「結婚を避け、子供をもたない」ほうが人生のコスパが良い…現代の日本人に起きている"憂慮すべき変化"
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結婚や子どもを持つことは、コスパやタイパが悪いからではなくて、貧困化する日本という時代が、結婚に踏み切れなかったり子どもを持てないことにつながっているのだと思います。
資本主義による人間の家畜化は、資本主義の失敗だとも言えます。資本主義がこれかも成長するには、人口減少は大きな障害です。だからすでに資本主義は失敗しているのです。
東京はこれから富裕層しか住めない都市になっていくでしょう。そしてその富裕層の暮らしを支えるエッシャンシャルワーカーが、その周辺に暮らす二極化した都会の姿がはっきりしてくるでしょう。
アメリカではエグゼクティブのような多く稼ぐ女性はちゃんとしたパートナーがいて、子どもも二人三人といるようになってきました。ただ結婚はビジネスキャリアを積んで高収入となった30代だということらしいです。
手が掛かる子育てはベビーシッターを雇ったり、やパートナーの協力などもあるとのことです。
(文化的な背景もあるとは思います)
資本主義が本当に正しいのか、ほんの一握りの人だけが豊かになって、ほとんどの人々が貧しくなるとしたら、資本主義は未来をどうしていくのか、そろそろ真剣に考えた方がよさそうです。
多くの人々は分断され、矛盾が生み出す不満や怒りが隣の貧しき人に向かうような仕組みに、気づかなければ、私たちには資本主義の失敗は見えないでしょう。
注目のコメント
リチャード・ドーキンスは『利己的な遺伝子』であらゆる生物は「遺伝子が自らのコピーを残すのに都合が良いように進化させた結果」であり、地球上を支配する人間はその際たるものと喝破したのだが、まさそれに逆行する状況が、日本や韓国などの北東アジアや欧米先進国で顕在化している。
資本主義は個人的な欲望を燃料に進展してきた。餓死から逃れ、外敵による生命の危機から逃れた先にあったのは、いかに集団の中でより上に抜け出るか、競争に身を投じ、上に立つことを目指すことによる優越感と自己満足への果てしない欲望である。
しかし競争とは常に圧倒的な数の敗者と極少数の勝者しかもたらさない。それなのに、資本主義の世界では常に(明日食えるか食えぬかという時代と比較すれば)ぜいたくな生活や顕示的消費欲が刺激され続ける。お金がないと言いつつ、その多くは餓死するわけではないし、スマホを手放すわけでもない。
多くの者は、自分の欲望を満足させてくれるだけの「カネ」がないだけで、その欲望を満たす上で邪魔でしかない結婚や子供は「コスパが悪い」ものでしかないだけなのである。一方で、同じような経済状況であっても、愛するパートナーを得て、子供を得て、再生産可能なだけの子を産み育てるカップルも少数ながらも存在し続けている。
「コスパ」を唱えて子を成さない人々が自らの遺伝子をそこで途絶えさせている一方で、遺伝子を次の代に繋げていく人々は少なからずいるわけで、これはこれからの時代への適者生存に向けた単なる淘汰圧で、それはそれで良いのでは、と私は個人的に思っている。痛烈な指摘です。日本の先を行く韓国の超少子化の現状は、まさにこの指摘を具現化しているように見えます。結婚、子育てはとても面倒くさいものです。それを回避しようとする個人の判断は否定できません。問題なのは、結婚も子育ても望んでいる人たちがそれを選択できない社会になりつつあることです。これは憲法違反といった次元ではなく、人道に対する罪、人間の尊厳への背徳です。自由に結婚でき、子どもの数を制限しなくてすむ社会を目指すべきだと思います。
コスパ、タイパと言うときには、計画が立てられるものである、という前提があると思います。人生も計画どおり進んでいく、という発想が前提の場合、不確定要素が強く、コスパやタイパが悪いとされる結婚、子育ては選ばれませんね。かつ、現在結婚をしている世代や子育てをしている世代が辛い状況にあって幸せそうじゃない人が多そう、というのも選ばれない原因ですよね。
私は人生何が起きるかわからない、という前提を持っています。仕事ではコスパ、タイパは多くの場合で求めます。一方でキャリアの遠回りをしてきた身としては、仕事も何が次に生きるかわからないと思っています。さらに、人生の大きな流れではたまたまいろんな人と出会えて今の自分になっているという偶然性も悪くなかったな、と思っています。誰に会うか、ましてや誰とパートナーになるかなんて計算してできるものじゃないですね。
コスパやタイパを基準に人生を生きていくのも否定しないです。人それぞれに幸せならよいと思います。