【広告の未来】「おりこうな時代」に人の心を動かす方法
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コンプライアンス社会になって、男とか女とか母親とか、そういう社会的役割にたいするプロトタイプな表現が忌避されている。それは「役割で単純に世界を分けることへの違和感」がベースにあるのだと思う。でもコンプラを気にしすぎることで、逆に私たちは多様性を失い、非常に単純な役割に逃げ込むようになっている。これは、元々ベースにあった「役割で単純に世界を分けることへの違和感」を強めるものだと思う。
どうすればいいのかわからないけど、この「分かりやすいコンプラの敵」を作るやり方ではダメ、というのは間違いないでしょう。ちょうど東浩紀さんが「おじさんだけは傷つけても良いという日本の風潮」を揶揄して「弱者男性」と言う言葉をつぶやいていましたが、私たちは本当にそういうことではダメだと思う。
注目のコメント
私ごときがTBSの編成事情を知る由もないので当然と言えば当然ですが、まさか過剰コンプラ時代を描いた「不適切にもほどがある」の最終回と、この「1億総コンプラ違反時代」特集が重なるとは、全く思ってもいませんでした。
ただ、「ふてほど」の人気ぶりは、この特集のヒントになったのは紛れもない事実です。
こうした中で、広告業界のトップクリエイターがはこの「制限まみれ」の状況をどう捉えているのかを語ってもらいました。
聞けば聞くほど、企業のコンプラ担当の想像力(創造力?)には驚かされますが、重箱の隅をつつくようなクレーム対応がどれほど多いのかということにも気付かされます。
そういう中でも、敢えて面白い表現を追求するクリエイターの矜持をお届けします。
「あれもこれもダメ」な時代だからこそ、見えてくる光があるのかもしれません。
1週間、お付き合いいただきありがとうございました。SNSの炎上はほんの一部の人が騒いでいるだけという話を聞いたことがありますが、指摘されているナイキの例(Colin Kaepernick の話と思います)のようにスポンサーとともに「受けて立つ」ことはできないんでしょうか?ナイキの売り上げが結果としてあがったように、どうでもいい人からは批判されても、本当のファンとのつながりはかえって強くなると思うのですが。
興味深く頷きが多い記事でした。
「ふてほど」は、現代社会における”行き過ぎ”とも言える”当たり前”に、一石を投じてくれた気がしました。
ドラマが一話終わるごとに、よくぞ言ってくれたと思うこともあり、DEIを推進している身としても多くを考えさせられました。
結局のところ、幸せによりよく生きたいという願いは、皆変わりません。
そのためには、程よいバランスが大切だと感じています。