【養老孟司】日本人に伝えたい「未来予測」より大事なこと
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現代の日本では「やらなきゃいけないこと」
と作りすぎているなと感じます。
地域団体に複数所属していると今の時期なら桜に関するイベントや卒業入学、それにまつわる歓送迎会といった新旧交代の儀式
冠婚葬祭もそうですが、仕事においても学校行事でも「みんなで参加」の儀式や行事がとても多い。
そういった行事や儀式においては〇〇長とか〇〇係など役割が重視されますが、それはまさに意味的です。
昔はそういうことでもないと
集団の一体感や意思決定の関係性が作れないぐらい農作業やら目の前のことでいっぱいいっぱい、所属する組織も限られていたと思いますが
戦後人口が増えるにつれ、さまざまな組織団体がうまれ、しれぞれがそれぞれで行事や儀式があって
そういうのが嫌いじゃない人はあっちもこっちも〇〇長や〇〇係をやっている。
(完全に私のことなのですが)
人口減、超少子高齢化が確定事項となったいま
膨らみきった社会をたたんでいかなければならないのは確実ですが
しばらくは「もったいない」「残したい」という思いと
「面倒だからやめましょう」という居心地の良さを優先する想いの葛藤がありそうです。
そして人間関係の面倒さはさらに増して感じられるのではないかと思います。
ネコのように儀式も行事もある程度無視して消滅を促進する方が
ずっとハッピーかもしれません。
コロナは少なくともそのキッカケとなったように思います。
注目のコメント
これもまたよくある日本人限定論だが、間違ってはいないが主語を韓国人に替えても、シンガポール人でも中国人ですらもほとんど変わらない。つまり過密都市はアジアのほとんどの国に共通している。逆に欧州には摩天楼はほとんどないし、アメリカだってNYなどごく一部の都心を除けば低層ビルばかりだ。
地震も確かに読めないがしょっちゅう戦争のある一部のヨーロッパや中東の人々や、生まれてこの方政府に理不尽な扱いばかり受けている国の人々のほうがよほど未来は読めないのではなかろうか。すばらしいインタビューですね。
唯一確実な未来は大地震であり、その後、どのような社会を作るのかを誰も真剣に考えていない、とさらっと指摘する養老先生、さすがの知性の高さを感じさせます。
経済至上主義に毒されて生きづらさが常態になっている今の都市社会、ほんと、つける薬はなく、大地震くらいの破壊がないと再生しないのかもしれませんね。その意味では、養老先生の「地震が希望」という言葉、過激だけれど共感します。
地震後の社会を想像すれば、食料の自給自足と都市機能の分散を今から設計しておく必要があることは自明ですね。
「居心地よく感じている人が他人に対してアグレッシブになることはない」。至言ですね。世界平和のために小さな一人ができる、根本的でシンプルなこと。確か紅茶の実験で、自分の感じる通りに選ぶと素人も専門家並みなのに対して、理由をつけろと言われると全くダメになるというものがありました。ビジネススクールでは感性や直感は教えきれませんが、とても大切と考えています。