若い時の苦労は買ってでもしろって、もはや「不適切」な死語ですか? - インベスターZで学ぶ経済教室
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世の中が「理不尽な成長機会」を敬遠する風潮にある今こそ
逆張りで、自分でこれをつくれたら面白いと思うんだよなぁ
僕から学生に敢えて与えることはもうしないけれど(以前はしていたなぁ・・・と反省)
注目のコメント
困難を乗り越える瞬間に人は成長する、ということ自体は今も昔もそんなに変わらないのではないかと思いますが、今はどの困難を乗り越えるのかは「自分で選ぶ」時代なのかもしれませんね。
ただこれは、一見優しい世界に見えますが、実は成長する機会を自分で見極め飛び込まなければいけない厳しい世界なような気もします。(この記事を書いた記者の方も同じ思いを抱いているような)
どうしても人は易きに流れますし、相当な覚悟を持たないと明らかに難しいことからは逃れようとしてしてしまいます。そうして逃れた先に幸せはあるのか、人生は長期戦なのでそうした視点も持っていたいなと思います。生存バイアスに歪められた個人的な経験をもとに、苦労すべき論を唱える人がいるから、パワハラがなくならないし、データに基づかない感情論施策が実行されるし、女性や外国人が活躍できないし、皆不幸で皆平等を目指して足の引っ張り合いをすることになるんです。
だから、きちんと研究し、きちんとデータを出すことが必要なんです。
「ジュニアスポーツにおける指導者ハラスメント体験尺度の探索的検討」大橋 恵ら、心理学研究 2022 年 第 93 巻 第 3 号 pp. 230-239より
「罰を多用すると,選手が過度に緊張する,不安が高まりのびのびプレイできなくなるなど負の影響が大きいと考えられ
る。実際に,ハラスメントを受けることにより,ミスを恐れての消極的プレイや,評価への過剰な反応や神経症を招く可能性が示されている」
「指導者ハラスメントは否定的な体験であるはずだが,これを受けて精神的に強くなった・技術が向上したなど肯定的に受け止める者が過半数を超える」
こうして、ネガティブな影響が大きいにも関わらず、ハラスメントが再生産されていくんです。「理不尽な苦労」と「合理的な苦労」を選別できる賢さが大切なわけです。
その賢さを得るには、多くのものから学ぶ姿勢が大切。そして「理不尽な苦労」に気付いたときに、そっと離れられる賢さを発揮するとよいのです。