円は1986年以来の低水準に落ち込む可能性、1ドル=165円も-RBC
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低水準っていうと悪いことに感じますが日経平均と違って為替レートですからまだそんなに悪い意味はない気がしますね。例えば漫画とかは原価のほとんどは日本人の人件費だけで海外に輸出するわけですから非常にチャンスです。自動車や家電などの製造業は円安になると原料も上がるので有利さは限定的ですが。でも自動車用鋼板みたいに鉄鉱石と石炭よりもノウハウで高付加価値を実現したり、為替変動の影響が小さい原発の電力を大量に使って精錬するアルミとかは有利が広がりそうです。
注目のコメント
私が社会人になった1985年4月は250円位でした。
それが同年9月にプラザ合意があり翌年には一気に160円台になった。
当時の160円は「急激な円高」と言われ、今の160円は「急激な円安」です。
私は輸出企業の代表とも言えるトヨタ自動車の新入社員でしたが、残業時間は一気に減らされ、全社一斉に経費節減の嵐が吹き荒れた。
今でも忘れないのが「コピー用紙が薄茶色の紙(昔はわら半紙と言ってた)」に変わり、紙質が悪くて頻繁にコピー機が紙詰まりを起こした。
この「円高」を受けて、トヨタを含めた日本企業は海外生産を急拡大し、今では1ドル100円以下でも儲かる体質をつくった。これは凄かったと思います。
今起こっている円安も大変だと思いますが、あの時の大変さに較べたらまだまだです。1985年、1986年の夏はハワイで過ごしました…
確か1ドル200円を超えていましたが、ハワイの物価が凄く高いとは感じなかった記憶があります
コンドミニアムで自炊していたので、スーパーには友人家族となん度も行ったはず
明確に覚えているのは、その後15年は着たアロハ生地で作られたショートパンツとブラウスのアンサンブル。日本円換算で3万円くらい
翌年は200円切ったのですよね…
うーむ、為替相場に鈍感でした1986年は僕の大学入学の年で、前年のプラザ合意による円高が進行していた頃です。
円高不況といわれていた状況の対策として、公定歩合が引き下げられ、その後のバブル景気を生み出すことになりました。
引く手あまたの就職戦線で、銀行や証券会社に就職した同級生たちはどうしてるかな~。