生成AIに不可能な人間固有の能力とは何か? ミュンヘン工大と東大が世界に問う「新しい創造性」
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注目のコメント
AIも錯視に騙されますよ。下記は2018年頃の研究成果。
ただし、錯視を再現できたからどうというつもりはありません。錯視は、本来人間が自然界で生き抜いていくために得られた経験的知覚だったりするわけです。それが何らかの知性の裏付けとするにはもっと議論が必要です。
静止画なのに回って見える AIも「錯視」 ディープラーニングで再現に成功
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1803/22/news061.html
AI も錯視を起こす
https://autonomous.jp/ai-%E3%82%82%E9%8C%AF%E8%A6%96%E3%82%92%E8%B5%B7%E3%81%93%E3%81%99/AIの話をする際によく聞かれる代表的な質問ですね。一読の価値ありの記事です。ぜひ。
ちなみに、人間が無意識のうちにやってしまう行動の中にある異常系が、いわゆるそれにあたると思います。そこからさまざまな想像、創造が起きてるんですよね。AIに出来ず、人間に出来ることは、私は『社会的な責任を取ること』だと思っています。
AIに従業員番号を振ろうが何をしようが、責任を取らされることはないと思います。仮にAIが何か失敗し、そのAIをクビ=廃棄したとしてもAIは何も感じないのですから。
その意味で、今後人間は『責任を取る』ことが仕事の価値になると思います。責任を取ると言うことは、AIを作ったり、運用したり、保守をしたりした際に、それを失敗した際に何らかのペナルティが課せられるということ。
その責任を負える人間が価値ある人間になるのだと思うので、どんな仕事•職種であっても、AIを作る、動かす、メンテナンスする、のどれかに関わらないと、価値ある仕事にはならない、みたいな時代がいずれ来るのでは。