もしも東京大学がなかったら東大の「虚像と実像」を暴く
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社会のOSがアップデートされている中で、気づかないまま、もしくは気づいていても対応できないまま、膠着化が進んでいく。虚像と実像が乖離し、イメージだけの表象タワーがねじれを起こし、やがて崩壊していく―。物語としてはよくある構図。
企業社会も似たようなところはあるのではないでしょうか。日本の雇用システム(cf. 終身雇用)、商習慣(cf. ケイレツ)、ビジネスモデル(cf. カイゼン)を象徴する、たとえばトヨタのような企業にも同様の構図はあるのかもしれません。しかし、危機を迎えながらアップデートを続けている。
よくキャリア形成論においては「メタ認知力」、つまり内省することや深く自己認知をすることが問われますが、大学や企業を一つの生物や生命体ととらえたときに、成熟していく中で社会とのかかわりの中で大学・企業のメタ認知力がより問われているようになっているのでしょうね。
「官庁エリートを頂点とするピラミッド的社会は、現実にはすでに過去のものとなりつつある。成熟した社会では、各自が自らの存在証明を求める」
注目のコメント
これから生成AIが進化していけば、良い大学を出ていることと仕事のパフォーマンスの相関関係はより低下していくことになるでしょう。
学術面ではそんなことないと思いますが。米英だけ私立が強く、他は国立が強いイメージ。
アメリカに関しては建国当時から「連邦主義VS州自治主義」の対立があり、南北戦争のきっかけにすらなるくらいです。ある種今でもあるのかも?
「国(連邦)立大学≒州を跨ぐ学歴ヒエラルキー」の存在は他国よりハードルが高いでしょうね。