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映画『オッペンハイマー』で広島と長崎が「脚注」に追いやられた理由 | 原爆の残虐性を描かなかったのは「金銭的判断」

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    メディア・コンサルタント フリーランス

    広島と長崎の残虐性を描けば米国での興行は失敗するでしょうから、日本人と広島長崎を無視したのは完全に経済的理由ですね。その意味では歴史的に嘘をついた映画とも言えますが、オスカーをとったのですから、それを補ってあまりある芸術性があったと推測されます。まだ観てはいないのですが、私はなかなか観に行く気が起きません。お金を出して不愉快な気分を味わうのも嫌ですし、様子見です。


  • デザインカンパニーVECTOR LLC Co-founder/CBO/Designer

    日本人も戦争でひどいことをたくさんしたと思いますが、効率的に兵器の威力を最大化することを淡々と実行できてしまう人間という種はほんとに不思議だなと思います。
    一方で他の動物よりも他者を愛することができるのに、一方では無情に滅亡させることもできる。
    そしてクリストファーノーランも経済を見て映画を作っていて、そこにクリエイターとしての矜持があるのかないのか。
    人間とはいったいなんなんでしょうか。


  • 元医学部技術職

    >原爆を発明した男の生涯を描いたとされる映画は、こうした破壊と惨状にいっさい触れていない。


    破壊と惨状のシーンは無くとも、オッペンハイマーの主観的映像として巨大な炎と大音響で描写されている。
    3時間という上映時間で寝てしまったところもありますが、日本人として気になるところはありました。ナチスドイツが降伏し、日本も敗北が確実になった状況で、「マンハッタン計画」のスタッフたちが計画中止の流れに対し、オッペンハイマーは原爆投下の必要性を、日本人は自ら戦争を止められないと判断したことです。また、一発目は原爆の存在を示すために、二発目を原爆投下の継続を示すためであるにしても、人のいない所でも良かったのではないか。原爆が「戦争抑止」ではなく、「戦争の不可能」が目的であったことも、当時ソ連が同盟国であり軍拡の一番の懸念国に、原爆投下を事前に知らせなかったことは、ソ連に対し不信感を与えて「冷戦」を招く要因にもなっている。共産主義者として糾弾され、それが個人的な逆恨みであったことに、日本人だからなのか、あまり関心は持てなかった。オッペンハイマーは科学者であると同時に、時に経営者のように、政治家のように、セールスマンのようにという多面性のある人物のようだ。

    この作品を「歴史」として正しいかというよりも、「原爆」を「装置」と言い換えるような戦時の科学者たちは、戦争という極限状態で、被爆した側と原爆を投下した側が逆の立場になった時の自分をわからせるのかもしれない。


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