コンフォートゾーンを自らの手で、どんどん広げてあげられるのではないかと考えます。
自分のタスク以外の落とし物まで拾えたら、コンフォートゾーンが広がっていけるチャンスではないかと思うのです。記事をキチンと読んでないが
自分の仕事じゃ無いからと言う方は
最終的な目的やゴールが見えてないだけ
部署や製品、プロジェクトのゴールを気にしてない
それをちゃんと伝えない上司にも問題があると思う
しかし仮に伝えてもダメなら、申し訳ないがその程度の人間として扱うだけ
与えられた仕事だけをする
自分が何をすべきか考える事をやらない
少なくとも私はそんな人間は欲してないし、評価は全くできない(評価しろと言われると一番困るタイプ)これはZ世代云々の問題ではなく会社(組織)の問題。サッカーで例えるなら、自分のポジションの役割を果たしながら別のポジションのカバーリングをするのは当然の仕事。一方、野球の守備に置いて、特定のポジションに負担がかかるのは止むを得ない部分がある。センターの選手がピッチャー変わろうか、という話にはならない。ショートによくボールが飛んできて大変そうだから手伝おうか?という事にもならない。野球のような組織体、サッカーのような組織体、職業により、より適した組織体系がある。野球というスポーツにおいてサッカーの感覚をもってきても合わない。その逆もしかり。「それ僕の仕事じゃないなんで」はある種正解だろうし、ある種不正解でもある。どんな業態、どんな組織でこのような問題に直面しているのかわからない限り本質的な議論はできない。同じ組織内でも、誰かの領域を侵害してはいけない場面はあるし、それが良いという思想もあるので、Z世代云々はまるで関係のない話に感じる。